未来へのマイ・マリッジ

そして次の明日が始まるのです

 平成21年3月17日。


 とあるJR駅から徒歩数分の、繁盛してるんだろうな、と思わせる大きな建物。

 その、やけに調度品の豪華な一室で。

 白衣を着た精神科の先生は、大型犬を思わせる風貌を特に崩すこともなく、淡々と私に告げました。


「貴方は、いわゆる鬱病ですね」

「うつ、ですか」

「治療にはかなり時間がかかります」

「はあ……」


 そうだったのか。


 風邪が治らないなあ、悪い考えが頭を離れないなあ、などと思っていたのですが、まさか本当に「うつ(旧型)」だったとは。先生の話では、私はウツになりやすいタイプとのこと。そう言えば過去にも精神状態が不安定になって、周囲に迷惑をかけたことがあったし……


 ハニーごめん、ハニーごめん、ウツになっちゃったよ……


 そんなことを考えながら私は駅のホームに立っていました……

 快速電車が目の前を、轟音と共に恐ろしいスピードで駆け抜けていきます。


 そのとき。


 VTRの静止ボタンを押したかのように、一枚の写真に変わったかのように、快速電車が、ぴたり、と止まりました。同時に轟音も消えて。


「いまどんな気持ち? ねえ、いまどんな気持ち?」


 快速電車の前に立ち、邪悪な仮面マスケラ・カッティーバが、語りかけます。


「あーあ、せっかく内定もらったのに、これじゃ辞退するしかないな!

 本当にお前オレは情けないヤツだ。まわりが思っていた通りだな!」


「まわり、って……」


「おいおい、とぼけるなよ。親も、兄弟も、旧友も、先輩も、飲み仲間も、

 親戚も、みんな、みんな、みーんな思ってたぜ! 最初から思ってたぜ?

 判ってるんだろう?」


「何を思ってたんだ……」


「親からもらった温室で、ぬくぬくと暮らしてたヤツに、会社勤めなんか

 勤まるはずがない。甘い。甘すぎる。気に入らない。そう思われてたぜ!

 いいかオタク野郎、社会の荒波は厳しいんだ、こんなに働き者の私たちが

 努力して努力して生き抜いているんだ、私たちは命がけなんだ偉いんだ!

 それをお前オレごときが生きていけるもんか、思い上がるな。

 ちょっとぐらい婚活でうまくいったからって、調子こいてんじゃねえ!

 ざまあみろ。みーんな、そう思ってた。思ってたのに決まってる!」


「そんなひどいこと、言われたことない……」


「言えなかったのさ。黙っていたんだよ。お前オレのことを気遣ってな!

 お前オレのような、妙なテストで点をとっただけの、ニセモノの優しさ

 じゃなくて、人の血のかよった本物のお優しさを持った素晴らしい素晴らしい

 人格者の皆さんはな!」


「……違う」


「どこが違うんだ? 言ってみろよ!」


「そうだ。ハニーは違う」


「なんだ、おい、近づくな…… 電車が来てるんだぞ、危ない!」


 私は、その両手を広げて、邪悪な仮面マスケラ・カッティーバ

 抱きしめました…… ハニーを抱きしめるように。


「やめろ、気持ちわるい! お前オレオマエなんだぞ!」


「……よく頑張った」


「えっ」


「ハニーならそう言う。他の人と違って。きっとそう言う。

 確かに俺はみじめで駄目な男だ。俺を悪くいう人はいる。確実にいるさ……

 でも、その中の何人が、心を壊すまで頑張れるんだ?

 その中の何人が、自分の心と体の限界を超えて頑張れるんだ?

 俺はやった。そこまでやった。ハニーのために。自分のために。

 少なくとも弱い心が壊れるまで頑張った。

 弱い俺フラジャイルなりの最善を尽くした。

 ただ、その限界が人より低かっただけ。ただ、それでも足りなかっただけだ。

 もう、それはどうでもいいんだ……」


「な、何をする気だ……?」


「まさあき」


 私は呟く。影の真の名を。


「よく頑張ったな。お前オレを、許す」


 快速電車が目の前を、轟音と共に恐ろしいスピードで駆け抜けていきました。

 私は自分の肩を抱いて、しばらく立ち尽くしていました……


「さあ、帰ろう。ハニーが待ってる……」


(……お疲れ様だったね)


 ハニー、愛してる。


 そして、次の明日が始まるのです。

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