第12話 未来を選択するように、過去を選択せよ

 倉庫の中はしんとしている。

 石戸はこの中に居ると、まるで宇宙空間にたった一人でとり残されたような気分になることがある。

 それは石戸にとって苦痛でも何でもなかった。

 むしろひとりぼっちで居ることの出来るこの倉庫で、安心と安らぎを覚える。

 石戸はもともと、人付き合いが得意なほうではない。

 出来る限り誰からも無視され、気づかれずに生きていきたい

 ……それが栞と出会う以前の石戸にとっての、ささやかな願いだった。

 だから石戸にとってこの倉庫番の仕事は、天職であったと言える。

 

 無論、そんな仕事は今やアンドロイドでもできる。

 それよりも、もっと単純な構造のロボットであっても。

 しかし、なにもかも機械化された世の中でも、機械化が及ばない世界もある。

 

 倉庫の端に置かれたパイプ椅子に腰掛けながら、石戸は昨夜、栞が語り聞かせたことをじっくりと反芻していた。

 そしてその言葉の裏にある何らかの真意を探り出そうと、しきりに悪い頭を捻っていた。

 

「なんなん? ……セーラー服のあたし見て、欲情したん?」


 店長の目を盗んで、石戸は自分が監視する倉庫の壁に、自分が撮った栞の写真を貼り付けていた。栞の写真を見入っていると、背後から栞がしなだれかかってきた。


「……そんなこと……そんなことないよ」

 事実、欲情していたが。

「……さて問題です。この時あたしは処女だったでしょうか?」

 栞が耳元で囁く。

「……え?」

 石戸は思わず振り返った栞の口の廻りには、拭ったソースの跡があった。

「………チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ……」

 栞がタイムカウントをした。

「ええと……処女やったんちゃう?」

 どう答えていいかわからず、石戸は無難な返事をした。

「………気になる?」

 栞はさらに細い腕を石戸に巻き付けると、悪戯っぽく顔を覗き込んできた。

「……そんな……別に……」

「……あたしがあんたと暮らしはじめるより前の過去、気にならへん?」

「………」


 厳密に言えば、気にならない訳ではなかった。

 石戸はあまり、過去や未来について考えない人間だ。

 それは自分自身の過去や未来に石戸自身があまり興味を持てないからだ。

 確かに石戸は幼い頃に母を亡くし、特に頼ることのできる親戚もいなかったので、施設で数年間を過ごした。

 別に自分が不幸であったとは思わない。

 施設にはいろんな子どもたちがいた。

 親からの執拗な虐待で、一緒に住むことができなくなった子ども。

 長引く不況で父親が一家心中を図り、幸か不幸か生き残ってしまった子ども。

 このご時世に運悪く女と産まれたばっかりに、父親から性的搾取を続けられていた少女。

 それぞれに、彼、彼女らは親と一緒に暮らせないか、親そのものが存在しないかのどちらかの理由で施設での生活を余儀なくされていた。

 

 自分の施設時代が不幸であったか?

 石戸はそうとも思えなかった。


 そうした少年時代が、彼の今の生活に影響しているかといえばそうも思えない。


 多くの子供達と生活を共にしていたせいで、いじめられたり、喧嘩をすることもあったが、それでも孤独をいうものだけは味わうことがなく済んだ。

 孤独を感じたのは、施設を出て、たった一人で暮らし初めてからのことだ。

 それも暮らし初めてから、しばらく経ってからの事……石戸はふと、今、自分がここで生きていることを一体誰が知っているのだろう、と不安になった。

 それはぬぐい去り難い不安だった。

 不安というには、それはあくまで漠然とし過ぎていた。

 それが孤独という感情であると気がつくのには、それから数年が必要だった。

 これまでも、ずっと孤独だった。

 そうすると、これからもずっと孤独なのだろうか?

 

 栞が彼の生活に現れるまで、彼は敢えて未来のことを考えないようにしていた。

 考えれば考えるほど、いつまで続くかわからないこの孤独という苦役が死ぬまで続くということが認識されて……ただただ恐ろしくなるだけだった。

 今の石戸には栞がいた……よって、今の彼は幸せな日々の中に居る。

 これから先、栞がどこかに消えてしまうかも知れない。

 それは石戸にとって、何より恐ろしいことだった。

 恐ろしいことは、出来るだけ考えないようにする。

 興味を持たないようにする。

 それが石戸の過去と未来に対する態度だった。

 

 「……あたしの過去、聞きたい?」栞が言った「……あたしがどうやって処女を失って、あんたと暮らしはじめまで何をしてたか、知りとうない? あんた、あたしにそういうこと一切聞かへんね。そやからあたし、あんたの事が好きなんやけど」

「……うーん……そうかな」石戸はあくまで曖昧な返事を返した。事実、そんなことはどうでもよかった。「……ほな、まあ聞かせてえな」


「ほな、栞の過去、その1」

 栞が笑う。

「その1?」

「うん、これからあたしの過去に関して、3つの話をします。あんたはその中から、好きなのを選んでください」

 栞はまるでゲームでもしているかのように無邪気だった。

「……はあ……」

「その1、栞の実家は、芦屋でも有名なお金持ちでした。このご時世に産まれてきた女の子ということで、裕福な両親はたいそう喜びました。産まれてこのかた、栞はたくさんの使用人に囲まれて、まるでお姫様のような生活を送っていました。幼稚園から高校まで一貫教育の超名門校に通い、その中ですくすくと成長しました。学校の送り迎えはベンツで。学校でも美少女だった栞はクラスの、いや学校中の人気者でした。あたしのことに好意を抱いている男子はたくさんいましたが、栞はそんな男の子たちには見向きもしませんでした。なぜかというと、栞は自分自身が大好きだったからです。ある日のことでした。あれは確か、15歳の誕生日。栞はお家の中で、使用人のばあやとたった二人っきりで夕食を摂っていました。誕生日だったので、とても豪華な食事でしたが、両親は外国になんらかの用事があって、留守でした。ばあやはあたしの為に、『ハッピーバースデー』を歌ってくれて、食後に15本の蝋燭が刺さったケーキを出してくれました。あたしとばあやはたくさんの話をしました。あたしも15歳になるということで、なんかものすごく大人になった気がして、少し亢奮ぎみでした。でも、ばあやはふと、こんなことをいいました。『栞お嬢さん、ほんとうの幸せというのはね、いつも、どんな時も、ほかの誰かたった一人から……つまりご両親以外の誰かから、心から愛されていると実感することなんですよ。たとえその人と一緒に暮らしていなくても、その人が自分を愛してくれているということを思い出すだけで、どんなことも乗り越えることができる。そして、自分もその人のことをほんとうに愛しているから、生きていくことができる。それがほんとうの幸せなんですよ。……まだ、お嬢さんには早すぎたかしらね』ばあやは少しワインを飲んでいたので、そんなことを言ったのかも知れません。でも、あたしの心に、その言葉はまるで焼き印のように焼き付けられ、あたしは自分が幸せではないこと、物凄く孤独であることに気がつきました。そして15歳になってから3日目の晩。あたしは家出をしました。ふらふらと電車を乗り継ぎ、大阪まで来ました。所持金も残り少なかったので、行きずりの男に5000円で処女をあげました。そのお金もあっという間に無くなり、泊まるところはないし……大雨は振ってくるし……そこでふらふら新世界まで歩いてくると、通天閣の下で雨宿りをしていた、石戸さんに出会ったのです」

 

「家出……?」その話は、メロドラマのように陳腐だった「それ、ほんま?」

 

「栞の過去、その2」栞は石戸の言葉を無視して話し始めた。「栞は大阪の生野区の出身で、お家はとっても貧乏でした。栞の本当のお父さんは、栞が8つののときに亡くなりました。数年が経って、お母さんに恋人が出来ました。お母さんより8つも歳が下の、なんだか感じの悪い男でした。何か仕事のようなものをしているらしいけど、それがロクな仕事ではないことは、幼いあたしにも一目瞭然でした。男は毎晩のように酒を飲んでは暴れ、お母さんや幼いあたしに暴力を振るいました。お母さんにも、そればかりか娘のあたしにも酔っ払って暴力を振るうような男を、どうやらお母さんは愛しているようでした。あたしがどんなにお母さんにあの男と別れるように頼んでも、お母さんは聞き入れてくれないどころか、あの男があたしに暴力を振るうのは、日頃のあたしのアイツに対する態度が良くないせいだ、とさえ言いました。おうちは地獄でした。でも。、あたしが12歳になったときに、それまでの生活はまるで天国に思えるくらい、もっと酷いクソ地獄になりました。母が留守にしていて、家にはあの男とあたししか居なくて、あたしがお風呂に入ってきた時のことです。洗い場であたしが身体を洗っていたときに、あの男がいきなりお風呂に入ってきたのです。あたしはびっくりして『出ていってよ!!』と叫びました。でも男はお酒に酔っ払った赤い顔でへらへらと笑うばかりで、出ていこうとしません。そればかりか『えらい……女らししゅう育ったやないかい……』と言いながらあたしの全身をなめ回すように上から下までじっくりと眺めました。あたしがお風呂場から出ていこうとすると、男はいきなり泡だらけのあたしを抱きすくめて、浴槽の壁に押しつけ、強引にキスをしました。生まれてはじめてのキスだったのに、男は容赦なく舌を入れてきました。あたしは抵抗しましたけど、とても男の力には敵いませんでした。男はあたしの身体じゅうに、石鹸の泡を塗りひろげました。石鹸で滑る指で、乳首をいじられ、お腹やお尻や太股をぬめり回されました。あたしが泣きながら『おねがい! 止めて!』と頼んでも、まったくムダでした。あたしがそんなことを言って、暴れれば暴れるほど、男はますますコーフンするようでした。『そんなん言うて……乳首ピンピンなっとるやないかいな』とか、脚の間に手を当てられて『ガキのくせして……もうべちょべちょやないけ。やっぱりオカンの娘やな……血は争えんのう』とか、なんだかんだ言われながら、あたしはとにかく早く終わってほしくて、泣きながら目を閉じました。『……壁に手をついておけつ突き出しいな』男はいいました。男が何をしようとしているのかは、12歳のあたしにも判りました『お願い、何でもするからそれだけは許して』あたしはほんとうに泣きながら懇願しました。でも男がそんなあたしの願いを聞いてくれるわけもありません。男は自分のチンコに石鹸の泡を塗りたくると、あたしをくるりと反転させ、あたしにお尻を突き出させました。そして、あたしの脚を開かせると、その奧にチンコの先を押し当ててきました。『おねがい……ゆるして……』あたしは最後の願いを込めて男に言いました。しかし男はそれを合図に、ゆっくりとチンコをあたしの中にめり込ませていきました。身体がまっぷったつになるくらいの激痛が走って、あたしは悲鳴すらあげることができませんでした。まるで焼けた鉄の棒でも押し込まれているかのような気分です。男のチンコは、いろんなものを巻き込みながらねじ込まれていくようでした。お風呂の床を見ると、血が流れて床に流れた湯のなかで渦になっていました。あたしは吐きそうになったけど、そのまま男に、一気に奧まで貫かれてしまいました……男はめちゃくちゃに腰を使い、あたしの耳元でいろんなことを囁き続けました。『ええで……ええで……ものすごいええで……むっちゃきついわ……』とか『……はじめは痛いかも知れへんけど……すぐ慣れるからな……慣れたら……気持ちようなるから……ガマンするんやで』とかいろいろ。男は激痛に声もないあたしを散々突きまくると、あたしの背中に射精しました。あたしは血塗れの床にへたり込んだまま、呆然としていました。男はあたしの身体にぞんざいにシャワーをかけると、にやにやしたままお風呂場を出ていきました。あたしは泣くこともできず、しばらくそのままお風呂場でしゃがみ込んできました。それから……男は3日に一辺くらいのペースで、あたしにいろんないやらしいことをしました。いつも母が不在の時ばかりです。ランドセルを背負ったまま台所にはいつばらされて、後ろから突かれたり、ロープで手首を縛られて目かくしをされたり、どこから買ってきたのか妙な大人のおもちゃでもてあそばれたり……あたしが一番いやだったのは、男がいつもあたしに、潮を吹かせようとしたことです。あたしのあそこに中指を突っ込んで、その奧をまるで親の仇みたいにめちゃくちゃに指で刺激するのです。痛いだけで気持ちよくなんてありません。でも、3度に一回は、あたしは男の思惑どおり潮を吹きました。そのたびに男は『ホンマいやらしいなあ、栞ちゃんは……こんなにべちゃべちゃにしよって……』とか何とか言ってあたしを言葉で嬲るのです………ある日、あたしは意を決してお母さんに、あたしがお父さんにされていることを打ち明けました。そうすればさすがのお母さんも、あたしを守るために男を追い出してくれると思ったからです。でも、事実は全然逆でした。何とお母さんは、女として………あたしに嫉妬したのです。あんたがあの人に色目を使ったんでしょう! とか、あんたに隙があったからあの人もフラフラと誘惑に負けたのよ! とか、いろいろ酷いことを言われました。あたしは本当に死にたくなりました。三人で夕食の席を囲んでいるときなんか、本当に最低でした。男はあたしのことをいやらしい目で見て、お母さんはあたしのことをインランなドロボウ猫みたいな目で見ます。あたしはそれでも耐えました。でも3年が経って、男があたしのお尻でしたいと言いだしたときでした。あたしはこれまでされてきたことに比べればそんなこと全然問題じゃなかったけど、これはあたしの我慢に終止符を打ついい機会だと思い、男の頭を金属バットで殴りました。脳味噌が飛び散るまで、殴り続けました。不在だった母も、帰ってくるなり金属バットで殴りました。同じように脳味噌が飛び散るくらいまで………あたしは血まみれの服を捨てて、お風呂に入って、新しい服を着て、家中のお金というお金を集めて、家を出ました。大阪についてお金も残り少なくなり、おまけに大雨で通天閣の下で雨宿りしようとしたら……石戸さんに出会ったのです。」


 「………」二の句の継げないような酷い話だったが、石戸にはそれが本当の話であるようには何故か思えなかった。メロドラマではないけれども……こんな話はこの2045年の現在、そこら中にごろごろしている。「……金属バットかあ………」

 

「栞の過去、その3」栞は続けた。「栞は絵に書いたような中産階級の家に育ちました。お父さんは公務員でお母さんは専業主婦。西宮の団地で、別になんということのない中学生の日々を送っていました。ある日、特に理由もなく、毎日が退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で退屈で……退屈で仕方なくなりました。それで同じ学校の同級生と一緒に、オッサン相手の売春もどきをはじめました。この女不足の時代に、現役女子中学生とガチでヤれるというのは、よっぽど貴重なことだったのでしょう。あたしの手元にはあっという間に結構な額のお小遣いが溜まりました。あたしはほんとうに退屈過ぎる毎日にうんざりしていたので、そのお金を元手に家を出ました。そして、売春を繰り返しながら、この大阪まで流れ着きました。お金も残り少なくなり、大雨も降ってきてついてないなあ、と思っていたときに、通天閣の下で雨宿りしている石戸さんに出会ったのです」


「………なるほど」石戸は頷いた……これまでより、リアルな話だと思った。


「で、あんたはどれを選ぶ?」栞が石戸の耳元で囁く。「この3つの中でどれか一つが真実やったとしたら?」

「うん………」暫く悩んでから、答えた「“その3”かな?」

「……あはは」

 栞は笑った。無邪気な笑い声だった。

「ま……間違ってた?」

 石戸はおずおずと聞く。

「……あんたは“その3”を選んだんやね。あたしはまだいくつも物語を持ってて、その時の気分でそのいずれかを選んで、それを自分の過去にすんねん」

「………?」

 何を言っているのか、石戸には訳が分からなかった。

「知ってる? 過去は選べるんやで……自分の選択で、未来を選べるみたいに」

 

 過去は未来のように選ぶことができる………?

 

 石戸にはその言葉の意味が、まったく理解できなかった。

 ひとりぼっちの倉庫の中で……石戸は終業時間までその意味について考え続けた。

 

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