第26話 存在しない宮殿の一角では

 石戸は奇妙な夢を見ていた。


 場所はどこかの学校の廊下で、窓からは金色の夕陽が差し込んでいる。

 石戸はその学校に見覚えはなかった。

 石戸が通っていた学校は、こんなに清潔でも静かでもなかった。

 学校に通っていた頃の思い出には、楽しいものは何もない。

 だからいつも見る学校の夢は……悪夢と決まっていた。


 いつも大量の寝汗をかいて飛び起き、ああ、夢で良かった……今、自分は何年も前に学校から卒業して、楽しい仕事ではないけれどもちゃんと職を持ち……家はなくとも、それなりの塒に暮らし、ずっと遠い未来で生活している……そんな当たり前のことを自分に言い聞かせながら、また毛布を被って眠りに落ちる。


 栞と出会ってからは、そんな悪夢で飛び起きることもほとんどなくなっていた。


 だからだろうか?

 久々に見る学校の夢はそんな昔の悪夢とはまったく趣を異にしていた。

 その夕陽に照らされた廊下は美しく……どことなく安らぎさえ感じさせた。


 石戸は夢の中で、どうやら迷子になっているらしかった。

 いや、たとえ目が覚めても迷子になった気持ちは同じなのだ。

 石戸は特に慌てることもなく、その廊下に立っていた。


 と、はるか向こうの教室のドアがガラリと開く。

 そこから、セーラー服の少女が踊るように飛び出してくる。


 肩までのウェーブの掛かった髪が夕陽を受けてキラキラと輝くのを、石戸は黙って見ている。

 と、少女が石戸の方を向いたので、思わず石戸は息を呑む……。


 その少女は、栞と瓜二つ……いや、先日栞から見せられた、“修学旅行の写真”の中にいた、栞そのものだった。

 ひとつだけ違うのは……髪をお下げにしていないことくらいだ。


 “しおり……”


 思わず石戸は呟いた。


 しかし夢の中では往々にしてあることだが……その声は廊下の向こうに居る栞に届かない。石戸はさらに栞の姿を見た……それは数年前の栞であるようにも見えるし、数年後の千春であるようにも見える。少女はその中間と、この夕陽の廊下の両方に立っているかのようだった。


 その少女……栞? 千春? は、石戸の存在にまったく気づいていないらしい。

 くるりと石戸に背を向けると……そのまま廊下の向こうへと足を進めようとする。


 何故か、このまま放っておくと……栞も、千春も失ってしまいそうな気がして……石戸はその後を追おうとした。


 その瞬間だった。背後から奇妙な声がしたのは。


 “メー………”


 少女が振り向き、それに釣られて石戸も振り向く。


 いつの間にか自分の背後に、一匹の羊が立っている。

 羊はさも平和そうに……この廊下に立ち、まるで当然のような顔をして、口をもぐもぐさせていた。

 石戸はそれを見ながら……この平和で美しい夕陽の廊下に、この羊はこれ以上なく相応しい存在であるかのように思えた。


 もう一度少女の顔を見る……少女の視線は石戸の体をすり抜けるようにして、背後の羊を捉えている。


 もう一度羊が鳴いた……“メー………”





「あああんっ…………ってあかん、あかんって……石戸さん、起きるやん……」

 石戸はその声で目を覚ました。

 未だ意識のほとんどは夢のぬかるみに四分の三ほど漬かったままだった……目の前に、栞の安らかな寝顔があった……どうやらあれから、床で眠り込んでしまい……その後、栞も眠り込んでしまったらしい。


「あっ、んっ、あかんっ……ほ、ほら、石戸さん、起きてしもたやんかっ………」


 いや違う。

 背後のベッドの上から、栞の声がする。

 それに合わせて……ベッドのスプリングが軋む音も。


 では……目の前で安らかに眠っているのは……栞ではなく千春だ。

 石戸はここに来て、栞が石戸の腕をしっかり抱きかかえるようにして寝入っていることに気づいた。


「……ええやないか……見せてやれよ……ほら、ほれ、ほうら」

 今度は、男の声がした。


 誰だ。


 今、自分の目の前で自分の腕を抱えてすやすやと眠っているのは、千春だ。

 ベッドであえぎ声を上げているのは……栞。

 そして、栞は自分の知らない誰かとベッドの上に居る。


 でも知らない誰かって誰だ……?


 そんな奴がこの部屋に居ていいはずがない。

 この部屋はおれの部屋だ……と石戸は思った。


 この新世界フェスティバルゲートの管理室は……まあ元々は誰かの所有物だったんだろうが、今はおれの部屋だ。いや、おれだけの部屋じゃなくて、おれと、栞が暮らす部屋だった筈だ。それが今日から……いや、昨日からだろうか?……千春が現れた。いまだにもうひとつ飲み込めていないが、とにかくこの部屋はおれが帰ってきた時点において……あのカレーライスを食べ終わった時点において……おれと、栞と、千春の部屋になった。

 

 OK。そこまでは間違っていない。

 幾分、ちゃんと理解しきれていないところもあるが……そこまでは大丈夫だ。


 しかし、今目の前では千春が寝ていて、背後のベッドには栞が居て、栞はそのベッドの上で、誰かと一緒らしい。


 ということは……もう一人この部屋の住人が増えたということなのか?


 石戸は身を起こすのが恐ろしかった……そして、振り向くのが恐ろしかった。

 少なくとも背後に居るのは、あの美しい羊などではなさそうだ。


 ……ああんっ………ちょっと………あんた、ワザとやってるやろ………ワザとあたしに……声出させようとしてるやろ………うっ……んっ…………」

「石戸くん………やったっけ?………なあ、石戸くんよ。起きてるんやろ?」


 男の声が石戸の名前を呼ぶ。

 石戸が全身全霊で願ったところで……この新たな夢は醒めてはくれないらしい。


 石戸はゆっくり……すやすやと眠る千春を起こさないように心がけながら……肩越しに後ろを見た。


 思ったとおりの光景がそこにあった。


 ベッドの上で、栞が男の体の上に跨っている。

 男は頭を石戸のほうに向けており……首をねじるようにして石戸の方を見た。

 以上に細長い顔をした、痩せた男だった。

 暗がりの中でもその目は……うすいブルーに輝いているように見える。


「やあ、おれは………馬亭」男はそのまま口を開いた「よろしくな、石戸くん」


 男が腰をひときわ高く突き上げ……その上で栞の細い躰が反り返る。

 

「……いやあ……」栞は言った「……もう、起きんといてえな……あんた」

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