第38話 目覚めよ出角、と精神科医は言った。

「誰や……」


石戸はその男の顔に銃口を向けたまま、声を絞り出した。

男は白衣を着ているので、見たところ医者か学者のようだ。

あるいは、この学校の理解の先生か、もしくは学校医かも。

とにかく石戸は、その男の顔に見覚えはなかった。


「わたしです。“いしかわクリニック”の石川です。お忘れですかな? ええと……大阪府警脱走アンドロイド対策室の……出角さん」


出角? ……初めて聞く名前だった。


「おれは、そんな名前やない……大阪府警? なに言うとんねん」


 石戸は階段を一歩登り、その丸顔の禿頭に銃口を突きつけた。

  しかし男は、まったく動じた様子を見せない。

 それどころか、いかにも人好きがする愛想のいい笑みを浮かべた。


「いえ、あなたは石戸さんやない。ほんのつい1ヶ月くらいまえまで……新世界フェスティバルゲートの跡地の空き部屋で、一人寂しい生活を送っとった、でんでんタウンの大人のオモチャ屋の、しがないアルバイト店員やない」


なぜ、一度もあったことがないはずのこの男が、自分のことをこんなに知っているのだろうか? ……そんなことは、誰も知らないはずだ。


この世界で誰も、自分の存在など気にとめている人間なんていないはずだ。


「お前は……何者なんや?」

「それはどうでもええことです。まあかいつまんで申しますと、わたしは精神科医で、あんたを助けにやってきた。追い詰められている人の心を、救うのがわたしの仕事です。あるいは、追い詰められようとしている人を止めるのも」


石川と名乗ったその医師らしい男は、愛想のよい笑みを崩さない。


「あんたが誰か、何者か知らんけど……そこをどいてくれ。おれは、あの女を殺すんや。邪魔するんやったら……あんたもいてまうど」

医師の顔から笑みが消えた。

その代わり、憐れみが現れる。

「なぜ、あの子を殺すんです? あの子に……いったいどんな恨みがあるっちゅうんです?」


石戸は答えに窮した。

それは、とても一口では説明しきれない。

というか、それを一から説明していたら……栞に逃げ切られてしまう。


「ええからどけ! 俺はあの女を追うんや! 捕まえて、殺すんや!」

「それは、あなたが大阪府警のバウンティ・ハンターやから? 仕事やから? それがあなたの誇りですか? ……出角さん。それは、あなたの望みですか?」

「だから俺は……出角なんちゅう名前やない! バウンティ・ハンターでもなんでもない! どけおっさん! 俺は殺す、ちゅうたら殺すんや!」


ふう……と医師がため息をつき、首を振りながら禿頭を撫でる。


「あんたは、昨年84人ものアンドロイドを殺した、世界記録保持者のバウンティ・ハンターです。とてもやないけど、それでは人間の神経が持たない。あなたが人間なら……の話ですけれども」

「うるさい、どけ!」


石戸はその男の胸をどん、と押そうとした。

しかしその手は、するり、と医師の胸に抵抗なく沈み込んだ。

勢いあまってつんのめり、階段から転げ落ちる。

見上げると、何事もなかったように階段の上から医師が石戸を見下ろしていた。

 相変わらず、哀れむような……もしくは申し訳なさそうな顔をして。


「あなたは、アンドロイド殺しに飽き飽きしてた……そうでしょう? 若うて美人で、ナイスバディな奥さんとの暮らしを支えるためとはいえ……もう神経が限界やった。数年前からそうだったでしょう……そのたびにあなたは、わたしの診療所“いしかわクリニック”に、自ら足を運んでいた」

「な、なにを……なにをわけのわらかんこと言うとんねん! と、ところで……あ、あんたはなんや? ゆ、幽霊かなんかか?」


医師が笑う。


「夢ですがな……出角さん。これはあんたの見ている夢です。たまにこんなことはありませんか? ……夢のなかで誰かに殴りかかって、なんぼ強く殴りつけても、まったく手応えがない、っちゅうことは? ……それと同じです」

「これが夢……?」


確かに、オレンジの廊下に、羊に、階段に立つ幽霊のような医師……

ここまで不可解なことが続くのだから、これが夢だと言われても仕方がない。


しかし……栞への殺意はほんものだ。夢ではない。

ついさっきまで……千春と馬亭がやってくる前までの栞とふたりきりの生活を奪い去った数時間の出来事が、すべて悪い夢だったらどんなにいいか、と思っていたことは事実だが。


「あなたは、確かに腕のいいバウンティ・ハンターでした。でも、何の恨みもないアンドロイドを次々と殺すうちに、どんどん自分を追い詰めていきました。上司から言われたとおりにアンドロイドを殺すのはもう限界でした。奥さんとの生活を大切に思う気持ちで自分を鼓舞して、殺すたびにゲットする賞金で生活を支えていくのが、やりきれんようになっていた……だからあなたは、“アンドロイドを殺すに値する”殺意を得るために、わたしのクリニックにやってきた。そして、他人の記憶を求めた……そうすることで、殺すように命令されたアンドロイドたちを、殺さなければならない理由を捏造した」


石戸はよろよろと立ち上がると、また銃口を医師に向けた。

もちろん、効果がないことは百も承知だったが。


「うるさい! おれがあの女……栞を殺したい気持ちはほんもんや! あいつは死なんとあかんのや! 人間やろうと……アンドロイドやろうと……」

「出角さん、もう限界です」医師は悲しげな表情で言った。「何度、同じことを繰り返すんです? 仕事のたびに、行き詰まる。そしてわたしのところで、ニセの記憶を移植して……また仕事をやりとげる。でも、いつまでそれを続けるつもりなんです? ……あの子を追うのはやめなさい。見逃すんです」

「できるか! ぜったいに、絶対に殺すんや!」


今度はもう、医師の身体を押しのけることすらしなかった。

そのまま、するりと医師の身体をすり抜け……石戸は階段にを駆けのぼった。

 階段に点々と続く、栞の血の跡を追いながら。


「アンドロイドを殺す理由は、もうないんですよ出角さん……」石戸の背中に、医師が声を掛ける。「じきに新世代モデルのアンドロイドが出荷されます。記憶も、感情も、もちろん骨髄液の遺伝子構造も、人間と寸分違わぬタイプが……それに、その新世代にはこれまでにない機能が……」


石戸は一度も振り返らずに階段を走った。

だんだん、医師の声が小さくなっていく。


血の跡を追い続けて……やがて石戸は屋上に出た。

真っ白なコンクリートのフロア。フェンスは見当たらない。

目前に信じられないくらい大きな夕日が沈みかけている。

その前に、セーラー服を着た栞の小さなシルエットが立ちふさがっていた。


眩しいオレンジの光のなかで、石戸は拳銃を持ち上げた。

そして、小さな影法師に狙いをつける。


「待っとったで……あんた」


引き金を引いた。

カチン。

銃の弾は切れていた。

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