結婚は冥土の旅の一里塚

あのウェディング・ベルを鳴らすのは

「この手を離さないでくださいね」


 平成18年7月23日。


 言われるまでもなく、ハニーは私の腕をしっかりと掴んでいました。

 ホテルの介添えさんは微笑みながら言葉を継ぎます。


「あらまあ、仲のよろしいことで。照れてしまいますわ」


 ファンシーな扉の向こうには、ふたりを祝う人々が席についているはずです。

 自作の真っ白なウェディングドレスにその長身を包んだハニーは、夢見るように美しく、こんな素晴らしい人と結婚できる幸せを噛み締める私でありました。

 扉が開き、結婚行進曲が響く中、音楽に合わせて一歩ずつ、ハニーと共にバージンロードを歩む私は、ある思いに胸震わせていました。


『痛い……』


 私の身長は165cm、ハニーは164cm。髪を盛った新婦に合わせるためか、私の靴の中敷のカカト部分にはとんでもない厚みがありました。超シークレットなシューズだったのです。そして、貸衣装の靴はキツくならないように大きめサイズ。

 すると、どういうことが起きると思いますか?

 足裏がすべり落ちるような感覚と共に、当時の私の体重102kgが爪先にかかって、恐ろしく痛くなるのです。


 後でつくづく思ったのですが、ハイヒールを履ける女の人は、本当にすごい。

 こんな痛みに耐えられるのだから。


 好きで履いてる?

 いや、そういう文化をつくりあげてしまった男にも責任はあるはずです。

 ハイヒールは、現代の纏足てんそくかも知れない……

 そんな妙に高尚なことまで考える痛みだったのでした。


 しかし、そんな痛みも、そのときの私には役に立っていました。

 気絶するかと思うほど、緊張していたからです。足の痛みは気付け薬のように、私にヘタることを許しませんでした。


 神父さんが遠くに見えてふらつきそうだわ!


 当時の写真を見ると、ハニーはときおり微笑みを浮かべるのに対して、私はずっと顔が強張っているのが判ります。

 私が微笑むことが出来たのは、ひと仕事終わってチャペルを退場するときでした。


(仕事じゃないから!)


 写真撮影を終え、さて披露宴。

 ご参考までに、私たちがどんなことを行ったか、当時の全台本を記載しましょう。

 なお、ホテル側の進行の人はいても、司会はいません。私が仕切りました。

 進行の案内に従って、着席するところから始まります。


 ※ご注意 本番ではダーリン・ハニーじゃなくて本名を使ってますよ!


 ******


 ダーリン/本日はようこそおいでくださいました。

 あいにくの空模様のなか、お集まりいただき、誠にありがとうございます。

 新郎のダーリンでございます。


 ハニー/新婦のハニーでございます。


 ダーリン/さっそくではありますが、まず私の父に挨拶をお願いしたいと思います。

 父は、私が結婚に関してのんびりしすぎたことを、長年、気にしておりました。

 ついにこのときが来ましたよ、お父さん。それではお願いします。


 ****** ダーリンパパのスピーチ


 ダーリン/ありがとうございました。息子として、身に沁みる言葉でございます。

 さて、ここで、乾杯を賜りたく思います。

 乾杯の音頭は、ハニーにとって憧れの親戚のお姉さんであったという方に

 お願いしたいと思います。

 それでは、新婦のいとこ、〇子様、ご発声よろしくお願いします。


 ****** 乾杯タイム


 ダーリン/ありがとうございました。

 さて本日は、ささやかではありますが、心づくしの宴席をご用意いたしました。

 皆様、ご歓談とお料理をお楽しみください。


 ****** 歓談タイム


 ダーリン/さて、お食事の途中ですが、ここで祝電をご披露したく思います。


 ****** 進行の人が祝電を読む


 ダーリン/さて、これより私たちが、皆様のテーブルまで、ご挨拶に回りたいと思います。


 ****** 挨拶回りの後、歓談タイム継続


 ****** 退場時の挨拶


 ダーリン/あらためましてご挨拶を申し上げます。

 本日はお忙しいなかお集まりいただき、誠にありがとうございます。

 私たちがこのような幸せな時を迎えることができたのは、

 やはり皆様の支えあってのこと、深く御礼申し上げます。

 私たちの出会いは昨年の秋、とあるワインパーティでありました。

 ハニーさんとはじめて会った印象は、都会的でおしゃれな人だなあ、と憧れのため息をついたことを覚えております。

 そしておつきあいを進めるにつれて、期待にたがわず、

 彼女こそ理想の伴侶だと思うにいたりました。


 ハニー/私のダーリンさんの第一印象は、まずは、大きいなあ、というインパクトでした。そして彼が開口一番に、「よく、痩せてるって言われるんです」と冗談を飛ばした時、この人とは話が合うかも知れないと感じたことを覚えています。

 初めのうちは、現在のような展開を全く予想もせずにお会いしていたのですが、

 ある日突然、何だか雷に打たれたような感じで、彼が私にとって、

 かけがえのない人であると気付きました。

 しかも、あまり突然だったので、その後は熱に浮かされたような状態になり、

 しばらくは会社で大人しく仕事をするのすら大変な毎日でした。


 ダーリン/私たちは正直申し上げまして、若さあふれる年齢ではございません。

 しかし、年月とともに美味しくなるワインのように、

 おたがいを待ち続けたからこそ出会えたパートナーであります。

 とはいえ、結婚生活に関しましては、やはり初心者の二人でございます。

 皆様には今後とも、ご指導賜りますようよろしくお願いします。

 本日はありがとうございました。


 ハニー/ありがとうございました。


 ******


 これが、本当に全てです。いやー、シンプルですねー!

 待てよ、音楽のほうはどうしたっけかな……


(持ち込みCD1枚をリピートするだけならお金かからないって言われたでしょ、だからそうしたのよ)


 そっか。いやー、忘れてたよ。


(あなた打ち合わせのとき寝てたから)


 そうだったっけ? 確かイタリアオペラだったよね?


(バッハ)


 さ、さてその後の二次会・三次会も滞りなく進行して、同ホテルにて一泊。

 こうして人生の一大イベントはめでたく終了した訳です。

 いよいよ次回からは、楽しい楽しい新婚生活ですぞ。


(ダァーリン、暑いからってパンツ一丁はやめて頂戴)


 いま短パン履こうと思ってたのに言うんだもんな~

 ハニー、愛してる。


 そして、うつと診断されるまで、あと2年と7ヶ月。

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