第37話  オレンジの廊下

意識が戻ったときには、石戸は銃を握りしめたまま床に横たわっていた。

栞は……?

なんとか半身を起こして、ベッドに手をつく。


シーツは馬亭が吐き出した赤黒い血でぐっしょりと濡れている。


栞は……?


血にまみれたベッドに手をついて、なんとか立ち上がった。

銃を握りしめた右手には、まだ反動の痺れが残っている。

ベッドの向こうには、大の字で転がる全裸の大男の亡骸。

腹にふたつ、左右の胸にそれぞれ一つずつ、パンチで開けたような大穴が開いていた。馬亭は命を失った目で、ぼんやりと天井を見上げている。

その口はくっきりと上弦の月のかたちに笑っている。

ぞろりと並んだ歯は、吐き出した血で真っ黒に染まっていた。


ところで、栞は……?


部屋にはいない。

ということは、さっき放った一発は的を外れたということか?


いや、そうではない。

床に目をやる。

まるでパンくずを落としていったように、点々と血の跡が続いていた。

その跡を目で追うと、開け放たれた部屋のドアに続いている。


銃を握りしめたまま、石戸はよろよろと血の跡を追い始めた。


なんとか、ドアをくぐって外に出る。


「……え?」


暗い廃墟の廊下に出るはずだった。

そして、今は夜で、さっきまでは大雨が降っていたはずだ。

しかし石戸を包み込んだのは、窓から差し込むオレンジ色の夕日だった。


「……これは?」


あまりにも眩しすぎて外の景色も見えないくらい、廊下の右側にずらりと並んだ窓からは、オレンジの光が差し込んでいる。

窓の反対側には、教室のドアと壁。

白いリノリウムの床には、点々と血の跡がついていた。

廊下の向こうに目をやる。

ちらり、と紺色の布が、角から消えるのが見えた。


「……学校?」


  どう見ても、これは学校の廊下だった。

 もちろん石戸がかつて通っていたような学校の廊下とはまるで違っている。

 喧騒も怒声もなければ、廊下を走り回る生徒たちの姿もない。

 落書きもなければ、割れた窓もない。

 床も壁も天井も、滅菌処理されたように真っ白で、ぴかぴかだ。

 昔の映画やドラマのなかに出てくるような「学校の廊下」だった。

 まるで撮影のためのセットのような。


 いや、そんなことはもうどうでもいい。

 オレンジの夕日のなかで、石戸は地面に続く血の跡をゆっくりと追いはじめた。

 右手に重い拳銃を握りしめたまま。

 

 さっき、廊下の突き当りの角を、なにか紺色のものが横切った。

 栞だ--。

 そして自分は、栞を殺すしかない。


 廊下の角に差し掛かろうとするとき、背後から奇妙な物音がした。

 物音……というか、なにかの鳴き声だ。


 メーー……


 思わず振り返る。

 石戸の背後三〇メートルほど向こうに、一匹の羊がいた。

 今さっき、洗濯機で丸洗いされたような真っ白な羊だった。

 羊は廊下の真ん中で、口をもぐもぐさせながら、石戸を見ている。


 それが羊であることくらいは、石戸にもわかった。

 もちろんほんものの羊を見たことはない。

 羊は何十年も前に絶滅してしまった……と聞いている。

 ラム・マトン肉は合成で食べることができるが、とても高価だ。

 

 石戸は子どもの頃、テレビのネイチャー番組でその姿を見たことがあった。

 白くてフワフワで、とことん大人しく、無害で、やさしそうで……そりゃあこんな世界を勝ち残ることができる生き物ではないなあ、と子どもごころに思ったことを覚えている。


メー……


なぜこんなこところに、羊がいるのだろうか。

そもそもあれが、ほんものの羊であるはずがない。

たぶん、電気仕掛けか、もしくは人工細胞でできた模造動物だろう。


いや、自分の部屋を飛び出したら、こんなオレンジの光に照らされた学校の廊下に出たのだ。

あそこに羊がいようが、いまいが、それがほんものであろうが、そうでなかろうが、まったくいまの自分にとってはどうでもいいことだ。


メー……


羊は自分を呼び止めようとでもしているかのように、鳴き声をあげる。

石戸は羊に背を向けて、そのまま床の血の跡を追い始めた。


廊下の角を曲がると、階段があった。

その階段も、すべてが真っ白で、高い天井の明かりとり窓からオレンジの夕日が差し込んでいる。点々と続く血の跡は、階段を登っていた。

銃を前に突き出して、一段、一段、血の跡をたどる。


と、踊り場まできたところで、上の階に続く階段の途中に、人影があった。

慌てて両手で銃を構える石戸。

……が、栞ではなかった。


階段に立っていたのは、白衣を着た禿頭の、小柄な男だった。


「なぜ、あの子を殺すんです?」


男が、石戸に向かって不思議そうに聞いた。

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