第13話 なぜアンドロイドは殺されるのか?

 大阪府警本部地下7階男子トイレの個室に、出角はいた。

  ズボンを降ろさずに便座に腰掛け、ブラスターを腰のホルスターから抜き出す。


  銃口を自分の顔に向けてみた。

 まるでゴルフのカップのようにばかでかい銃口。

 引き金を引き絞れば、ここから瞬間圧力1トンものレーザー光線が発射され、標的となったものは、この世のいかなるものであろうと跡形もなく吹っ飛ぶ。

  出角は大口を開けて、その銃口を銜えた。

  ステンレスと、微かなカーボンの香りがした。

 

  “分析結果はなんや大学の方が混んどるみたいで、最短でも5日は掛かるみたいや”

 

  アン対室の杉本警部はへらへら笑いながらそういった。

 

  “フォー検ではアンコと結果が出たんやろ? 心配なんかあらへんあらへん”

 

  確かにその通りだ。

 

  “だいたい、その女は栗田のチンコ噛み切って栗田のブラスターに手ぇ伸ばしたんやろ? ……高本くんもそのへんはちゃんと見とる……万が一……ええか、万が一、億が一、その女が人間やったとしよやないか。それでも出角、お前のやったことは正当防衛や。一体何の問題があるんや?”

 

  ブラスターの銃口を銜えながら、杉本の言うことももっともだ、と思った。

  確かに正当防衛である。

  しかし問題は、酒井が何をしようとしたか、ということではなく、酒井が何者だったのか、ということだ。

 アンドロイドを処分するのと、人間を殺すのとは違う。

 いや、『違う』かどうかはよくわからない。

 どちらも血と肉でできていて、喋り、食べ、排泄し、眠る。


 アンドロイドは機械ではなく、血の通った生物だ。

 たとえそれが人工物であったとしても。

 それを、『単なる人工物』であると割り切っているからこそ、出角らバウンティ・ハンターはアンドロイドを極めて職業的に、事務的に殺すことができる。

 

  “そやけど出角、この件はできる限り伏せとけよ。最近、例の市民団体がウルサいんや……知っとるやろ? あの『アンドロイドを市民として認める人間市民の会』やったっけ……? なんかそんな類の連中や。「アンコを殺すのは殺人と同じ」なんやと、あいつらに言わせると……ホンマ、アホらしい話やで……何でも連中に言わせると、『フォー検』と骨髄液の微妙な遺伝子構造の違いだけでアンコが殺されるのは『差別』なんやそうや。わしら人間とアンコの違いは『フォー検』の結果と骨髄液の違いだけなんやから、アンコもわしらも同じやないか、っちゅうことらしい。……ほんま、アホくさい話やで……でもそれも、最近は笑うてばかりはおられんようになってきた……阪大の若い教授先生あたりが、真剣に『フォー検』の信憑性について、真剣に調べとるらしい……どうも、最近の研究によると、ごくまれに……実にごくまれやけども、人間でも質疑応答の反応速度と情感のコントロールの特殊な訓練を積むと『フォー検』では『アンコ認定』の結果が出ることもあるらしい……例の市民団体とその教授先生方が、どない繋がってんのかはわからんけどな”

 

  出角はブラスターを銜えながら杉本の言葉を反芻していた。


  確かに、『フォー検』は現在のところバウンティ・ハンターにとって最良のアンドロイド判別法ではあるが、それは完璧ではない。

 

 事実、統合失調症(スキゾフレニア)の陰性症状にある人間は、すべてに対する無感動、無反応、共感能力の欠如などから、アンドロイドの精神状態に限りなく近い。

 よって、そうした症状にある人間をフォークト・ガンプフ検査に掛けた場合、アンドロイドと同じ結果が出ることがある。

 これは以前よりよく知られていたことだ。


  ただ、アンドロイドと統合失調症の患者は、見た目にも全く違っている。

  アンドロイドは統合失調症の患者のように、極端に身のまわりのことに対して無関心になったり、不潔極まりなく髪や髭や爪を伸ばし放題にしたりしない。妄想や何らかに対する偏執的なこだわり、空笑いなど、どんな間抜けな精神科医でも見て取れる“どことなく奇妙な挙動”を見せることはない。


 統合失調症の判定は、その症状があまりにも進行している場合……患者に自覚症状が見られないくらいにまで進行している場合には、様々な医師の判断基準に基づく診断で、統合失調症と判定される。そうした医師たちの判断基準のなかにある無数の項目のなかのひとつも、アンドロイドは満たすことがない。

  アンドロイドは客観的には、どこにも奇妙なところはない。

  統合失調症の患者は客観的に、どこからどう見ても奇妙である。 

  よって統合失調症の患者がアンドロイドと誤診されるようなことはまずあり得ない。アンドロイドが統合失調症の患者を装えばどうなるかわからないが……もともとアンドロイドは奴隷生活からの解放を求めて人間の監視下からの脱走を図るので、そんな彼らがわざわざ病院の閉鎖病棟での生活を望むはずがない。

 

  よって、人間とアンドロイドが間違えられるようなことは、これまでには起きていない。少なくとも出角の知る範囲では。

 

  しかし……。

 

  アンドロイドに対して、妙な肩入れをする一定数の人々が存在することは、出角も知っていた。

  “『フォークト・ガンプフ検査』の検査結果と骨髄液の微妙な差異だけで、何故我々は彼らの生命を奪うことができるのか?”

 杉本にしてみれば馬鹿馬鹿しいたわごとにしか聞こえないこの彼らのスローガンは、出角にとってはまるでのどに刺さった魚の小骨だった。

 

  そう、一体誰がそんな権利をおれたちに与えたのか?

 

  ふつうに考えれば、それは警察が与えたのだ。

 警察にその権利を与えたのは、国家だ。

 国家にその権利を与えたのは、“脱走アンドロイドは例外なく追跡・処分される”と定めた国際条令である。

  しかし何で、脱走したアンドロイドは追跡され、処分されねばならないのか。

 

  アンドロイドが明確に、誰かの私有財産だから?

  アンドロイドは基本的に、奴隷労働のために製造された存在だから?

  脱走したアンドロイドは、社会にとって脅威だから?

 

  出角は考えた。

 一体、脱走したアンドロイドは社会にとってどう脅威なのか?

 

  勿論、脱走したアンドロイドが人間に危害を加えたり、殺人を行った例は枚挙に暇がない。しかし、アンドロイドに大けがを負わされるのは、殺害されるのは……決まってそれを追跡しているバウンティ・ハンターだ。

 しかも、追跡中のアンドロイドが抵抗し、バウンティ・ハンターを殺傷せしめる例は、極めて希だった。

 ほとんどの場合……アンドロイドは『フォー検』によって自らの正体を暴かれると、あっさり逃走とそれ以上の生存を諦めてしまう。

 昨日の酒井がはじめ、栗田に対してそのような態度を見せたように。

 

 しかし、大人しく処分されるだけではないアンドロイドも確かに存在する。

 追跡するバウンティ・ハンターを次々と殺害し、通算8名のバウンティ・ハンターを殺害しながら北アメリカからスゥエーデンまで逃走したアンドロイド……通称“バウンティ・ハンターキラー”の例も報告されているし、出角自身も4年前、追跡中の女アンドロイドに逆襲され、瀕死の重傷を負った。


 そして昨日、栗田は陰茎を失った。

 まあそれに関しては出角にも責任の一旦はあるのだが。

 

 自らの生命に対して全く保護意識を持たず、そもそも有りもしない“生”に対してアンドロイドが執着を見せ、追跡者にこのような暴力的反撃に出るという事実は、確かに奇妙といえば奇妙である。


 出角にも、その真意はわからない。

 警察司法に好意的な心理学者は、アンドロイドは生命への執着を持たないが故に、バウンティ・ハンターとの追撃戦をあたかもゲームのように捉え、ただ単に追ってくる敵を倒す、という遊戯を愉しんでいるだけに過ぎない、という。

 

 出角はこの意見に批判的だった。

 

 トイレの中に誰かが入ってくる気配がした。

 出角は口の中からブラスターを抜くと、ホルスターに仕舞った。

 

「で……出角さん。こ……ここですか?」

 高本の声だった。

「ああ」

 出角は便座に腰掛けたまま答えた。まったくトイレまで追ってくるとは。

「れ……例の………さ、酒井の部屋にあった………診察券の……あの……その……い……『いしかわクリニック』の院長に、ア……アポが取れました。い……今から……伺っても…いいそうです」

「そうか………」

 そういえば、あの女アンドロイド……酒井の部屋からそんな診察券が出て来たんだっけな。すっかり忘れていた。

 おれはもう、この仕事に興味を無くしているんだろうか、と出角は思った。

 事実、その通りだ。だから今まで、ブラスターの銃口を銜えていたのだから。

「じゅ、じゅう……15分後に、屋上にパトカー回しますんで……お、屋上で……」

 

 そう言い残し、高本が出ていく気配がした。

 

 出角はしばらくそのまま便座に腰掛け、ぼんやりしていた。

 

 自殺………思えば何てバカなことを考えたんだろう。

 そんなことをしたら、せっかく掛け続けた生命保険もフイになってしまう。 

 そうだ、今度アンドロイドを追跡してきて、アンドロイドが反撃してきたら、こちらは何もせずにアンドロイドに殺されればいいのである。

 

 それはたいへん好ましい考えであるように思えた。

 酒井の骨髄液の検査結果がどう出ようと、もはやそんなことはどうでもいい。

 

 出角は実に軽い気分になって、鼻歌を歌いながらトイレの個室を出た。

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