第二十五幕 遺跡と開戦
アトロポス遺跡の前には、幾つものテントが並んでいた。安全靴を履いた作業員が、テントの中を行き帰りしている。アトロポス遺跡を研究しにきた調査チームの面々が、情報交換をしにテントを渡り歩いているのだろう。
ホシノは近くにいた作業員に声を掛ける。
「あの、ここどうしたら遺跡の奥にいけるでしょうか?」
「あそこの入り口から入れば、一本道で奥までいけるさ」
声を掛けられた作業員は石造りの荘厳な入口を指差しながら言う。言った後、ホシノを改めて見直して首を傾げた。
「子供が何でここに?」
ホシノは慌てて弁明する。
「あー、師匠の手伝いで来ている技術屋の弟子で、発掘の手伝いをしろと師匠から」
「シド爺さんの弟子か。だったら爺さんは奥にいるよ。おーい誰かこの子を案内してやってくれ!」
作業員が大きな声で呼び掛ける。
何人かの作業員がテントの中からで出てきた。
計三人の作業員達に連れられて遺跡の中に入る。
土で出来た壁は象形文字や神話を記したものと思われる絵で埋め尽くされている。一本の大きな通路は、脇道なく奥まで続いていた。
どこかで見た覚えがあるなとホシノは思った。思った後直ぐに、ラケシス教の教会に似ているのだと合点がいく。
石積みの床に堆積した、砂を踏みしめながら歩く。噛むような音が壁に反響しながら響き、歩みを進める度に足裏に砂の感触を伝わってくる。
突然、乾いた音が鳴る。砂が壁を叩く音だと気が付いた時には、ホシノは突風に背中を押されていた。砂塵が舞い上がり、通路を土色に染める。
「なんだ、突然!?」
作業員達が驚いている。
ホシノは目の辺りに手をやって、風の元を探る。出入口のアーチ越しに、黒い神霊アルギエバが遺跡前の広場に降下する所が見えた。
『カラスが何故ここに?』
スピカが眉を顰めている。
しばらくすると広場の方から怒声が聞こえてきた。怒声は次の瞬間叫び声に変わると、広場は静寂に包まれる。
「一体何が起きているんだ?」
「分からん、行ってみよう」
「俺は警備兵を呼んで来る」
作業員達は二手に別れた。
ホシノは危機感を抱きながらその場で立ち尽くし、何が起きているのか状況が落ち着くのを待つ。
突風が出入口から吹いてくる。風に煽られた砂塵が宙を舞い、土色の靄の中から黒衣を身に纏ったカラスが現れた。
「何者だ、お前!」
作業員が声を飛ばす。
カラスは聞く素振りも見せずに、歩みを進める。
ホシノの近くまでカラスが来た時、遺跡の奥から銃を持った警備兵と作業員がやってきた。警備兵の数は十名。横に並んでカラスに銃を向ける。
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」
警備兵が怒声を飛ばす。
怒声を聞いたカラスがホシノの方を向いた。
「死にたくなければ壁に寄れ」
ホシノはカラスの凄みに押され、壁に寄り掛かった。
警備兵の一人が業を煮やした様子で舌打ちすると、引き金に指を掛ける。
「構わない撃て! 壁に当てるなよ!」
リーダー格と思われる腕章を付けた警備兵が、腕を前に突き出した。それを合図に一斉に、
「やったか?」
警備兵の一人が吐露した。
最早濃い土煙のせいで、カラスの姿は目視できない。
薬莢がカランと音を立てた。突風が薬莢を転がしのだ。
次の瞬間、カラスの方角から吹く強風が、びゅうと音を立てながらホシノの前を通り過ぎた。風に押された砂塵が、壁となって警備兵にぶち当たる。
ホシノは慌てて目を閉じる。耳に聞こえるのは風の音。そして砂煙が壁に当たる乾いた音だ。
口の中に少量入ってきた砂が、細かく硬い感触が舌に伝えてきた。
乾いた音が遠くの方に去ったのを聞き分け、ゆっくりと瞼を開けながら辺りを見渡す。砂煙は晴れて見通し良くなっていた視界の向こうに、漆黒のコートをはためかせたカラスが悠然と立っていた。正面には数え切れないほどの銃弾。急停止したように、全て空中に浮かんで静止している。
ホシノは驚愕して声も出なかった。今目にしている光景は、それこそコミックの中で読んだ超常現象そのものだ。
同じ光景を目撃した警備兵も、瞠目で口をあんぐり開けていた。
当たり前だとホシノは思う。弾丸を空中で静止させるなんて、超能力でもあるまいし不可能だ。しかし確かに今、目の前で起きていることなのだ。一体どういう物理法則が弾丸を静止させているのか。ホシノが思案し始めた時、カラスが動き出した。
右手を目線まで上げ、宙に浮かんだまま静止している弾丸を指で弾く。
空気を割る音がした後、警備兵の叫び声が聞こえた。
「ぐはっ!」
「ぐっ!」
カラスが弾丸を指で弾く。弾丸が警備兵の体を貫き、肉片と血飛沫が遺跡の壁や床に飛び散った。砂が赤く染まる。警備兵の叫び声が通路に木霊する。
「ちくしょぉぉぉぉぉっ!」
警備兵の一人が
銃を放った警備兵に向けて、カラスは銃弾を指で弾く。弾丸は警備兵の頭を貫き、警備兵は肉片を飛び散らせながらその場に倒れた。
一方的な戦いだ。とホシノは思う。
銃弾を止めて弾く。一体どんな仕掛けでそんなことが可能なのか分からない。分かることと言えば、見ていて気持ちのいい光景ではないということだ。
怪我をしていない警備兵は、カラスに恐れをなして逃げ出した。銃をその場に放り投げ、仲間を見捨てて両手を上げながら出口に向けて走り去る。
カラスは戦える人間がいなくなるのを見ると、再び歩き出した。ホシノはカラスが横を通り過ぎる際に、睨みつけながら言い放つ。
「やりすぎじゃないですか?一体何の目的で、こんな」
仮面越しに見える冷たい瞳がホシノを一瞥する。
「お前と同じさ」
「――は、はぁ?」
ホシノは惚けた声をあげる。意表を突かれて頭の中が真っ白になったが、我に返って続ける。
「どんな理由があるにせよ、もっと穏便なやり方があります!」
「俺はお前ほど優しくはない。それにお前には、他にやらなければならない事があるんじゃないのか?」
そう言ってカラスは頭上を見上げた。
刹那、轟音と共に天井が崩れ落ちた。ホシノは反射的に目を閉じて、頭を抑える。
痛みを覚悟した。場合によったら押しつぶされる可能性もある。ホシノはぎゅっと目を瞑り、死なないようにと祈った。
だがいくら待っても不思議と瓦礫は降ってこない。ばかりか砂が頬を叩くことさえなかった。どうしたのかと閉じた瞼を開けて確認する。
薄青い半球がホシノの周りを囲っていた。半球によって瓦礫も砂も防がれているようだ。
『カラス、感謝する』
砂埃の中で鮮明に見えるスピカがカラスに言った。
これはカラスがやったのか。ホシノか疑問に思っている内に瓦礫の中から神霊が顔を出した。
その神霊の顔を嫌でもホシノは覚えていた。
ハダルだ。
『ソウガ、出番』
スピカの声が檄となり、ホシノは身を強張らせた。
怒りと殺意が湧き上がる。腹の底が熱を帯び、体全体を熱くさせる。
ホシノは小さく息を吐く。激情を殺し過ぎないように、少し吐くだけでやめる。その少しがホシノの頭を冷静にさせた。
ハダルがホシノの方に頭部を向けた。モイラの声が耳に直接聞こえてくる。
〈時を遡ってまで娘を救いにくるとは、人間の欲深さとはこれほどのものか〉
氷のように冷たい声にホシノは一瞬たじろぐが、気を強く持って声を飛ばす。
「お前を倒すためなら、どんな手段も使うさ!」
モイラはしばし沈黙した。砂塵が床に降り積もり視界が通るようになった頃、ハダルの頭部に付いた鮮血を思わせる赤いカメラに照明が点る。砂塵という障壁を失った中で、真っ直ぐ威圧するような光だ。
〈良いだろう。他世界を渡り歩けるその力、やがて多元宇宙に災いを呼び込むこと必至。不安の目はこの我が詰んでやる〉
ホシノはカラスが作った半透明の半球から外に出て、ゼーベリオンの名を呼んだ。遺跡を突き破り、轟音と共に現れた巨大な卵がホシノの後ろに降下する。
ホシノはゼーベリオンに搭乗しようとハダルに背を向ける。入れ替わる形でカラスが一歩前に出る。操縦室に入るホシノの背中から、カラスとモイラの話し声が聞こえてきた。
〈貴様もあの子供の仲間か?〉
「お前に説明してやる義理はない」
〈
「残念だが時間的に無理のようだ。それはこいつに任せよう」
会話が終わると足音が鳴る。操縦席に座り前を向くと、カラスがハダルの横を通り過ぎて出口に向かって歩いていた。
カラスが遺跡の外に出たのを見計らい。ホシノはゼーベリオンを発進させる。発進した勢いそのままに、ハダルにぶつかる。ゼーベリオンの体当たりをもろに受け、ハダルは後ろに押される形で遺跡の外に弾き出された。
ハダルの出力は瞬発力が遅いことをホシノはよく知っていた。単純な出力ならホシノの知る神霊の中でも一二を争う強さだが、最大出力を出すまでに時間が掛かる。そこを狙った攻撃だった。
足元のモニターに、慌てた様子の作業員達がテントから逃げ出している姿が映っていた。ここで戦うのはまずい。とホシノが思った時、スピカが声を上げる。
『ソウガ、前』
正面モニターに顔を向ける。画面いっぱいにハダルの鉄拳が押し迫っていた。
巨大な卵がハダルと戦っている。ルーシェは目の前で繰り広げられている光景に目を疑った。
ハダルの足元には作業員達が、叫び声を上げながら逃げ回っている。叫び声が聞こえる度、救わなければという責任感に駆り立てられる。しかし今は駄目だ。この丘で大事な仲間と待ち合わせをしている。動くわけにはいかない。
作業員達の無事を祈りながら、卵とハダルの戦いを見詰める。
ハダルが卵に向けて拳を振り上げる度に砂塵が舞い上がり、パンチを放とうと足を踏み込むと地響きが生じた。砂塵と地響きは逃げ惑う作業員を吹き飛ばし、転ばせる。踏まれないように、怪我をしないようにとルーシェは祈る。
卵は回転することで拳の軌道を逸らし、直撃を避けている。とんでもない反応速度と判断力だ。神霊の操縦に詳しくないルーシェでも、動きを見ればその凄さを分かる。
逃げ遅れた作業員達の最後の一人が遺跡から避難し、近くの森に隠れるのが見えた
ルーシェはほっとして息を吐く。何とか無事に皆生還できたようだ。卵がもっと逃げ回っていれば被害は大きくなっただろう。
思って、ルーシェははたと気がつく。もしや、避難させるために最小限の動きでやり過ごしていたのだろうか。ルーシェは気付いて産毛が逆立つのを感じた。周囲のことに意識を向けながら、高速で向かってくるハダルの鉄拳をやり過ごすなんて芸当、まさに神技だ。
卵が回転数を上げた。向かってくるハダルの拳を受け流すと、その勢いを回転速度に上乗せし前進する。高速回転しながらハダルに体当たり。ハダルは吹き飛ばされて遺跡の壁に背中から激突する。
「すごい!」
ルーシェは堪らず声が出た。声に出して初めて、自分が興奮しているのだと気が付く。ただの大きな卵。武器どころか腕や足さえないのに、あのハダルを翻弄している。
「気に入ったか?」
背後から声がする。ルーシェは声のした方を振り向く。
黒いコートを羽織った烏の面をつけ人物が立っていた。体格からして男だろう。とルーシェは推察する。思い至ると、自分が待っていたのはこの男だろうと合点がいく。
「とっても凄いのよ、あの卵。いったい誰が動かしているのかしら?」
男はちらりと卵の方を見ると、呟くように言った。
「ソウガ=ホシノ」
男の言葉に、ルーシェは海岸で会った少年の顔を思い出す。あの気の弱そうな少年があの卵を操縦し、神がかり的な技を見せているのか。思うと何故だか自分の功績のようで気分が良い。
「へぇー、あの子が。ソウガ……いい名前ね。気に入ったわ。うふっ」
「どうでもいいが、そろそろ時間だ」
男が腕を前に突き出す。突き出されたと同時に男の背後の空間に亀裂が生じ、穴が空いた。
ルーシェは一瞬驚いたが、自分が今まで経験してきたことに比べれば些細なことだと思い直す。
「ええ分かってるわ。全部」
男は頷いた。そしてコートを翻し、穴の中に入っていった。
ルーシェも穴へ向かう。穴の中に入る一歩手前で立ち止まり、もう一度卵の方を見る。
卵は空を浮き上がり、ハダルの後を追いかけて海の方向に飛んで行った。
遠のく卵に向けて、ルーシェは呟く。
「ば……い、い………わ…こ」
呟きは、風の音にかけ消された。
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