第十七幕 爆発と眩暈

「準備は良いか?」


 ジョンソンがアトリアの方を向いて言った。

 運命値研究所の敷地内に侵入したのは数分前のことだ。

 幼少期は塀をよく登った記憶があるが、同じ事を高校生になってもやるとはアトリアは思わなかった。


 ジョンソンの案内もあって、誰にも気付かれる事なく敷地内に侵入することは出来た。問題は建物内に侵入した後だ。流石に誰にも見付からずにホシノを探すのは無理だろう。そこでジョンソンは、運命値研究所の発電機を爆破させ、混乱に乗じてホシノを救う事を提案してきた。


 ホシノを救出する方法を、アトリアは他に思いつかない。ただジョンソンの案を実行に移せば、後戻りはできないだろう。

 爆弾はすでに設置してある。停電させることが目的のため、爆発規模の小さな爆弾だ。後は自分の気持ち次第。


 アトリアはすっと息を吸い、一度心を落ち着かせた。

 冷たい空気が肺を満たす。体温で温められた空気が、吐き出す事で白い靄となって空を舞う。

 季節外れの雪が降り積もり、新雪となってアトリアの足元の体温を奪った。足が冷たい。けれど踏み出さなくては足は冷える一方だ。


「行きましょう」


 アトリアは研究所の裏口に向けて一歩進む。新雪を踏む締めるしゃきりとした音が、しんしんと降る雪景色の中で静かに響く。

 ジョンソンは頷き、ポケットから起爆スイッチを取り出した。

 スイッチが押されたと同時に、鼓膜を揺さぶる大きな音がする。

 しばらくすると研究所から兵士や職員が外に飛び出してきた。


「行くぞ」


 ジョンソンの後を追い、アトリアは新雪を踏みしめ前に進む。

 やがて研究所の裏口に到着すると、パスコードを使って裏口を開けて内部に侵入する。

 研究所の内部は非常灯が灯り、薄暗い照明の中を職員達が焦り顔で走っていた。

 上の階から降りてきた職員が、不安げな表情で周囲に何が起こったのか尋ねている。


「坊主がいるのは下の階だ」


 ジョンソンとアトリアは誰もいない地下に続く階段を降りる。


 地下に足を踏み入れた時、アトリアは眩暈を感じた。

 気持ちの悪さに、堪らず目を瞑る。天井からは耳につんざく火災報知器の音が鳴り響く。何かと思って目を開けた時、最初に恐怖で歪んだ職員の顔が見えた。何人もの職員が悲鳴を地下から上がってくる。踊り場は職員達でごった返し、喧噪としていた。

「本当に行くのか?」


 ジョンソンが階段を見下ろしながら尋ねてきた。

 アトリアは何の事か、何が起きているのか分からなかったが、ホシノを救うと決めた今、躊躇う理由が思いつかなかった。


「当たり前じゃない」


 ジョンソンは頷き、人の流れに逆らって階段を降りる。アトリアもジョンソンかき分けた人波を下る。地下に足を踏み入れた瞬間、さっきよりも何倍も大きい轟音が鳴り、地下が激しく揺れる。


「今のは何?」

「何を言ってる。爆発だろう? 爆発が予想よりも大きくなって、火災が発生したんだ。何かに引火したのかもしれんと、さっき話しただろう」


 覚えのない話にアトリアは驚いて目を瞬かせた。


「そんな、聞いてないわ! ソウガ君は大丈夫なの!?」

「分からん。発電機を壊す程度の小さなものを設置したはなのに、なんで……」


 二人は知る由もなかったが、ジョンソンが仕掛けた爆弾は、ホシノの巻いた粉に引火して粉塵爆発を起こして規模が大きくなったのだ。爆弾は地下に届くほどの規模ではなかったが、爆破の瞬間風が吹き、炎が流れてしまったのだ。

 火災報知器の五月蝿い音が、アトリアの真上で鳴り響く。長い間聞いていると、聴覚がおかしくなるどころか、気まで狂いそうになってくる。

 背後から、微かに何かの音がする。

 後ろを確認すると、防火扉のシャッターが自動的に閉まり、上に登るための階段を塞いでいた。


「くっ、どうなってやがるんだ。まだ人がいるってのに!」


 ジョンソンが焦りと怒りで苛ついているのかシャッターを叩いた。がしゃんとした薄情な音が辺りに響く。

 アトリアは状況の変化についていけていなかった。目を瞑っている間に、長い時間が経ってしまったような感覚がした。


「そっちの扉は閉まったのか!?」


 アトリアが動揺を押し殺そうとしている間に、廊下の方から兵士が二人やってきた。兵士のやってきた廊下の奥は、黒い煙て覆われている。


「俺の後ろに隠れろ」


 ジョンソンに耳打ちされたアトリアは、さりげなくジョンソンの後ろに隠れて顔を隠す。


「ここからじゃ上がれないみたいですよ」


 ジョンソンが声を変えて対応する。


「一体どうなっているんだ。避難もろくに終わっていないのに、防火扉を閉めるなんて」


 そう言いながら、兵士達が近付いてくる。目の前まで来ると、流石にジョンソンと気が付いたのか目を大きく見広げた。


「お、お前は!」


 そこからジョンソンの動きは早かった。流石名うての傭兵と言うだけあって、まずこれ以上欺くのは無理だと思う判断が早かった。

 即座に目の前にいる兵士の鳩尾に拳を打ち込むと、瞠目している兵士に切迫する。

 兵士は慌てて銃を発砲するが明後日の方向に銃弾は飛んでいき、ジョンソンの飛び蹴りをもろに受けてその場に倒れこんだ。


 ジョンソンは兵士の小銃を奪い取ると、肩に担ぐ。


「銃声を聞いて他の兵士が動くだろう。さっさと移動するぞ」

「この人達はどうするの?」

「置いて行く。ここまで火が回る前に誰か来るさ」


 ジョンソンは西の方角の廊下を進む。アトリアは倒れた兵士を引っ張って、隅っこに寄せてからジョンソンの後を追った。


 奥に進む度に煙は濃くなり、熱気が肌を焦がす。暑さで汗が湧き、汗でぬれた新品のシャツが肌に張り付く。


 アトリアは制服の袖で、鼻と口から入る煙を遮るようにして中腰で歩いた。

 煙も炎も一向に鎮まる気配がない。火災時に動くはずのスプリンクラーや、消火ロボットが起動すらしていない。発電機を壊したことが影響しているのではないかと考えたが、ジョンソンに否定される。


「緊急時の電気は別の場所から供給されるはずだ。発電機の爆破が原因じゃない」


 しかし爆破が原因で火災が発生したのなら、どちらにしろ同じ事だとアトリアは思う。未だに爆発がなぜ大きくなったのか理由が分からないが、自分の決断が多くの人を危険に晒しているのだと思うと胸が痛くなる。だからと言って、ホシノを見捨てることもできないアトリアは、ただ死者が出ない事だけを祈る他なかった。


 侵入するにあたって、ホシノが居そうな場所にはある程度目処を立てている。

 ――西の実験場。そこなら様々な実験を行うのに十分なスペースがある。フレッドならホシノをそこに連れて行く可能性が高かった。


 しかし西の実験場に行くための道は火柱でふさがっており、南から迂回しなくては辿り着けそうにない。

 仕方なく南の廊下を進もうとT字の角を曲がった時、煙の中から銃弾が飛んできた。直ぐ様後退し、壁の後ろに隠れる。


「今一瞬見えたのはジョンソンとアトリアだろう。隠れる必要はない、君達がここにいるのは分かっている。何せジョンソンにはここを去る時に、アトリアにはコテージで発信器を付けさせてもらったからね」


 男の声が聞こえた。誰なのか確認しようとアトリアは壁から顔を出した。煙の中からフレッドらしい人物と、兵士と思われる数人の影が見えた。

 兵士の影が動くと銃弾が飛んでくる。


「ひゃ!」


 煙で視界が悪いのか精度を欠いた銃弾は、廊下の壁に穴を開ける。

 アトリアはジョンソンに制服の襟を掴まれて、後ろに引っ張られた。そして目の前を通り過ぎた弾丸の残響に動揺して息を乱す。


「今のはアトリアか? この煙だ、ダリウスとの約束があっても君を間違えて殺してしまうかもしれないよ」


 フレッドの声を聞いて、アトリアは歯を食いしばる。やはり父がコテージの場所を漏らしたのだ。自分の為を思っての事だろうが、やり切れない。

 ジョンソンの方を見ると、アトリアと同じ様に険しい顔をしていた。アトリアはジョンソンが険しい顔をする理由がすぐに理解できた。


 西の実験場に行くには、この廊下を通らなくてはいけない。しかし通ろうと思えば蜂の巣にされ、手をこまねいていても火災は広がる上フレッド率いる兵士に捕まってしまう。今の状況はとても不味いのだ。


「俺が銃で牽制してる間にお前はあの部屋に入って、反対側の扉から出て西の実験場に向かうんだ」


 ジョンソンが顎で十メートルほど進んだ所にある扉を指す。全力で走れば五秒と掛からない距離だが、銃弾の雨に打たれるかもしれない恐怖は拭いきれない。


「なるべく人は殺さないでね」

「善処するよ」


 アトリアは頷き、タイミングを見計らう。

 二人がいるT字廊下の向かい側では火の手が上がり、燃えた紙切れが飛んできてアトリアの前を横切った。炭になった紙切れが、床に落ちてパラリと崩れる。

 それを合図にジョンソンが、小銃を構えて飛び出した。

 アトリアもジョンソンに合わせて彼の背後から迂回する形で扉に向かう。


 ジョンソンが銃を乱射する。

 煙で視界が悪いため弾丸は空を切るだけだが、牽制としては効果があった様で、乱射している間兵士達の反撃はない。

 アトリアは全力で駆けていた。汗がスカートの裏にへばり付き、太ももを上げる度に気味の悪い感触がしたが、無我夢中で駆けた。


 扉の前に到着すると急いでドアノブを掴む。

 熱を吸収したドアノブは、握るとジリッとした熱さで掌を焦がした。しかし一秒が命取りになり兼ねない今、怯む余裕もなかった。


 ドアを開けると部屋に飛び込み、急いで部屋の中を駆ける。ドアノブを握った時に火傷した掌が今になって痛む。アトリアは苦悶の表情をしながら、地面を蹴り上げることで痛さを晴らす。

 部屋の中には火の手は回っていない様だ。アトリアは安心しつつ、けれど急いで反対側のドアを目指して走る。

 ちょうど部屋の真ん中辺りに到着した時、またもや眩暈が起きた。


「こんな時に!」


 今、目を閉じるわけにはいかない。

 アトリアは、目を閉じずに我慢して眩暈をやり過ごそうとした。すると視界が歪み始め、明滅する光が眼球を刺し、やがて暗闇が訪れた。

 もしかすると目が潰れたのかもしれない。アトリアは不安になりながらも走り続ける。


 しかし走っても走っても、一向に前に進む気配がない。四方八方上下が暗闇で、光といえば赤青緑等のカラフルな光柱こうちゅうが遠くの方に見えるだけだ。

 ふっと、背中に恐怖を感じた。徐々に恐怖は増し足が震えてくる。

 後ろに何かいる。しかもただの人ではない。強烈な邪念を放つ何かだ。


 アトリアは恐る恐る振り返る。

 そこには、見覚えのある神霊が立っていた。ダリウスが溺愛している黄金の神霊ハダルだ。

 その神霊の前に大きな黒い影。頭の方に光輪が浮かび、背中には灰色の片翼を生やしている。子供の頃にアトロポス遺跡で、死神と間違えた柳の木とその性質が何処か似ていた。


 黒い炎はハダルの中に入る。するとハダルは黄金から灰色へと色を変え。頭部についた目のような赤いカメラを光らせて、アトリアを見た。

 アトリアは震えた。足が震え、手が震え、恐怖が下腹部の筋肉まで緩めようとした。

 次の瞬間ハダルは消えて、アトリアは四方が炎に囲まれた部屋の中に立っていた。

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