おまえにアンドロイド容疑が掛かっている

第20話 酒と涙、男と女 2045

 目の前に酒瓶が並んでいる……瓶ビールが3本に、日本酒の2合徳利が3本。

 全部、俺が飲んだのだろうか?……出角が腕時計を見たとき、時刻は既に22時を回っていた。


 ぐらぐらする意識の中で耳を澄ますと、JR線ホームから漏れてくる発車ベルの音と“グランシャトー”が70年間京橋の街に流しっぱなしにしているCMソングが入り交じり、出角のくたびれきった神経をひりひりと刺激する。


 「いしかわクリニック」を出た後、府警に戻るという高本と別れ、JR京橋付近でパトカーを降りた。普段それほど酒を飲むわけではない出角だったが、今晩に限っては全身がアルコールを求めていた。


JR京橋駅を抜けて、東側のアーケード街でまずはじめに目に入った居酒屋に入った……以来2時間ほど、ろくにツマミも食べずに酒を飲んでいる。

良くない酒だった……こういう飲み方をすると、決まって4年前にレーザーで擦られた右耳の上あたりがズキズキと痛み出す。

 

「あ、ごめん。お酒もう一本」

 アルバイトらしい二十歳そこそこの茶髪の少女に声を掛ける。

「はい、ヨロコンデ!!おあと3番さんお酒一本!!」

 少女が元気に叫ぶと、厨房から“ヨロコンデ!!”と野太い声が返ってきた。

 あいつらは人間か? それともアンドロイドか?

 どっちだっていい……居酒屋の店員には変わりない。


 “お客さん、もうちょっと飲み過ぎなんとちゃいますか”


 ……これがドラマや映画なら、あの茶髪の少女は出角にそう言うかも知れない。しかし現実の世界では、飲み屋で店員にそんなことを言われることはない。


 当たり前の話だ。

 何故なら飲み屋は客の求めに応じて酒を出すところだからだ。


 出角が飲み過ぎていようと、いまにもくたばりそうなほど顔に黄疸を見せていようと、飲み屋の店員がそれを気にすることなどあり得ない。

 明日死にそうな重度のアル中であっても、飲み屋にとっては客だ。

 今夜この店で飲んだ何杯かの酒がその命をどれだけ縮めようと……たとえその最後の数杯が明日、そのアル中の魂を奪うことになったとしても……そんな事、誰が気にする?


 出角はふと、この店に入る前に何人か見かけた京橋駅前の“宿無し”たちのことを思った。


 国家が福祉を徹底的に切りつめ、単純労働の働き口のほとんどをアンドロイドたちが奪っている昨今、技術にも、コネにも、親類にも、やさしい友人にも縁のない人間は路上にあぶれ、ひたすら安酒に溺れるしかない。


 彼らが雨露にさらされ、酒や粗悪な薬物に溺れ、やがてやってくる冬の冷気にさらされて死んでいくことを、自分は一体どれだけ気にかけているだろうか?

 

 アンドロイドには感情がない。

 彼らには他者を思いやり、気遣う能力が先天的に欠落しており、それを学習する能力がない。そのことを判定基準として、これまで自分は数多のアンドロイドたちを殺してきた。

 

 

 いや、殺してきたのではない……処分してきたのだ。

 


 頭の中に響いた“殺す”という言葉を掻き消すため、出角はコップに残っていた50ミリくらいの酒を一気に煽った。


 一昨日、自分が頭を吹っ飛ばしたあの女……酒井が人間であった筈がない。

 大学病院で行われている骨髄液の遺伝子構造検査結果を待つまでもなく、それは疑いようがない事実だ。

 出角たちバウンティ・ハンターが持ち得る、唯一の客観的判別法であるところの、フォークト・ガンプフ検査の結果を見る限り……酒井は間違いなくアンドロイドである筈なのだ。


 しかし……酒井は“いしかわクリニック”で、あの奇妙な“記憶の人工透析”を受けていたというのはどういうことか……?



 アンドロイドの心は例外なくどこまでも空虚だが、同時に彼らは自らの空虚さに対して自覚的ではない。

 つまり、彼らは自分の出自に対して……自らが人工的に造り出された空虚なまがいものであるという事に対して、卑下したり悲観したりする感性すら持ち得ないはずなのだ。


 少なくとも、出角たちバウンティ・ハンターたちはそう理解している。


 では、酒井は何を求めてあの病院でニセの記憶を得ようとしたのか?

 アンドロイドとして生まれた自らの記憶を消し、人間としての記憶を得ることによって……酒井はほんものの人間になろうとしたのか? 


 あり得ない話だった。


 もし、万が一……万が一の話だが……酒井がそのように考え、自らの記憶をすっかりまっとうな人間の記憶として書き換えたとしても、彼女がアンドロイドととしてこの世に造り出された、という事実自体は揺るがしようがない。


 

 “……主観は、出角さんが思たはるよりもずっと重要なんです。主観の枠外にある、様々な“起こってしまった事実”の証拠、確かな痕跡などよりもずっと……重要なんですわ”

 

 石川医師の言葉が頭をよぎる。


 まったく、わかったようでわからん話だ……完全に記憶を書き換えたところで、そのことで得ることのできる「人間になれた」という思いは、アンドロイド自身の自己満足に過ぎない……それだけの話ではないのか?


 もしアンドロイドに自己満足などという感覚が存在するのであれば、の話だが。

 

 しかし、わからないのは酒井が自宅に所有していたアルバムだ。


 フォークト・ガンプフ検査が客観的に酒井の正体をアンドロイドであることを裏付けたように、あのアルバムに収められていた酒井の“成長の記録”は酒井が人間として生まれ、あの歳まで成長したことを客観的に裏付けている。


 石川医師が酒井に“記憶の人工透析”を行ったからといって、当然のことだがその記憶が現実になるわけではない。では、あの写真もまた、捏造された記憶と同様に、合成・加工された紛い物なのだろうか……?

 

 石川医師は酒井の“アルバム”に関して、何も知らないと言っていた。

 これまで蓄積してきた出角の経験から、医師のその言葉がウソであるようには思えなかった。


 あの写真が加工物であるとしても……あれほどまでに精巧なものを酒井自身が作ったとは考えにくい。


 ちんけな合成写真ならば子どもでも自宅のパソコンで作ることは出来るだろうが……出角のようなそれなりに経験を積んだ捜査官の目を誤魔化すほどの代物を作るとなれば、それなりの技術と、設備と、資金が必要なはずだ……


 では、一体誰が?

 

 出角は際限なく枝分かれを続ける意識を落ち着けようと目を閉じた。天井を仰ぎ、目の上にすっかり冷え切ったおしぼりを乗せる。

 

 目を閉じても網膜の闇の向こうに、あの診察室の寝台で、全身に電極をつけられて喘いでいる酒井の姿が見えた。


 何故か酒井は全裸だった……覗き窓の向こうには、誰も居ない。


 ただあの雑然とした石川医師の机に酒井のアルバムが広げられている。酒井が喘ぎ、寝乱れるたびに、そこに写真がひとつ、またひとつと増えていく……おきあがりこぼしと並ぶ赤ん坊の酒井、砂場で遊ぶ幼児の酒井、ランドセルを背負った小学生の酒井、スクール水着を着た酒井、そして広島・原爆ドームの前で微笑む、高校の制服を着た酒井……。


 そしてその隣ではいくつもの古いノートが並べられている。

 ノートの表紙にはタイトル……


 

“アンドロイドやないけど電気羊の夢でも見るか”

 


「泣いてんの?」

 

 不意に女の声で我に返った。

 あわてて天井に向けていた顔を元に戻すと、おしぼりが膝の上に落ちる。

 一人で腰掛けていたはずのテーブルの正面に、いつの間にか若い女が一人座っていた。

 見たこともない女だった。

 一瞬出角は、飲み過ぎで夢でも見ているのではないかと思った。

 

「泣いてんの? ……何で?」

「あ……」


 そう言われて出角は、自分が涙を流していることに気づいた。

 

 女は無表情に出角の顔をじっと見たまま、細い煙草に火を点けた。

 女は地味な濃いグレーのスーツに白いブラウス姿。

 腰までありそうな長い髪を、無造作に頭の上で二つに分けている。

 若いというよりも、幼い印象を与える顔だった。

 そのせいか地味なスーツ姿も、まるで就職活動中の女子学生のように板についていない。

 

「居酒屋で一人でこんなに酒飲んで、涙流して……なんか、めちゃくちゃ絵になってるで。おっちゃん」女がそう言って鼻から煙りを吐き出す。「なんか辛いことでもあったん?」

「ああ……いや……」出角は膝のおしぼりで涙を拭った「4年前に近視矯正の手術してな。その後遺症やと思うんやけど、酒飲むと涙が出てくるんや。特に深い意味はあらへん………ところで、君は?」

「あたし? あたしは怜子」


 女は笑いも、目を逸らせもせず、煙草を吹かし続ける。


「……いや、そうやなくて……なんで僕の前に座ってる?」

「……誰かここに来る予定でもあるん? ……ジャマやったらどっか行くけど」

「い、いや……別にそういうわけやないけど……」

「ふーん、手術の後遺症か……いや、なんかごっつう絵になっとったもんやから……金曜の晩にひとりで居酒屋で泣いてるおっちゃんなんか、あんまり見たことないしな。それが結構絵になってたんよ。しょぼくれた感じが、ほんまええ感じやったわ」

「……そうか、ご期待に添えんで悪かったな………」酔いのせいだろうか……普段の出角なら見も知らない女とはこうも気安く口を効くことはない。「で、君こそこんなしょぼくれたおっさんばっかりの居酒屋で、ひとりで何やっとるんや? ……見てみい。君ひとりでこの店の平均年齢、だいぶ下げとるみたいやぞ」


 中高年サラリーマンだらけのこの店で、その若い女は確かに浮いていた。


「……何してるって……そやなあ……“狩り”、かなあ」

「“狩り”?」

「あたし、しょぼくれたおっちゃんに目がないねん。この店、京橋でも一番しょぼくれたおっちゃんが集まる店やから、前から目つけててな、週末のたんびに通ってんねんけど……今日はヒットやったわ。いやあ……おっちゃん、超しょぼくれてる。これまでここで引っかけたおっちゃんの中でも、サイッコウにしょぼくれてるわ」


 怜子と名乗った女は、そう言ってケラケラと笑った。

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