震えるな、瞳こらせ
「だから」という呪文
「ねえ、あの人、どうなったの」
昼食時、母が尋ねました。TVでは初老のMCが未来永劫そうであるかのように、今日も軽快なトークと共に記事パネルの張り紙をめくっています。
「……うまくいかなかった」
「えっ、なんで、だってあんなに……」
「……よせ」
そう短く言った父に、ちらりと視線を向けてから、私の目を見て母は言いました。
「がんばってるんだから、きっとすぐいい人が見つかるよ」
「そ……うダネ……タブン……」
それから、ろくに会話もなく、もそもそと食べる、親子の食卓。
もそもそもそもそ……
「仕事行ってくる」
食休みも取らず、車に乗った私の脳裏に、さっきの母の言葉が蘇る……
「がんばってるんだから、きっとすぐいい人が見つかるよ」
だから、だから、か……
いいかげんな台詞だ。あれでも励ましてるつもりなのかなあ……
んっ?
私はそのとき気付きました。「だから」という言葉のいいかげんさに。
パッパー!
後ろからクラクションを鳴らされ、あわてて私は青信号に変わっていた交差点を進みました。
そうだ、いいかげんだ!
がんばってる、だからって、結婚できない人は沢山いる。
〇〇だからって、結婚できている人は沢山いる。
そうか……「だから」って言葉は、いいかげんな、通り一遍の大雑把な言葉なんだ。
そんな自分の言葉に、自分で惑わされたりする俺って、弱いよなあ。
……いや、待てよ?
どうせいいかげんな言葉だったら、〇〇だから結婚できる、って開き直った冗談を言っちゃってもいいわけだよな。オタクだから結婚できる、なんてな。
ふふ……我ながら図々しい…… フラれておかしくなっちゃったかな。
第一、そんなの完全に間違っているじゃないか。
間違ってる。論理的に間違ってる……
だとしたら、論理的に正しい言い方とは……
あれっ?
パッパー!
いきなり急ブレーキを踏んだ私に、クラクションを鳴らしながら、後続車が追い抜いていきます。ゴウン、と商売物のボンベがぶつかり合う鈍い音が背後の荷台から響きました。
私は車を寄せて止め、身をよじってGパンの後ろポケットからぶ厚い伝票を取り出し、その裏表紙の白い厚紙に、いま思いついたことを、銀行からもらったボールペンで書きました……
震える手で。
だから、だから……
その言葉を書き、その前後に言葉を書き連ねました。Iさんがファミレスで言った言葉を思い出しながら。
「貴方が嫌いになったのじゃない。だから貴方に問題はない」
私の正体はともかくとして、Iさんはそう言ってくれた。そのとき「だから」という言葉は
だから、だから……
ファンタジー異世界に転生した現代人が、独自の解釈で異世界の呪文を唱えるかのように、私は「だから」という言葉を呟きました。そこに秘められたパワーが、疲れきった体に満ちてくるのを感じながら。
「だから」という
そして、何度も書き直した末に、伝票の裏に書かれたのは……
間違いなく、論理的に正しい、きわめて正確な、たった2行の文章。
私は〇〇だ。
だから私と結婚する人は、私が〇〇ではないから結婚するのではない。
あわててダッシュボードを開けました。転げ落ちる雑多なものに目をくれず、予備の伝票を取り出した私は、その裏に書き記したのです。
いま発見したばかりの、真理、その応用を。
私と結婚する人は、私が……
趣味がカッコいいのだから結婚するのではない。
高身長だから結婚するのではない。
痩せているのだから結婚するのではない。
うっ……
若いのだから結婚するのではない。
次男だから結婚するのではない。
上場企業勤めだから結婚するのではない。
ううっ…… ぐすっ……
一流大卒だから結婚するのではない。
高年収だから結婚するのではない。
一人暮らしだから結婚するのではない。
う……ふぅっ……ぐすっ……ふええっ……
(泣いちゃったのダーリン? あのときみたいに?)
そうだよ。あのときみたいに。
ハニー、愛してる。
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