君の名は、ハニー。/ダーリン。

 それは私が、夢見ていたこと。

 妻となる人に、絶対してほしかったこと。


 それが日本ではアブノーマルな「要求」だということは、判っていました。

 人によっては、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなるほどの行為だということも、判っていました。


 それでも。


 私はどうしても、彼女にそれをしてほしかった。

 彼女がもしそれをしてくれたら、私はきっと快感に打ち震えることでしょう。

 そう、彼女のその濡れた唇で、私を喜ばしてほしかった……!


 ダーリン、と呼んでほしかった……!


(はいはい)


 私が米ドラマに影響を受けた話は、すでに書いています。ダーリン、ハニーと呼び合う結婚生活に憧れていたことです。それなのに、いざ、こうして妻になってくれる人を得てみると、むう、と考え込んでしまいました。


 どうしたら、そう呼んでくれるだろう……?


(そんなふうに呼んでくれそうな人に見えないし……?)


 私のほうからまずハニーと呼びかけなければならないことは判っていました。しかし、自分で言うのも何ですが、これは相当恥ずかしい。しかも、タイミングを間違えれば、ドン引きならまだしも、笑われたあげく二度と持ちかける雰囲気を失ってしまう可能性があります。


 それでも、今の時期が最大のチャンスであることは明白でした。

 何せ、お互いの気持ちが通じ合った直後です。もちろん大人なので公共の場ではキスやボディタッチ等の一線を越えることはしませんでしたが、それでもイイ年をしたバカップルが人目もはばからずイチャイチャしているし、また、せずにいられなかったのですから。


 現在もあんまり変わらないけどな!


 当時の私たちは、こう言いあったものです。


 バカップルさんたち、ごめんなさい!

 今まで、あなたたちのことをバカにしてました。

 自分たちはそうならない、見苦しくないおつきあいができる、

 そう思い上がっていました。

 でも、自分たちもバカップルになってしまいました。

 本当にごめんなさい!


(反省しまっす!)


 深夜まで何時間も携帯で話し、料金がすごいことになりそうだったので、あわてて掛け放題のPHSを買いに走りました。手を握って見つめあうのに忙しくて、まともに映画も見れませんでした。


 今しかない……!


 私は考え、メール作戦をとることにしました。テンションの高いメールを送り、末尾にハニー、と付け足したのです。すると、彼女のほうから、


「ハニー、ときたら、ダーリン、だね!」


 とメールに書いて寄こしたではありませんか!

 いける。これはいける!

 そう思った私は、次は電話で話すときにも、ハニー、と呼びかけるようにしました。

 顔が見えないときは、少し恥ずかしいことでも言えるものです。彼女がダーリンと答えてくれるようになったの見計らって、今度は対面で。

 最初は冗談プレイを装ってでしたが、やがて彼女も答えてくれるようになったのでした。


 ハニー、と呼べぇば、ダーリン、と答ぇるぅ~


 こうして私は、夢のひとつをかなえたのでした。


 夫婦でこう呼び合うことを他人に話すと、ドン引きされることもありますが、中には尊敬のマナザシを向けられることがあります。

 また、夫婦生活にとって、とても良い効果がひとつありました。


 とにかくケンカがしにくい。


 私たちは意見の対立や機嫌が悪くなることもありましたが、10年間ほぼ一度もケンカすることはありませんでした。呼び方ひとつでケンカ防止になりうるとは思いませんが、多大な影響があったことは明らかです。


 意見の対立、についてもう少し書きます。


 夫婦というのは結局他人ですから、意見の対立はあって当たり前と私は思います。

 しかし、私たちは、おたがいの意見についてどのような傾向があるか、かなりよく知っています。それはもちろん、他の平均的夫婦に比べれば毎日長時間の会話をしているためなのですが……


(ええーっ、ぜんぜん足りないよっ)


 コホン。……ためなのですが、もうひとつ、意見交換に非常に役に立っていると思われる習慣があります。

 それは、新聞の「人生相談」をふたりで読むことです。


(ダーリン読んで読んで~)


 具体的には、こんな段取りで行っています。


 1.私が相談の文章を音読する。

 2.自分だったらどう答えるか、という観点で、意見を言い合う。

 3.私が回答者の文章を音読する。

 4.ふたりで回答者の答えを批評する。


 人間、自分の考えを話すとなると、どうしてもカッコつけたくなったり、都合の悪いことは隠したくなるものです。しかも無意識にそうしてしまうこともあります。

 しかし、会ったこともない他人の事情なら、遠慮なくホンネの意見を言ってしまうのです。


「親の気持ちとか言ってる割に、お金は出してないんだよね」

「私だったらさっさと家を出ると思う」


「この人はこの問題について、こう考えているんだな」というキタンなき意見が、比較的安全(笑)に聞けるというワケです。また、人には「地雷」のようにあまり触れてほしくない話題がありますが、それをなんとなく察する・さりげなく伝えることもできるのです。


 コツとして、おたがいの意見を否定しないことを意識してますね。

 で、そのぶん回答者を叩くのですよ!


「やっぱ男性作家ってダメだな~自慢ばっかでロクに答えてないよ」

「お金持ち様の考えよね~」



 さて、次回からいよいよ、結婚に向けて動き出します。


(ダーリン、ちゃんとハンカチ替えた?)


 もちろんだとも。

 ハニー、愛してる。


 そして、うつと診断されるまで、あと3年。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る