第14話 ひとしずくの涙

 門真にある「いしかわ」クリニックに向かうエア・パトカーは、高本が運転した。

 出角はどうも高本の体臭が耐え難いので、後部座席に座って窓を開けていた。

 院長の石川篤医師の個人データをピックアップしたプリントアウトの資料に一通り目を通すと、出角はスモッグで煙った街を見下ろす。

 そしてアンドロイドにむざむざと殺される自分のことを想像してみた。

 


  ふと、4年前に出角をブラスターで撃ったあのアンドロイドの顔を思い出す。

 

  あの頃、出角は杵島という別のバウンティ・ハンターとコンビを組んでいた。

  女アンドロイドは笹川という偽名を使用して、船場センタービル内の喫茶店でウエイトレスをしていた。

 近隣からの匿名の密告によって、出角と杵島はその喫茶店に出向いたのだ。


  船場センタービルは地下鉄堺筋本町駅から本町駅までの阪神高速道路の下にウナギのように伸びた巨大ショッピングセンター街である。

 洋服の卸問屋や小売店、飲食店などが地階・地下1.2階と三層に別れた約17万平方メートルのフロアにひしめき合っている。

  

  約束の時間まで時間があり、丁度昼食時だったということもあり、船場センタービル9号館にある「自由軒」でそれぞれ名物インディアンカレーを食べた。

 こってりとライスと混ざったカレーの上に、ぽん、と生卵が乗っている。

 織田作之助の小説「夫婦善哉」に出てくるのは、本店であるなんば千日前の自由軒「名物カレー」。そこから暖簾分けしたのがこの店だが、現在は複雑な事情により、両店に経営上の繋がりはない。しかし、出されるものと味は大して変わらない。

  

「今回の……アンコはあての獲物でっせ」ぐちゃぐちゃにかき混ぜたカレーを頬張りながら杵島が言う「出角はん、今月はちょっと稼ぎ過ぎやろ。ちょっとくらいあてにも回してもらわな」

「ああ、別にええで」

 出角は当時から点数稼ぎには大して興味がなかった。

 

  杵島はたたき上げのベテランのバウンティ・ハンターだったが、昨日陰茎を噛みきられた栗田とさして変わらぬ、ゲス野郎だった。

 あの時、もう35を越していただろうか。

 でっぷりと太った腹に脂ぎったまん丸な頭を乗せ、その口の橋は常に唾液で濡れていた。他の多勢のバウンテイ・ハンターと同じく、杵島は追いつめた女アンドロイドを性的に搾取してから殺すことに人生の喜びを感じていた。


 出角は当時から、杵島のことが大嫌いだった。


 いくらなんでもここまで世間の期待に応えて、そのままのバウンティ・ハンターとして振る舞い、そのことを恥と思う感性すら持ち合わせていないデリカシーのなさは、はっきり言って栗田以上だった。

 

 まったく、何の因果でこんな奴とうまいカレーを食わねばならぬのか。

 出角は半ばうんざりしながら、カレーを黙々と片づけた。

  

 笹川あずみは……いや、笹川と名乗った女アンドロイドは19歳と自称していた。

 すらりとした体つきに細面の顔、その顔は素朴そのもので、今さっき高校を出たばかりの少女のように見えた。

 緑色のぴったりしたTシャツにジーンズ。

 その前に店の黒いエプロンをしている。

 化粧っけはあまりなく、肩くらいの髪を後ろでひとつに束ねていた。

 

 喫茶店のマスターは出角らバウンティ・ハンターに対してあからさまな嫌悪感を見せていた。笹川がアンドロイドであるとは、夢にも思っていばかったのだろう。事実、笹川は明るく、素直で、誰に対しても愛想が良いということで、付近の店舗の従業員や近隣のサラリーマンたちからも評判が良く、いうなれば店の看板娘だった。


 かと言って笹川が誰からも好かれていたわけではない。

 『アン対』に匿名のチクリの電話が入ったことがそのことを物語っている。

 

「……あの……この検査で……その、あたしがアンドロイドやって出たら」笹川は伏し目がちに呟いた「……あたし、殺されるんですか?」

「アンドロイドやなかったらこの検査でアンドロイドやっていう結果が出るわけありまへん。心配しなはんな」

 検査を担当したのは杵島だった。


「生きたウナギの解体を見たとして、あなたはそのウナギで作ったうな丼を食べる気がするか?」

「あなたに子どもが居るとして、その子どもが捕まえてきた蝉をあなたの目の前で殺したらどんな気分がするか?」

「あなたの彼氏(が居るとして)が痴漢の容疑で捕まった、あなたはどう思うか?」

「あなたがパーティに招かれ、その主宰は今夜のメインディッシュだと言いながら生きた子猫をぐつぐつ煮えたぎるナベに放り込んだ、どう思うか?」

 ……等々、単調な質問が続いた。


店のマスターは呆れ返ってその様子を見ていた。

マスターと笹川に性的関係があったのか?

 おそらく無かっただろう、と出角は踏んでいる。根拠はないが。

 笹川を見る店長の目に、性的な香りはしなかった。


あっという間に結果が出た。

 結果はクロ。

 笹川はアンドロイドだった。


一瞬、杵島と出角が目と目を見合わせたのに、笹川は気づいたのだろう。

突然、検査機を置いていたテーブルをひっくり返すと、笹川は店から脱兎のごとく逃げ出した。


「ヤバい!!追え!!!」

唖然としているマスターを尻目に、出角と杵島は笹川を追った。

信じられないくらい、笹川の逃げ足は早かった。

船場センタービルは地階から地下2階までの3層に別れている。いずれかの層に逃げ込まれたら、見つけだすのは至難の業だった。

 そればかりか、ビル内には無数の地下鉄通用口があった。

 地下鉄にでも乗り込まれたら、その時点でアウトである。


でっぷり太った杵島はひいひい言いながら、大汗を撒き散らして走った。

 信じられないことだが、本気で走った杵島は出角より脚が早かった。


笹川はセンター街を短距離選手のような華麗なフォームで走り抜ける。

その先はどん詰まりになっていることを、出角は知っていた。


「杵島、下の階へ行け!どん詰まりの階段の踊り場で挟み撃ちや!」

「上へ逃げたらどないするんや?」

 杵島がもっともなことを聞く。

 そのへんは、出角にしても賭けだった。

「ええから行け!!」


途中の通用階段で、出角と杵島は二手に分かれた。

出角は遙か向こうに走り去る笹川の後ろ姿が、どん詰まりに着き、踊り場に駆け込むのを見届けた。


吉と出るか凶と出るか?


出角が数秒遅れて階段に駆け込むと、どうやら運は自分に味方したことが判った。

汗まみれの杵島が、踊り場でブラスターを笹川に突きつけている。


「手間こかせよってこのクソアンコが………」

 全身濡れ雑巾のように汗みずくの杵島が言う。

「……あーあ」笹川は、だらん、と両腕を下げて降参のポーズをした。「……で、どうすんの? これからやらしいお楽しみ? それとも一気にズドン?」


  散々走ったせいで、少し呼吸が乱れ、顔が上気していたが、笹川の態度はアンドロイドそのものだった。

 うっすらと汗の玉を乗せた頬には、早くも冷笑が浮かんでいる。


「……出角はん、ここはあてに任せてもろてよろしいな」

「……ああ」

 出角は答えながら、この男の体力と気力に感服していた。もちろん皮肉だが。

「壁に、手えついてケツ突き出さんかい」杵島がブラスターを手に言う。

「あの、消火器のとこでええ?」

 笹川が壁にしつらえられた消火器のボックスを指さす。

「ああ……好きにせえ」


笹川はめんどくさそうに溜息を吐くと、消火器のボックスに手を突いて、腰を突き出した。

ジーンズに包まれた、リンゴのように小ぶりで丸い尻が、踊り場の上から見ている出角にもはっきりと見える。

 杵島はブラスターを手に近づくと、まず、笹川のエプロンの紐を解いた。

 はらりとエプロンが垂れ下がる。

 笹川は消火器のボックスに手を突きながら、出角の方を嘲笑うように見た。


「あんたは見てるだけで満足なクチ?」

「やかましい。生意気なこと抜かすな」


 そう言って杵島は笹川の髪を束ねていた輪ゴムを外した。

 柔らかい笹川の髪が、ふわりと広がる。

 乱れ髪を見るのが、杵島は好きなのだろう。

 クズ野郎のこだわりにもいろいろあるもんだ、と出角は思った。


杵島は笹川を後ろから抱きすくめるようにして、彼女ジーンズの前ボタンを外し、ジッパーを降ろした。

そして下着とともに一気にジーンズを引き下ろす。

 蒼白い笹川の小さな尻が剥き出しになる。

笹川は垂れた前髪越しに、出角を見ている。

 無感動で、冷笑的なアンドロイドらしい眼差し。


杵島がブラスターを左手に持ち替え、右手を笹川の脚の間に差し入れた。

そしてそのまま、ぐいっと乱暴に持ち上げる。


「んっ」

 笹川が短い声を漏らした。

「なんや……濡れとるやないけ。そんなに殺されるんがうれしいか?」

「あんたはそんなに殺すのがうれしい?」

 笹川が肩越しに、乱れた髪の隙間から杵島を見てあざ笑う。

「上の口はどないもこないもないな。下の口を塞いだるわ」


杵島はズボンのジッパーを降ろすと、いきりたった陰茎を抜き出す。

 そして笹川の脚をさらに大きく開かせると……その姿勢のまま、一気に挿入した。

「んんっ………」

「ああ、すごい……すごいええぞ、お前……ああ、こりゃ……ええ塩梅や……」

 ゆっさゆっさと揺れながら、杵島が腰を使っている。

 思わず出角は目を逸らした。

 

 その瞬間だった。

 

 笹川が消火器のボックスを開け、中から小型のブラスターを取り出したのだ。

 一瞬のことだった。

 笹川が自分の腹にブラスターを当てると、引き金を引く。

 そうやって、自分の身体を貫通させて背後からがぶり寄る杵島を撃った。

 杵島はそのまま後ろに吹っ飛び、背後の壁にぶつかってこと切れた。

 だが濡れた陰茎は、まだしゃっきりとしていた。

 出角は一体何が起こったのか理解できなかった。

 

 後から考えれば、笹川はわざとこの踊り場に出角と杵島を呼び込んだ。

 こうした事態に備えて、笹川はこの踊り場の消火器ボックスの中にブラスターを隠していた……自分をここに追いつめたつもりでいる間抜けなバウンティ・ハンターが、まんまとこの踊り場に誘い込まれること……そして世間で思われているとおり、ここで下衆なバウンティ・ハンターが自分を犯すであろうということまで予測して。

 

 自分でぶち抜いた脇腹からおびただしい出血を見せながら、それでも笹川は絶命していなかった。

 血の海の中に座り込む、笹川の白い尻が見えた。

 次に前髪の隙間から、笹川は出角を見た。

 その眼差しのせいで、出角は一瞬動くことができなかった。

 人間からも、あのような憎悪の眼差しを向けられたことはない。

 憎悪……アンドロイドには無縁の感情のはずだが。

 

 おかげで自分のブラスターを抜くのが一瞬遅れた。


 気がついたときには左脇腹の肉を持って行かれていた。

 続いて笹川のブラスターが放ったレーザーは、右耳のすぐ上をかすた。

 “ゴリッ”という音が頭蓋に響く。

 出角は遅ればせながらもブラスターを抜き、続けざまに4発撃った。

 

 うち二発が命中。

 一発は笹川の背中から肩甲骨の間にヒットし、上半身を粉砕。

 もう一発は尾てい骨を打ち砕いた。

 結果、笹川の死体はばらばらになって踊り場に飛び散った。

 

 出角はその場に呆然として立っていた。

 立っていられるのが不思議なくらいだったが……。

 

 陰茎を勃起させて絶命している杵島の死体のことは、目に入らなかった。

 その代わり、ばらばらになった笹川の頭部が、こっちを向いて転がっていた。

 

 実際、生気を失った笹川の頭部は、涙など流さなかった。

 

 しかし、いつも夢に出てくる笹川の首は、ここでひとしずく涙をこぼすのだ。

 

 

 気がつくとパトカーは、さらに濃いスモッグに覆われた門真市に入っていた。

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