第2話 よごれ仕事
大阪市大病院で看護師として働いている鳴美が出かけた後、出角は2回洗濯機を回し、かんたんに部屋を掃除してから軽い昼食を摂りにあべの筋に出た。
出角は昨年、84人ものアンドロイドを処分した。
これは世界新記録であり、普通のバウンティ・ハンターの6年分の仕事を1年でこなしたことになる。
各都道府県警が支給するバウンティ・ハンターへの固定給は悲しくなるくらい低いが、アンドロイド1人分の賞金は高く設定されている。バウンティ・ハンターそれぞれのモチベーションを高めるためである。
1年間に84人も始末したのだ。
出角の繊細な神経は、かなりまいっていた。
そのせいで、出角は今年の始めから休職している。
しばらくアンドロイドを殺すのはまっぴらだった。
転職も視野に入れて……今後の人生を見つめ直す時期に来ている。
40を過ぎた出角はそう考えていた。
150年もの歴史を持つ路面電車はまだ健在である……上空には新型のエア・カーが飛び交っており、路面を走る自動車のほとんどはフル・エコの電動ホバークラフトに姿を変えたが……かといって路面電車を 使用する人間が居なくなった訳ではない。
あべのキューズモールまで出かけ、いつもの立ち食いうどん屋「松屋」できざみうどんを注文した。
ところで、うどん屋の大将はアンドロイドである。
先代は20年も前に隠居し、あとは先代そっくりのアンドロイドが店を切り盛りしている。うどんの味はまったく変わらない……だから大将のことをアンドロイドだと知らない客も多い。あのアンドロイド自身も、ときどき自分がアンドロイドであることを忘れているんじゃないかと思うこともある。
うどんを半分ほど啜った時、後ろから肩を叩かれた。
不躾な叩き方だ……おおよそまともな常識を持った人間の叩き方ではない。
出角は左手で丼を持ちながら右手で懐の9ミリ銃を掴み、振り返る。
アンドロイドなら顔に風穴を開けてやるところだったが、背後に立っていたのは明らかにアンドロイドではなかった。
こんなにも醜いアンドロイドが存在する筈がない。
「……で……デスみ、さんで……ですか?」
アンドロイドはこんなにもどもる事はない。こんなにもブクブクと太ることもしない。それにアンドロイドの息はこうも匂わない。アンドロイドはワイシャツに汗を滲ませたりしないし、髪の毛をベトベトの油でテカらせてはいない。
それに……ジャケットの左腋をここまで不格好に出っぱらせてはいない。
あのどうしようもないレーザー銃を、ホルスターに入れている証拠だった。
見たところ、そいつは25、6の小僧だったが、右手にバウンティ・ハンターのバッジを開いて持っていた。
「……ふ、……府警ほ……ほんぶから……来ました………高本といいます」
見ない顔だった。新米らしい。
アンドロイドが店番をやっている店で、バウンティ・ハンターのバッヂを出すような、常識のないやつだ。
案外こういう奴のほうがバウンティ・ハンターに向いているのかも知れない。
「おれは休職中なんや」
そういって出角は高本に背を向けて、残ったうどんに掛かった。
「ほ……本部の、杉本部長が……どうしても………あなたに出頭してほしいと……」
「知らんね」
杉本部長? 冗談じゃない。
あの面を見たくないのも休職している理由のひとつだ。
「……あなたが……ご……ご同行いただけない……と……時は……連行してく……くるようにと」
連行? 何をバカげたことを、と思って出角が振り返ると、デブの後ろに二人の制服警官が立っていた。どうやら本気らしい。もしくはこのデブはどんな冗談でも真に受けるタイプなのか……いずれにせよ、なじみのうどんやで手錠掛けられて連れて行かれるのは辛い。
出角はうどんを3分の1ほど残し、デブと二人の制服警官とともに、連れたって店を出た。
「毎度おおきに」
アンドロイドの主人が言う。
出角がバウンティ・ハンターだと聞いて、親父は別に何も感じないだろう。
誰かに殺されるアンドロイドと自分は、まったく違う存在だと考える。
それがアンドロイドの特性である。
その代わり、店の客たちみんなが出角を白い目で見ていた……
それが世間一般のバウンテイ・ハンターへの見識だ。
新品のエア・パトカーに乗り込んだ。制服のうちひとりが運転席に座り、デブの高本が窮屈そうに助手席に乗り込む。出角はもうひとりの警官と後部座席に乗り込んだ。社内にデブのベーコンを煮しめたような体臭が充満した。
「窓を開けてええかな?」
出角が言うと、隣に座ったまだ髭も生えそろってないような若い警官がパワーウインドウを開けた。
シューッという静かな音とともに、エア・パトカーが空に舞い上がる。
現在、地球の男女比率は4:1という深刻な女性不足にあることは前述したが、アンドロイドの製造技術はその地球の生態系環境の必然性に応じて発達してきた。
はじめて精密な性交用アンドロイドであるヴォワーチュA型を発明したのは、オランダのマステック社だった。世界は驚いた……マステック社のアンドロイドに比べれば、それまでのダッチワイフなどまるでお話にならなかった。さすが、オランダである。マステック社は、話し、考え、相手の好みを読みとり、従順に従う完全な機械の女を作り上げた。しかし特殊ラテックスに覆われた機械人形はまだまだ生身の女とは隔たりがあった……当時の利用者の話によると、どうしても死体と行為に及んでいるような感覚を拭えなかったという。
次にアメリカのサイバーダウン社が、S-101型を開発した。これはスゥエーデンの医療メーカー、ハバ・スクリプト社との共同開発で生まれたもので、金属とセラミックでできた骨格を生体組織で覆ったものだ。見た目に、それはまったく人間と比べて違和感がなかった。S-101型は爆発的にヒットした。ただ、全てのタイプが西洋人女性をモチーフとした大柄で大味な代物であった為、アジア市場での売り上げはぱっとしなかった。また、表面の生体組織を腐敗・腐食を防止するためのメンテナンスに掛かる費用と手間は、S-101型の最大の問題点だった。S-101型は、自分で新陳代謝ができなかったのだ。
そして、10年の試行錯誤と開発研究の末、アメリカ・シリコンヴァレーのガレージメーカー、ニクサス社が開発したニクサス0型は、アンドロイド産業に革命をもたらした。それは機械ですらなかった。細胞の人工培養と人の手によってプログラミングされた遺伝子を持つ、完全な複製人間だった。表面上はおろか……解剖学的にも人間と何ら変わるところはない。汗をかき、躰を傷つけられれば痛いと感じ血を流し、栄養を摂取して排泄した。
唯一人間と違う点は、骨髄液の遺伝子構造が若干人間と異なること、そして、全くもって他者に対する共感性に欠ける、という点だけだった。
この技術を丸パクリしてアジアで開発、売りさばいたのが大阪のファナソニック社と、韓国のジリクソン社である……両社の作るアンドロイドは、目が大きく、スレンダーで多少小柄だが、締まるところは締まり、出るとこは出ており、なにより従順な性格になるように思考プログラミングがなされていた。
たかだか精巧なダッチワイフのために人類の英知が結集し、その産業史を築いていったことはいささか滑稽かも知れない。
もちろんだが、アンドロイドたちはセックスのために開発されたわけではないことになっている。
この男女比率4:1という悲惨な地球の状況の中にあってもだ。
名目上……アンドロイドたちは家庭やもしくは単純労働のために開発されたことになっている……少なくとも表向きは。
実際、さきほどのうどん屋のおやじのアンドロイドのように、アンドロイドはますます拍車が掛かった高齢化社会にとっては救世主だった。ちょっとした投資で、働けなくなった老人たちの分まで働いてくれるのである。しかも報酬は、犬の餌より安いペースト状の栄養食材のみときている。 また、アンドロイドは老人介護の世界でもその性能を発揮した。アンドロイドは献身的であり……老人たちの性欲の発散にも答えた。
また、アンドロイドは第一次産業でのきつい労働や工場などの単純労働にも向いていた。ヘラクレスのような筋骨隆々のアンドロイドたちは、劣悪な労働環境の中で文句も言わず、ストもせず、無駄話や愚痴も言わず、有給休暇も求めず働き続けた……お陰で多くの生身の肉体労働者たちが職を失い、浮浪者が街に溢れた。
とりあえず2045年当時、国家は「福祉」の発想を過去の遺物としていたので……アンドロイドたちによって職を失った人は見返られることがなかった。そして隠居せざるを得ない老人たちは、多少の出費を覚悟しても、自らの代わりに働いてくれ、安定収入を保証してくれるアンドロイドを購入せざるを得なかった。
また、試験的にだが……米国がアンドロイドを軍事行動に導入したこともあった。
まったくの失敗だった。
アンドロイドはお互い(アンドロイド同志でもだ)に対するの共感というものを全くといっていいほど欠いているため、まるで集団行動が出来ない。また、他者の生命に対しても自らの生命に対して全く保護意識を持たない彼らは、平気で勝手な行動を取り、部隊を全滅させた。
米国国防省はその結果に頭を悩ませたが……電卓を弾いた結果、アンドロイドを兵士として生産するよりも、2018年以来停滞を続けている経済状況の中、食うに困って軍隊に流れ込んでくる生身の若者たちを使用したほうが、よっぽど安上がりであることに気づいた。以来、アンドロイドが軍事用に使用されたという話は聞かない。
それでもなお……アンドロイドとの性交は完全な市民権を得ている訳ではない。
政治家や財界人、巨大企業の経営者、芸能人のほとんどは同性愛を……もしくは極めて希ではあるが、生身の人間の女性とのヘテロ・セックスを公言している。明らかにセックスの相手として生産され続けるアンドロイドと性交することは、かつて風俗に通うことに似た、いや、未成年に金を払ってわいせつな行為をするような、後ろめたさと罪悪感を纏い続けている。
特に宗教的戒律の厳しい国々では……アンドロイドとの性交は白眼視された。
しかし誰でもやってることだ……おれ以外は。
と、出角は黄砂に覆われた大阪の街を上空から眺めながら思った。
脱走したアンドロイドを追い、処理するバウンティ・ハンターは世間から偏見を持たれている。追いつめた女アンドロイドをレイプしてから、処理するという噂がまことしやかに語られていたからだ。
出角は、そういうことは一度もしたことはない。
だからこそ、世界記録を稼ぐバウンティ・ハンターとなれたのかも知れない。
しかし、同僚のバウンティ・ハンターたちは噂どおりのことをしていた。
出角はそういうことをする同僚たちを本物のクズ野郎であると考えていた。
そういう光景を目にするたびに、バウンテイ・ハンターに対する世間の評判が厳しいのも仕方がないな、と痛感した。
5分後、エア・パトカーは追手門の大阪府警本部の屋上発着場に舞い降りた。
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