第6話 フォークト・ガンプフ検査

 アンドロイドには、感情移入の能力や共感能力というものが全くない。


 自らに対する自尊心も、羞恥心も、自らの身体に対する保護意識も、他者の身体への保護意識と同様にまったく持ち合わせていない。

 これが学術上における、人間とアンドロイドの数少ない相違点である。


 最終的にアンドロイドと人間の客観的相違点は、骨髄液の遺伝子構造の微妙な違いにも求められるのであるが、それはあくまで解剖学的に確認できる事項であり……アンドロイド嫌疑の掛かった人間すべてに、骨髄液採取のテストを求めるのは事実上不可能だ。加えてその判別法は最低でも2週間もの期間を要し、おおよそバウンティ・ハンターたちの職務遂行にはまったく適していない。

 

 そこで開発されたのがこのフォークト・ガンプフ検査法……通称“フォー検”……つまり感情移入度測定法である。


 これは特殊な装置を被検者の身体に装着した上で、被検者の情動を……被検者が“情動”を持ち合わせていれば、の話だが……様々な方面から刺激する数十の質問を行い、その顔面の毛細血管拡張度(羞恥を表す赤面反応)、眼筋中の緊張の変動(一般的に人間が恐怖や嫌悪の感情を抱いた時に生じる反射反応)を測定するというものだ。測定項目には、被検者への質問への反応速度、瞳孔の収縮、脈拍・血圧の上昇・低下など、様々な要素が付随する。

 測定器は昔のポリグラフ……嘘発見器……と同じく大がかりなものだが、これを用いたことにより、誰もが人間とアンドロイドを見分けることが出来る訳ではない。


 その点は嘘発見器と同じように、測定者には専門家としてのある程度の知識と、そして細かな変動をも見逃さない経験が必要である……出角らバウンティ・ハンターに求められるのはここだ。

 

 今のところ、フォー検によってアンドロイドと誤診された不運な人間が、バウンティ・ハンターに殺害された、というような不幸な実例は無い……少なくとも、出角が知る範囲では。


 最近は、その逆……一度、二度までもこの最新の検査法をパスする、したたかなアンドロイドの存在も報告されている。そうした例は、米国で3例、中国で2例、ロシアで3例。つまり、この検査法ももはや過去のものとなりつつあるのか、もしくはアンドロイドが人間社会での生活により、人間一般のような感情移入や共感さえも自分のものにするまでになったのか……今のところはっきりした答は出ていない。

 

 しかし“フォー検”が世界のバウンティ・ハンターが知り得るうちで、未だに最も有用性のある検査法であることには代わりはない。とにかくバウンティ・ハンターはその有用性と自らの経験実績に頼る以外はなかった。

  


「……いったい……一体これ、何の検査なんですか??」


 まだ少女の初々しさを遺したその被検者は、顔を真っ赤にして、度のきついメガネの奧から出角を睨み付けた。

 がらんとした会議室に、彼女の一段トーンの高い声が木霊する。


 酒井好美。24歳。

 中途採用により先月1日、モテギ電子に入社。

 以来、第八営業部に勤務し、職務態度は極めて真面目で几帳面。

 身長は低く、華奢な体型を板についていないリクルートスーツで包んでいる。

 眉は太く、意思は強そうだが、今やかんかんに怒っている(ように見える)その顔も……もともとの童顔の造りのせいで奇妙に愛らしかった。

 頬に貼りつけられた検査用の吸着シートも、どこか愛くるしい。


 愛人にしたくなるタイプではなくて、娘にしたくなるタイプだな、と出角は思った。思った後、一体おれは何を考えているのだと自分で赤面した。


「……わたしも我慢なりません」後ろで静かに座っていた40がらみの人事部長が口を挟む「その、何ですか……フォークトなんやらっちゅうテストですが、質問項目をちょっと見せてもらえませんか。その質問項目は、あんたが作ったんですか……? ええと……出角さんでしたっけ?」

「まあまあ酒井さん、部長さん」出角は愛想笑いを浮かべた。「質問内容は、別にどうっちゅう事ないんですわ。そやから、そんなに深刻にならんといてください。この質問項目は、80000通りくらいありまして、全部東京大学大学院の心理工学研究科が作成したもんです。まあ、元はそこが作るんですが、いちおう地域性も加味しまして、各都道府県の国立大学が、少々その内容に手直しを入れます。そやから、僕がこの質問を考えた訳やありません。また、僕も酒井さんに悪気があってこんなこと聞いてるんと違います。まあ、ちゃっちゃと終わらせましょ。酒井さんにも部長さんにも、貴重なお時間頂いてういる事ですし」

「ええ、おたくら……わたしらなんかとは時給が違いまっさかいなあ」

 右隣から栗田が余計な口を挟む。


「でっ……でもっ……」

 酒井は頬を膨らせて俯く。

 出角の左隣の高本は、しきりにメモを取っていた。

「すんませんなあ。酒井さん」

 栗田はそう云いながら手元のメモに走り書きをして、出角に見せた。

 

 “どない?”メモにはそう書かれていた。

 今のところ、酒井の判定結果は五分五分というとこか。


 人間にしては……つまり、顔を赤らめ、声を荒げる派手なリアクションに比例する程、酒井の肉体は生理学的には在るべき亢奮の数値に達していない。

 かといって、酒井をアンドロイドとと断定するには、まだ決め手に欠けた。

 久しぶりの“フォー検”ということもあったが、出角は慎重の上に慎重を重ねるよう心掛けた……心の奥底で……酒井がアンドロイドではない、という結果が出ることを望んでいたのかも知れない。


「あと、3つくらいで終わりますんで……どうか落ち着いて下さい。リラックスしていただかないと、検査に影響もありますので……」

「………」


 人事部長が、眼で酒井に合図する。“とりあえずは云うことを聞いておこう”とう感じだった。直感的に……出角はこの二人はデキている、と感じた。


「では次の質問です……酒井さん、あなたは今、彼氏と二人で部屋に居ます」

「いません」

「は?」

「彼氏なんて、いません」

 酒井は上目づかいに出角を睨み付けた。

「はあ……あの、まあ、その、仮定の話、ですよ。仮定の話。あなたに彼氏が居て、それであなたがその彼氏と二人っきりで居ると仮定してください」

「はい……」酒井がまた視線を落とす「……判りました……」


 手元の顔面の毛細血管の拡張を示すモニタに、明かな異常が現れたのを、出角は見過ごさなかった。というか、正確には明かに異常が出て当然の部分に、充分な異常が見られなかったことを見とがめたと言うべきか。


 いきなり“彼氏”という性的な内容を孕む単語を突きつけたのも、一種のテストだ。

 人間は性的なプライベートにいきなり踏み込まれた時、程度の差こそあれ、一定の範囲内の数値で動揺を見せる。

 酒井の反応はゼロではなかったが……人間にしては……極めて微細な反応だった。


「……彼氏は雑誌を読んでいます。すると突然、その雑誌の中のグラビアをあなたに見せます。あなたがそれを見ると……それは胸の大きな女の水着写真です」

「何なんです?」酒井がまた声を張り上げた「こんなの、いやがらせじゃない

ですか!!」

「ほんまにあんたら、大概にせえよ!!!」

 人事部長も、酒井を擁護するように喚いた。

 

 明らかに酒井の反応は……毛細血管拡張も眼筋の緊張も瞳孔の収縮も……基準値を下回っている。


「まあまあ……続けますよ、酒井さん。その女は……グラビアの女は、ほとんど隠れるべきところが隠れているくらいの、小さな赤いビキニを身につけています」

「もう、うんざりです! 失礼させて下さい!」酒井が席を立った「部長、あたし課に戻ります」

「……ああ、酒井くん。そうしなさい。もうこんな茶番は……」


 人事部長が助け舟を出そうとした、が、


「座って!」鋭い声で、出角は酒井と人事部長を一喝した。「……翌日、彼氏は、そのグラビアと同じ水着を買ってきて、あなたに目の前でそれをつけろと言います」

「あんたなあ! ちょっと、溜まってるんとちゃうんか?」

 人事部長が声を荒げる。


 酒井の反応は極めて微細だった。

 彼女の正体は、もはや8割方固まりつつある。


 と、そこで、出角の声を遮って栗田がぞんざいに話し始めた。


「……で、あんたは一旦拒否するけど、しぶしぶその小さな水着を身につける……そしたら、案外自分でもその姿を鏡で見て、案外悪くない、と思う」質問票にはない質問だった「……あんたは、おっぱいも大きそうやから、多分そんなビキニも似合うと思うけど、どないや?」

「はああああ?????」


 酒井が素っ頓狂な声を上げた。

 見た目には、顔を真っ赤にして怒り狂っているが……出角の前の計器は彼女が見た目とはうらはらに……生理学的には全く平静を乱されていないことを表している。

 栗田は横目でそれを確認すると、さらに質問を続けた。

「……それで、あんたはその気になる。なんかいつもと違う気分になって……へその下あたりが熱くなってくる」

「……もうええ加減にしてくれ。君らの上司に連絡するからな!」

 人事部長が部屋を出ていこうとしたその時、栗田はその背中に声を掛ける。

「なあ部長さん、どうや? この子はあれやろ、脱いだら結構スゴいんちゃうか?」

「……な……」


 人事部長は真っ青になって栗田を見た。

 栗田の暴走を止めるべきだろうか? と出角は思ったが……そんなことをして疲れるのも面倒くさくなった。

 栗田も出角と同じく、人事部長と酒井の間が男女の仲であることに気づいたのだ。

 人間とアンドロイドの区別をすることに比べれば、そんなことはどんな間抜けなバウンティ・ハンターにとっても朝飯前だった。


 ベーコンの香りがするデブの高本は熱心にメモを取り続けている。

 一体、何をメモしてるんだ? と出角は思った。


「……まあ、人事部長。彼女のどこに惚れ込んで採用しはったんか知りませんけど、あんた、彼女がアンコやと知って採用したんやったら、これは歴とした犯罪でっせ」

「……な」人事部長の顔が気の毒なほど青くなった。「………何を………」

「もうそのへんにしといたれや……」

 出角は栗田に言ったが……栗田は聞く耳を持たなかった。

 栗田の陰湿で粘着質な性格は、実にバウンティ・ハンター向きだと言える。

「それからあんたは……赤い水着を着て、“今日はなんでも許せそうやわあ”と考える……その旨を彼氏に伝えると、彼氏はたいそう喜んで……君に目かくしをして手を頭の上で縛り、全身にローションを塗りたくる」

「やめて! ……もういやっ!」


 酒井は耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。


「……それであんたはメチャクチャに亢奮する。彼氏の手はあんたの水着を荒々しくはぎ取って……あんたに四つん這いの姿勢をとらせる」

「もうええやろ」

 出角が栗田の肩に手を置く。しかし栗田は止まらない。

「そして彼氏はあんたの尻の穴を舐めてくる………どや? 尻の穴舐められたことはあるか? メスアンコ???」


 不意に、会議室が静まり返った。

 しゃくり上げていた酒井が不自然なほど急に泣きやんだからだ。


 と思うと、酒井はそのままゆらりと立ち上がった。

 そして顔面蒼白で立ちつくしている人事部長の方をこれ以上ないというくらい冷たい目で一瞥する。


 出角は背筋が凍り付くのを感じた。


 アンドロイドは諦めが早い……そのあまりに簡単な諦めから感じる薄気味悪さにだけは……どうしても慣れることができない。


「ふん……ばれたらしゃあないな……」


 そう言うと、酒井は小さく舌打ちをした。

 まるで隠れんぼをしていて鬼に見つかった子どものようだった。

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