破章 貴方はきっと泣くでしょう
第十幕 夜と梟とコテージ
月を背負った梟は、夜が敷かれた森の上を飛んでいた。どの木に留まれば狩の成功率は上がるものかと思案しながら一本決める。
背の高い糸杉の頂に羽根を降ろして地上を睨む。
月明かりに照らされて、森の影は車道を二色に染めていた。
梟は自分の影が見える木が、自分の留まった糸杉であると知っていた。だから両翼を広げて影の居場所を確かめる。
林道を歩く二つの背中に迫るような位置で梟の影が翼を広げた。それを見つけて梟は満足して鳴いた。
ホシノは背後から聞こえた鳴き声に驚いて振り返る。高木に留まった梟が、月を背にしてこちらを見ていた。
不吉な感じがしてホシノは歩みを早くする。地図を見ればもう直ぐ小屋に着く頃だ。分かりはするものの、その距離が永遠に感じられる。
昔の人は一体どうやってこの恐怖と向き合っていたのだろう。ホシノが無意識に独り言ちると、アトリアがか細い声で同意した。
スピカは夜の森の恐ろしさとは無縁の様子で、ホシノの前を悠々と歩いている。
車道から外れて小さな林道に入る。液晶角膜を暗視モードに切り替えて、緑色の世界を歩く。暗闇の中からは獣の鳴き声が聞こえ、森の奥へ進むほど星屑の電波が弱まって地図は見れなくなった。
信じて真っ直ぐ進む。
やがて開けた場所に出た。月明かりの中、薄っすらと小さなコテージを浮かび上がる。ダリウスは小屋だと表現したが、謙遜が混じっていたのだろう。ホシノからすれば別荘と呼んでも差し障りない建物だ。
暗くて外からでは全容は把握し辛いが、太い丸太を組んで建てられており、一階建だが二人が暮らすには十分な大きさのようだ。
ホシノはダリウスから貰った暗号鍵を扉の端末に想念で送る。
鍵が開くと同時に建物に暖かい色の照明が点いた。
丸太の形で凸凹する壁が続き、見上げれば天井扇が静かに回っている。
壁の端に充電中のランプを点けた自動清掃機が収まっており、辺りは綺麗に掃除されて埃一つなかった。
ホシノとアトリアはリビングに入るなり、ソファーに倒れこむ。
「もぉ~歩きたくない。汗でビショビショ、お風呂入りたい」
アトリアが俯せに寝転がり、脚をバタつかせている。
ホシノも深い溜息を吐きながら、しばらく呆然とする。
『ソウガ、外から明かりが見えないようにしておいた方が良い』
スピカの助言を受けて想念を使い窓の遮光フィルムを起動させる。窓の内部に挟み込まれた液体が結合し、窓が黒く塗りつぶされる。これで外からは光は漏れないだろう。ホシノは安心して休んだ。
何分が立つと、アトリアが起き上がった。
いそいそとリビングを後にすると、少しして帰ってきた。
「お風呂があったわ。私は食料を探して寝床の準備をしておくから、ソウガ君は先に入って」
「そんな、僕がやっておくよ。先にお風呂入りなよ」
「それじゃ駄目よ。ソウガ君はフレッドの部下にタコ殴りにされたのよ。見た目は大丈夫そうだけど明日になれば腫れるかもしれないわ。身体の汗を流して、患部を冷やさないと。私を助ける為に怪我をしたんだから、ソウガ君が拒否しようと私がソウガ君の面倒を見ますから」
「……そこまでいうなら、先に入らせてもらおうかな」
「うん、そうして。なるべく身体を温め過ぎないようにぬるま湯で汗を流してね。血行が良くなり過ぎると、腫れが酷くなったり痛くなったりするから。本当は私も入って流してあげるのが一番なんだけど……それはちょっと、恥ずかしいし……」
アトリアが両手の指を絡ませて肩を揺らす。
「さ、流石にそこまでは良いよ」
ホシノは頬が熱くなって両手を横に振った。
アトリアに案内されて風呂場に向う。
「中に洗剤があったわ。着替えとかタオルとか見つけたら持って来るから」
アトリアはそう言うと脱衣所のドアを閉めた。
ホシノはまず上着を脱いだ。上半身の所々で内出血が起きて赤痣が出来ていた。触れると皮膚の内側が痛む。場所によってはもう腫れ始めている箇所もある。
ズボンを脱ぐと下半身にも赤痣が出来ていた。パンツに手をかける。ふと視線に気づく。
『じーっ』
ホシノの正面に膝を折った姿勢で座り、じっとパンツを見詰めてるスピカがいた。
『スピカ、何やってるの?』
『観察』
『えーっと、パンツ脱ぎたいんだけど』
『了解。準備万端』
ぐっと親指を立てるスピカ。
『そうじゃなくて、あっち行ってて』
『駄目。あの女がいない間に、色々伝えたいことがある』
急に真面目な顔付きに変わるスピカを見て、ホシノは深い溜息を吐く。
『じゃあせめて僕の後ろにいて』
スピカが後ろに回ったのを確認してからパンツを脱ぎ、前を隠して風呂場に入る。
風呂場の壁や床には、全て木目が綺麗な板が張られていた。コテージの内装と外装のように、丸太の形をそのまま生かした大胆な作りではなく、洗練された落ち着きのある作りになっていた。中にはシャワー、そして風呂場の雰囲気に合った木製のバスタブが奥に置いてある。
ホシノはシャワーの前に立って想念で湯を出す。アトリアの忠告通り、温度は低めに設定した。
『伝えたいことって何?』
スピカは一旦間を置いて話し始めた。
『先ず、この会話は絶対に想念で返して。口に出しちゃいけない。また、これから話す内容も後で口に出しては駄目。あの女、アトリアにも話しては駄目』
『他のことは良いけど、スピカのことをアトリアに紹介するのもいけないの? 一応あの時スピカはゼーベリオンの力を貸してくれたんだから、アトリアの恩人でもあると思うんだ。きっとアトリアは君と仲良くなりたいと思うはずだよ』
『私はあの女と仲良くなるつもりは無い』
『どうして? アトリアは、その……良い子だよ』
スピカは少し黙ってから再び話し始める。
『ソウガがあの女にどんな感情を抱いても、それはソウガの自由。でも私はあの女に認識されてはいけない。この世のあらゆる物に、認識されてはいけない』
『どういう事?』
『私はこの世界に居てはならない存在。いいえ、存在すること自体許されない。ゼーベリオンもそう、本当はこっちの世界に顕現することもアレは好ましく思ってない。でも今はまだ私の存在には気が付いていない。ゼーベリオンはそもそも見つかったからって何とかできる代物じゃ無い』
ホシノは頭がこんがらがってきて、額に手をやる。
『そのよく分かんないんだけど、アレって何? 何に見つかったらいけないの?』
濡れた手から水が滴り落ち、瞼にかかる。ホシノは思わず目を瞑る。
『モイラ、この世界の主観。人間の言葉で言うと、神――』
暗闇の中でスピカの言葉だけが鮮明に聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます