分水嶺もしくはシナリオ分岐

 分水嶺ぶんすいれい、という言葉があります。


 山中において川の流れる先が大きく分かれる分岐点のことですが、同時に、物事の行く末が決まる例えにも使われます。

 ゲーム的に言えば、シナリオ分岐といったところでしょうか。


 後から思い返せば、Lさんからの電話は、まさしく人生における分水嶺であったなあ、と思うのです。


「尻鳥さんとは、やっぱり結婚できません……」


 そう言ったLさんに対して、


 1. 別れを告げる。婚活としては合理的。プライドも保てる。

 2. つきあいの継続をお願いする。利益も見込みも少なく、情けない。


 このふたつの選択肢がありました。

 私の怒りや、Lさんを傷つけたくない思いはべつにしても。


 どちらにも選ぶ理由が、動機があり、

 どちらを選んでも、後悔と葛藤があることは、十分予想できました。

 人生にこのような選択肢が現れたときに頼りになるはずの、

 好き嫌いという名の羅針盤は、そのときの私にはありませんでした。

 どちらも、選ぶことが可能でした。選べる意思の力がありました。


 そして、先送りはできませんでした。


 そして、そのときの私は。


「Lさん、あのね……」


 ただ、そうしなきゃいけないんだ、という思いのままに……


「じゃあ、結婚のことを考えるのは、とりあえず止めよう」


「えっ……」

「ずっと友達でいてさ、10年くらいたったらさ、状況も変わっていると思うんだ。そのときおたがい相手がいなかったら、結婚するって、どうかな?」

「それでいいの? それじゃなんだか、都合がよすぎるけど?」

「それでいいんだ」


 

 次に会う約束をして、電話を切った後、私はずっと座って待っていました。

 自分の中にある、苛立ちと、やっちまった、という思いが静まるのを。


 そんなことなど、なかったように。

 Lさんと私の「おつきあい」は続きました。


 クリスマス・プレゼントにはスワ〇フスキーのアクセを用意しました。母が他人から貰ったお返し物カタログを、さらに私が分捕って(マザコンではないよね?セーフだよね?)、四葉のクローバーがモチーフの無難なデザインを選んだのです。

 西新宿の鳥鍋の店で、箱を開けたLさんは、目を輝かせました。


「わーっ、すてきなカギのデザインね!」

「えっ?」


 確かにそれはスワ〇フスキーのアクセでしたが、四葉のクローバーではなく、南京錠をモチーフにしたものでした。カタログにも存在していなかったものです。

 なぜそうなる。なぜよりによって「束縛したい」というメッセージがこもるアイテムになるのかなー! 

 幸い、Lさんはそんな意味など気付きもしませんでしたが。


 年が明けて、彼女の誕生日直前。誕生日プレゼントは「昔、こういうマンガ読んだ」という会話を思い出して、そのマンガの作者が同時代に書いた別の作品を何とか入手、Lさんに送ったところ、大喜びされました。価格的にはそれほどでもなく、オタクの面目躍如といったところです。


 そして、彼女の誕生日。

「先輩」と飲み仲間の飲み会に、Lさんを連れて行きました。

 時間が遅くなった彼女が「ひとりで帰れるから」と、先に帰っていた後、私は先輩たちから非難ゴウゴウでした。どうして送っていかなかったんだ、と。

 私は答えました。


「いやあ、そういうのじゃ、ないですから」


 

 Lさんとのおつきあいは有益でした。婚活のためのコミュニケーションの勉強ができるし、レベルアップの実感もある。

 そして何よりも楽しく、素敵なカノジョがいるかのような幻想にひたれる。

 でも、「そういうのじゃ、ないですから」……

 婚活相手のひとりではなく、あくまでもその意思を尊重すべき友人であるから。


 ……そりゃムリにでも送っていきたいさ。カレシづらしてみたいさ。

「いやあ、そういうのじゃ、ないですから」……


 そして次の月には、私の誕生日。私を祝う、というよりは、私をいじって楽しむ、という趣旨の、私の家での飲み会に、Lさんを招待しました。今回もまた、早めに帰ろうとする彼女を、こないだ色々言われたから、とか理由をつけて、駅まで夜道を一緒に歩いたのです。


「月がきれいだね」

「……そうですね」


 家に戻り、飲み会を続けて2時間ぐらい過ぎた頃。

 先輩が用意した超高級ワインを傾けながら、アニメやら特撮モノやらのオタク話に盛り上がっていると、Lさんから電話がありました。


「まだ他の人、いるの?」

「いるよ。何人かは泊まってく」

「じゃ、お話したいことがあるから、また明日の朝かける」


 電話を切った私に、先輩が問いかけます。


「Lさん、用件は言わなかったの?」

「言いませんでしたね」

「そういうの、やだねえ」


 先輩は「真顔」で言いました。「半笑い」ではありませんでした。


 ……なんと不吉な!


 明日の朝、私に何が待ち受けているのでしょうか?

 破局? それとも……



(ねえ、この陸上選手すっごいハンサム!)


 他の男の話をするやつは、こうだ! それそれっ!


(きゃはははははっ)


 ハニー、愛してる。

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