人と、人でない存在を隔てるもの

第10話 アンドロイドの空虚な精神生活

「栗田さんは……ね、年内の……ふ、復帰は無理みたいです……」

 高本が青い顔で、相変わらずどもりながら言うう。

「そうか、気の毒に」

 出角はその話題に対してあまり興味を持つことができなかった。

 

 高本と出角は、JR環状線鶴橋駅のガード下、近鉄電車改札口で落ち合った。

 そろそろ夕刻も近く、乱立する焼き肉屋から漏れた香ばしい肉の焼ける匂いと煙たい空気が、昼なお暗いガード下に立ちこめている。

 戦後ほぼ100年、変わらない匂いだ。

 空腹の者は食欲を刺激され、そうではない者は胸焼けを覚える。

 出角は今そのどちらでもなかったが、高本は前者のようだった。

 昨日、モテギ電子の会議室でげえげえ吐いていたというのに、大した奴だ。

 出角はほんの少し高本を見直した。

 相変わらずこの鶴橋駅前のガード下商店街には至る所に万国旗が張り巡らされている。現在は存在しない国家の国旗も、その中にはいくつか見られた。

 

 ここ百年、太陽光線を浴びたことのない真っ暗な高架をくぐり抜け、JR線路沿いの道を並んで歩く。

 今は2045年で空を見上げればエア・カーが飛び交っている。

 だが、変わらない景色のなかにいる自分は客観的には骨髄液の遺伝子構造の微妙な差異と感情の表出の高低によってしか判別できない人工人間……アンドロイド達を追い、処分する役人、バウンティ・ハンターなのだ……出角はたまに、その現実を信じることが出来なくなる。

 

「……ア………アンドロイドの部屋をガ……ガサ入れても、な………なんも出て来んやろうって……す、杉本……け、警部が仰ってましたけど………」

「まあ、普通はな」歩きながら出角は高本の体臭を嗅がずに話す方法を発見した。口で呼吸すればいいのである「まあ、ちょっと気になることがあってな」

 

 そんなことは出角も判りきっていた。

 これまでに何度か、アンドロイドが一人住まいしていた部屋を見たことがある。

 

 アンドロイドには、精神的生活というものがない。

 

 彼らは部屋に花を飾ったりしないし、部屋にポスターを貼ったりもしない。

 音楽も聴かないし、DVDで古い映画でも観て暇をつぶすようなこともしない。

 当然読書もしないし、人間生活に溶け込むための必要最低限の情報を収集する目的以外では、テレビも観ない。

 当然、ペットなども飼わない……まあ愛玩動物の類のほとんどはアンドロイド達と同じような人工物なので、それをアンドロイドが可愛がるなんていうことはまったく馬鹿馬鹿しい話だと言える。

 言うなればアニメのミッキーマウスが、犬を飼っているようなものだ。

 

 よって、アンドロイドの一人住まいというのは、不気味なくらい殺風景である。

 

 当然、アンドロイドは機械人形ではなく生理学上は人間と同じ生物なので、食物を摂取し、排泄し、睡眠するが……人間と同じように、それらに快適さや快楽を求めることはしない。

 

 人間にとって食事や睡眠は生物学的に必要なことであり、これはアンドロイドにとっても同じである。

 しかし、人間は何を食べようかと悩み、出来るだけ旨いものを、出来るなら沢山食べたいと欲する。

 また、眠るにしても可能な限り快適で健やかな睡眠を得られるよう、着心地のよい寝間着を身につけたり安楽なベッドを求めたりする。

 人間は、生理学上必要な必須行動にも、その“質”の向上を求めて止まない。

 人によって程度の差こそあれど……言うなればそれが、「人間らしさ」である。


 反してアンドロイドは、それを全く求めない。


 一般的にアンドロイドは、ベビーフードのような栄養流動食を主食としている。

 これはアンドロイド関連用品を扱う専門店などに出かけなくとも、スーパー、街の食料品店、コンビニエンスストアなどで大変安価に購入することができる。

 事実、130円ショップ(2045年現在、消費税は30%である)でもノーブランドのアンドロイド用流動食は流通している。

 当然、これは人間も食べることができるが、味覚に対してアピールすることを全く想定して製造されていないので、その味は惨憺たるものだ。

 まあ、味覚というのは主観的なものであるから、全ての人間にとってそれが食えないほど不味い、という訳ではない。

 飢え死にするよりはまし、とばかりに事実それを主食として生きている低所得者も居るという噂だが……たとえば出角は、余程のことがない限り……それこそ生存の危機にでも立たない限り、それを口にしようと思わない。

 だが、アンドロイドは平気なのだ。

 アンドロイドは、一日一定量の流動食……その外見は人間の吐瀉物を彷彿とさせる……さえ口にできれば、まったくそれについて思い悩むことはない。

 たとえその食事が1年365日、死ぬまで続くとあっても、全く意に介さない。

 

 睡眠にしても同じだ。

 それどころか、アンドロイドは人間にない特殊機能を持っている。

 彼らはいかなる時も、いかなる場所にあろうとも、必要のない時には瞬間的その運動を休止状態にすることができる。

 運動する必要がない生活局面においては、瞬間的に睡眠状態に入り、必要が生じた時には瞬間的に覚醒することができる。

 パソコンのスリープ機能のようなものを想像してもらえばいい。

 睡眠状態にある時は、呼吸も新陳代謝も必要最低限に制御することができ、総合的な運動量の制限によって、それに伴う栄養摂取量を調整することができる。


 これはあまり知られていないことであるが……人間を含む生物一般が、なぜ生理学的に睡眠を必要とするのかは、2045年現在でも科学的に解明されていない。


 アンドロイドの場合は単純明快だ……運動量を制限することにより、生体細胞を健康的に、かつ長期的に保持するのだ。

 何故そんなことが出来るのか?

 人間が彼らをそのように造ったからに他ならない。

 よってアンドロイドはどんな固い床の上でも、階段の上でも、或いは直立したままでも、充分な睡眠を摂ることができる。

 

 余談であるが……そんな調子であるから、アンドロイドにとっては衣服も身体を覆う布切れ以上の意味を持たない。

 アンドロイドには羞恥心が無いので、彼らにしてみれば服を着て歩くのも全裸であるくのも全く同じことだ。

 アンドロイドが服を着ているのは、単に人間らしく振る舞うため、それ以上の理由はない。

 アンドロイドが人間に所有されている状態である場合は、所有者から与えられた衣服を、“所有者が着用しろというから”着用しているだけに過ぎない(無論、裸でいろ、と言われれば裸のままでいる)。

 脱走アンドロイドが服を着たり化粧をしているのは、髪や髭を伸び放題にしていないのは……単に人間社会に人知れず溶け込む為以上の理由はなにもない。

 

 よって彼らは、誰にも見られていないところでは、まったく人間らしく振る舞おうとはしない。

 

 部屋で一人きりになれば、睡眠状態になって死体のように転がっているだけだ。

 つまりアンドロイドには私生活というものがまったく存在しない。

 そんな彼ら“生活の場”は、不気味なほどに空疎である。

 アンドロイド用流動食のプラスチック容器が無数に放置され、必要最低限の衣服がハンガーに掛けられているだけ……窓にカーテンが掛けられていることすら希だ。

 

 出角と高本が目指している酒井が借りていた鶴橋のワンルームも、さして変わらぬ様子なのだろう……化粧用具くらいはあるかも知れないが。

 

 5分ほど歩くと、築70年は軽くいってそうな貧相な造りの5階建てマンションが見えた。その前に小柄な老人がぽつりと立っている。

 

 「ご苦労さんです。連絡しました大阪府警の出角です。」

 出角が声を掛けると、老人は無言で頷き、表情も変えずに建物の中に入っていった。

 酒井がアンドロイドであり、処分されたことは事前に管理人とおぼしきこの老人本人に連絡してある。老人はまったくそのことを意に介していないようだった。

 出角は高本と顔を見合わせると、老人の後に続いて建物の中に入った。

「……この度は急な話で申し訳在りません。酒井さんの……いや、酒井と名乗っていたアンドロイドの部屋に、誰かが訪ねて来たことはありませんか」

 出角は老人の背中に語りかけた。

「さあ……あてもここに住んだはる人のこと、逐一監視しとるわけやないでっさかいな」老人は振り向きもせず一本調子で言う「なんも知りまへん」

「……そうですか……」

 まあ、期待通りの返答だった。

 住人の一人がアンドロイドだったことに関して、老人は別に何も感じていない様子だった。

 

 ひょっとして、この老人もアンドロイドなのだろうか……? 出角は思った。

 ならば"松屋”のうどん屋の主人と同じように、このアンドロイドの所有者はマンション管理の全てをこのアンドロイドに任せて楽隠居でもしているのだろうか。


 たとえそうだったとしても何の不思議もない。

 この老人がアンドロイドであるなら……住人の一人がアンドロイドであり、それがバウンティ・ハンターに処理されたことに関して何の感慨も抱かないのも無理はない。あるいは……この老人がただの人間で、住人が毎月家賃をちゃんと払うか否か、ということ以外には全てに関して無関心であるということもまた、あり得る。

 

 エレベーターのないマンションの階段を4階まで上がると、隣の高本はすでにもう上着の腋に汗を滲ませていた。老人は息一つ乱していない。

 

「402……ここですわ」

 

 乱暴に青く塗られたペンキの剥げも激しい、金属製のドアだった。

 表札に名前はない。

 いまは2045年だ……べつに、人間だって表札に名前など入れない。

 老人が腰の鍵束からマスターキーを出してドアの鍵を開ける。

 

 まず出角が部屋に足を踏み入れた……そして、その場に立ちつくした。

 

 シングルベッドに衣装ケース、14インチのDVD内臓テレビにMDプレーヤー。

 部屋の中央にはガラスの天板の座卓があって、その上にはノートパソコンが閉じた状態で鎮座している。

 そして40冊くらいの本や雑誌が並んだ小さな本棚がひとつ。

 窓には薄いブルーのカーテンが掛かり、その隙間からは夕陽が差し込んでいる。

 壁には絵が掛かっていた………ムンクの「思春期」の複製ポスター。

 

 ムンクの絵をを覗けば、24歳の独身女性の部屋としては何ら奇異な風景ではない……。

 

 しかし、これは明らかにアンドロイドの部屋ではなかった。

 これは……24歳の独身女性……人間の女性の部屋だ。

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