平和のための戦争
プップー!
後ろの車のクラクションに急かされて、すでに信号が青に変わっていることに気付きました。運転しながら、考え事をしていたのです。
平成19年、4月。
はあ、とため息をついて、私は車を近くの公園へと走らせました。配達エリアにある公園や公衆便所はすべて把握しています。
葉桜の下で、少し休むか……
お目当ての公園に到着しようとする直前には、ちょうど道路の工事現場があり、警備員が指示灯を振って誘導しています。ブレーキを踏みながらぼんやりとその指示灯を見ていた私は、ふと、その動きがピタリ、と空中で静止するのに気付きました。止まっているのは指示灯だけではありません。対向車の流れも、通行人も、ラジオの音声も。
ま……さ……か……
私はギギギと音を立てて首を横に向けました。いつのまにか助手席で、でかい腹を突き出して、ふんぞりかえっていたのは……
「そう、
(えーっ!)
「お、おまえは消えたはずだ」
「
「人々……って、他の人は関係ないと思うけど」
「で、どうするんだ?」
「どうするって、何が」
「とぼけるな。このままだと、どうなるか。予想がついたんだろう」
「な、なんのことですかな」
「このまま立て直しの話を続けると、母さんは気付くぞ。
ハニーに店番やらすべきだ、それが常識だ、あるべき
おい、結婚前のハニーの年収はおまえより上だったよなあ?
問題はお金だと言うのに、愚かにも稼ぐ能力のあるほうを潰す……
馬鹿まるだしだ! しかも、それだけじゃすまないぞ?
『若い夫婦(プッ)が取り組むんだから、これでもう大丈夫ね』と安心して、
同居に加えて、当然のように、今までと変わりない援助を要求するぞ!」
「……援助じゃない」
「援助だよ、誰が見ても。最終的にお金を出しているのは誰だ?
まあ、母さんと兄弟たちなら、そのお金を貯められたのもパパのおかげ、
なーんて、ブラック企業の社長みたいなセリフを言うだろうけどな!
そしてついに、ありふれた結末がやってくるのさ」
「ありふれた……結末……」
「裕福な親に過剰な親孝行をして、嫁に愛想をつかされる。よく聞く話だ!」
「もっと話し合いをすれば……きっと……」
「話し合いが成立すると、おまえは本当に思っているのか?
兄弟たちだって本音じゃそんなことは思ってないぞ?
絶対に思ってないぞ!?
なのに、
本当に思っているのか?
本当に、本当に思っているのか!?」
「お、俺はハニーを愛してる! 親だって、そうだ……」
「じゃあ、何もせず、ゆっくり死んでいってね」
そして
時はまた動き出す……
ラジオの音声や車道の喧騒が再び騒ぎだし、警備員の指示灯が振られ、車の列はのろのろと走り出す。私もまた、ぐい、とアクセルを踏んで先へと進む。
その胸に、新たな決意を秘めて……
「こんな現状だってこと、知ってたのか」
父の問いかけに、母は無言で答えました。
「そう、だから、」 私は話を続けます。
「店を閉めるしかないんだ」
平成19年6月。会社決算のとき。
私は廃業を決意したことを、両親に告げたのでした。
数字を挙げ、グラフを見せ、統計を持ち出して、ひとつひとつ可能性を潰し、
廃業しなければどんな未来が待っているか、丹念に正直に説得したのです。
はっきり言って、私は両親の「常識」を見限りました。
損害が少なくても容認できない「非常識」より、多大な損害があったとしても容認できる「常識」を求める。
両親を尊敬し愛していることに変わりはなくても、そういう愚かな人間だろう、と決め付けたのです。
『貴方たちは、たとえサバイバルの方法があっても、それが不愉快ならそれを選ばない人間だ』、と。
何という親不孝者……!
そして私は、ふたつの事実について、黙っていました。
ひとつは、廃業しないで済む延命案がある(前話参照)、ということです。
なんといっても、まだトータルで赤字にはなっていません。返すあてのない借金だってしていません。現金のプールが難しくて将来が危ないというだけのことで、商売を続ける意味はまだあったのですから。
でも、ここで延命案を口に出してしまったら、その案を実行したいがために、自分の好きなことをしたいがためだけに、間接的に脅している、と、取られかねない恐れがあります。
この案を聞いた兄弟たちも、きっとそう思うことでしょう。
後日確かめた、兄弟たちの実際の反応は、やはり私の思った通りでした。それも仕方がないことです。彼らは私が私のお金を会社に入れていることも知らなかったのですから。
まあ、自分の経営下手の証拠なんか言うつもりもなかったけどね!
ただ、兄弟ではなくて両親ならば。
ひょっとしたら、逆に母のほうから話を持ち出して、延命案をやってもいい、と言うかも知れない、と期待していました。
ひょっとしたら、父が、何をやってもいいから店だけは潰してくれるな、と言うかも知れない、と期待していました。
忘れているのか、意地でも言いたくなかったのか、母は何も言いませんでした。
言いたくなかったのか、すでに任せているつもり(いいえ!)だったのか、父もまた、何も言いませんでした。
ふたつめは、私の本当の思いです。
私はウソをつきませんでした。店が危機的状況にあったのは確かですが、防ぐ手段はあったし、慣れ親しんだ店を辞めたくなかった。それでも閉める必要があった。
なぜなら、本当は、一番の理由は、愛する人たちが、ハニーと母が諍いを起こすのを防ぎたかったからです。そう、私は。
嫁姑戦争を回避するために
「一年かけて、店はやめる。そうすればお客さんには迷惑はかからない。
それから自分は転職する。うまくいくかどうか判らないけど、やる。
……大事な店をつぶしてしまって、ごめんなさい……」
父も母も無言でした。それは了承の証なのでした。
(あー、聞くだけでくたびれた……シャワってくる……)
ごめんね。
ハニー、愛してる。
そして、うつと診断されるまで、あと1年と9ヶ月。
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