オーハッピハッピーイェイェイ

 Iさんは、私がZに在籍していたとき、マッチングから初めて2回以上実際に会い、そしてもっとも長くつきあった女性です。

 彼女に会ったとき、Zでの婚活は2年目に突入していました。

 平成16年の夏のことです。


 彼女は最初から、今までの女性とは違っていました。


 私の言うことを一言も聞き漏らすまいと見つめる切れ長の目。

 割りとクールな態度でしたが、それでも私の誘いを断ることはありませんでした。

 色白で華奢、趣味が豊富で、仕事がデキることをうかがわせる機知に富む会話。

 私の家から車で20分ほどの場所に住んでいることも、運命を感じさせました。


 2回会い、3回会い、深夜まで電話で話しました。


 彼女の同意を得て、ふたりともZを3ヶ月休会することにしました。

 このときの私はそのレベルに達してはいませんでしたが、Zの活動においては、4又5又は当たり前です。したがって真剣なおつきあいに移行するためには、休会が必須となるのでした。


 つまり、同時休会は、貴方と真剣に結婚を検討します、という、決意表明に他ならないのです!


 やっと……やっと、むくわれる時がくる。いままでの苦労が実るのだ!

 こんな俺にも、ついに!

 人生の春がやってくるのだ!!


 そう思いました。


「先輩」にも、旧友のKにも、もちろん両親にも、

 どうやらうまくいきそうだ、と話しました。

 旧友のKは「よかったじゃないか!」と一緒に喜び、

 先輩は半笑いで「君はツメが甘いんだから、気をつけなよ」と言いました。


 両親が手のひらを返した態度(5話参照)をとったのは、このときです。

 でも、すぐに母は「きっとうまくいくよ、あなたはやさしいから」と言い、

 父はボソっと、「何でも好きなもの買ってやれ」と言ったのでした。


 ふたりの家の中間地点あたりに新しくできた、ド〇キホーテのあるショッピングモールに行き、足つぼマッサージを受けて仲良く悲鳴をあげました。

 繁華街に行き、辛い中華にトライして涙ぐみました。

 マ〇ー牧場までドライブして、一緒に羊をモフモフしました。

 私の収入についての微妙な点を話しても、彼女は頷くだけでした。

 手をつなぐだけの「つきあい」でしたが、そばにいるだけで何だか喜びが沸いてくるのでした。


 有頂天、という言葉は、このときの私のためにありました……


 ただ、当時の私には、自分の気持ちを振り返ってみたとき、少し気になることがありました。


 決してIさんを「好き」ではなかったからです。

 もちろん彼女を嫌いではありませんでした。尊敬していました。

 Iさんでなきゃダメだと思っていました。

 ずっと一緒にいたい、大事にしたい、と、心から思っていました。

 性的な魅力も感じていました。でも、その点においては自制していました。

 30代のころ、旧友Kに紹介された専門大生のJさんと、初回デートで暴走チュウのあげく気まずくなったトラウマがあったからです。


 私は、いま好きでなくとも、愛していなくても、そのうち何とかなるだろう、と思っていました。

 もともと、現実の異性に対して「あこがれ」とか「欲しい」とか思ったことはあっても、「好き」という気持ちは持ったことがなかったから、私はきっとそういう人間だと思っていました。そして、私は親や兄弟を選んで生まれたのではないのに、彼らを愛することができている、という自信がありました。


 彼女と結婚すれば、一緒に住んで毎日顔を合わせれば、きっと愛情は溢れるように湧いてくるに違いない。


 そりゃあ、自由リバティな人がいい、って望みはあった。でも彼女が実はそういう人かも知れないじゃないか。そうでないとは言い切れないし、その点は「大人」にならなきゃ。それに、結婚相談所で相手を見つけるってことは、誰だってこの程度の「妥協」はするもんだろう? 

 いや、むしろ俺はずっとマシなほうさ。

「他に相手がいないからしかたない」なんて言わないんだからな!


 そう思っていたのです。本当にそう思っていたのです……


「私たちはもっと、お互いのことを知るべきだと思います」


 休会期限の3ヶ月が終わるころ、彼女のその言葉に同意して、もう3ヶ月休会することにしました。もう平成17年になっていました。私たちは深い関係になることはありませんでしたが、大人にとって必要な、かなり突っ込んだ会話もしました。


 私は彼女に、自分の仕事をしているところを見せました。仕事用車の助手席に座ってもらい、私の活躍を見てもらったのです。

 電話番をしている母からの無線連絡を受けて、笑顔で商品を配達する姿を。


「とっても頑張っているんですね。ところで……」


 彼女は車に設置してある無線を指差しました。


「この連絡って、結婚したら私がやることになるんですか?」

「君が、やりたくない、って言わなかったら、そうなるかな」

「ふーん、そう……」


 Iさんの態度が、ぎこちなくなったのは、この頃からです。

 将来のことや、お互いの家族のことを話題にしようとすると、なんとなく避けるような姿勢を見せるようになりました。


 私は焦っていました。どうしたんだろう。

 彼女は何を考えているんだろう。

 俺のこと嫌いになった?と遠まわしに尋ねても、


「そういうことじゃないんです……」


 と、言葉を濁してしまうのでした。

 そして、2回目の休会期限が近づいたとき、私は言いました。


「はっきりしてほしい。お互いの時間をムダにしていると思う。話し合って、これからのことを決めよう」

「わかりました」


 このときの私はまだ、楽観視していました。


 ひょっとしたら、他の男を好きになったのかも知れない、という考えもありましたが、Iさんならちゃんとそれを私に告げるだろう、という思いで打ち消しました。

 きっと何か、取るに足らない誤解があって、それが心に引っかかっているだけに違いない。

 もう3ヶ月休会して、その間に誤解があればそれを解き、悪いところがあればそれを直すことができるはずだ。私が言葉を尽くせば、きっと私の思いを判ってくれる。

 Iさんを決して手放したりするもんか!!


 そう思っていたのです。本当にそう思っていたのです……!


 ド〇キホーテのあるショッピングモールから、ほど近いファミレスで。

 冬コートを脱いだIさんは、言いにくそうに言いました。


 貴方が嫌いになったのじゃない。だから貴方に問題はない。

 ただ私自身が、どうしても気になってしまうことがある、と。


「私……尻鳥さんと結婚したら、言いくるめられて……」


 切れ長の目を私からそらして、彼女は言葉を続けました……


「……カゴの鳥に、なってしまいそうな気がするんです」



「……え?」






 ハニー。

 ハニー、聞いてる?


(……今日は聞きたくなかったな)


 ごめんね。ハニー、愛してる。

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