第39話 ほな、さいなら。
「うわあああああ! わああああ!」
石戸は銃を放り出して、夕日の前に立つ栞に躍り掛かった。
先ほど部屋で放った弾は、栞の左側上腕部を掠ったらしい。
セーラー服の袖が、真っ黒な血で染まっていた。
栞はその傷を右手で抑えたまま、青ざめた顔で石戸を見つめている。
しかしその紫色の唇には、あの人を小馬鹿にしたような笑みが張り付いたままだった。もちろんそうだろう、と石戸は思った。
そうでないと、この女を殺せなくなってしまう。
栞に飛びかかり、地面にその小さな身体を押し倒す。
「あはは! ……なんなん? 弾切れ?…… あんたのアタマといっしょで、銃もカラッポやったわけ?」
「うるさい! 黙れ!」
なんとか栞を組み伏せようとしたが、栞はくすぐったそうに笑うばかりだ。
「ああ、さっきセンセに会うた? あの人、ハナシ長いしたいへんやったやろ? …… まああんたをナットクさせられへんかったみたいやな。使えんやっちゃ」
「これからお前は死ぬんや!」 栞のセーラー服のカラーを地面に押し付けて、石戸は叫んだ。「死ぬときくらい、ちょっとは真面目にしたらどうや!」
しかし栞は押さえつけられながらも、しなやかな手足をバタバタさせて笑い転げている。栞の左足から、黒いローファーが脱げて転がった。
なんとか栞の細い首に、両手を掛ける。
「え、銃がなくなったから、コーサツかいな? さっっすが血も涙もない、レーコクヒジョーなプロの殺し屋、世界一のバウンティ・ハンターやなあ、出角さん!」
出角?
「お、お前までそんな名前で俺を呼ぶんか!?」
栞の首筋に掛けていた手を放し、ワイシャツの襟首をつかむ。
ワイシャツ? たしか栞はさっきまで、セーラ服を着ていたはずだが……
「そやで。出角さんは、栞ちゃんのことは知らんはずや。会うたこともないはずや。でも、うちがこう名乗ったら? ……お久しぶりです! 怜子です!」
思わず、石戸はブラウスを掴んでいた手を放してしまった。
栞……もしくは怜子は、地味な薄いグレーのスーツを着ていた。
薄く化粧したその顔は、石戸が知っている栞よりもかなり大人びて見える。
にやり、とルージュを引いた唇が歪む。
そして、この目。
石戸は、栞のその目をよく知っている。
しかしなにかここではない別のところで、この目に見つめられたような気がする。たとえば昔みた夢のなかや……あるいは前世と呼ばれる世界で。
そうだ……この女は……
「お、お前は……お前はたしか……」
「あれ? 思い出してきた? 出角さん。せやで……うちや。あんたの夢に入り込ませてもうたんや……あのエロハゲ医者、イシカワ先生に頼んで。男はみんな、おんなじやなあ? ちょっとしゃぶったったら、なんでもうちの言うままや。ちょっとセックスさせたったら、アンドロイドよりももっと人間の男はおもうがままや……」
石戸の頭のなかで、液体のような記憶が飛沫をあげて逆流をはじめる。
京橋で出会った行きずりの女……この怜子と、ホテルに入ったこと。
我を忘れてセックスしたこと。
鼻先から指をこじ入れられて、“脳のGスポット”を刺激されたこと。
見知らぬデブノッポとチビノッポ、二人組のバウンティ・ハンター。
そして、“ウラジーミル・ボナコフ検査”
映像の中で夕陽の廊下に立つセーラー服の少女と、一匹の羊。
フェスティバルゲートの跡地にあった大阪府警本部。
あの部屋の机の向こうで、椅子にふんぞり返っていた怜子。
そして……妻。妻の成美だ!
阿倍野再々々々開発地区にそびえる、タワーマンションでの暮らし。
「そうか……そうや。俺は……出角。大阪府警のバウンティ・ハンター……」
組み伏せた怜子が、舐めつけるように見上げてくる。
「でも、それに耐えきられへんから、あんたはあのエロハゲ先生のところに通って……自分ではない誰かになった。うちらを殺すに足る理由と動機を持つ、誰かほかの人間になりたかった……そやろ? 」
「黙れ! やかましい!」
出角は思わず、自分の頭に触れた。
そうだ。石戸だった頃より、ずっと額は後退している。
これでいい。このまま、この女を閉め殺せば、任務完了だ。
おれはアンドロイド4匹ぶんの賞金をゲットして、そして家に帰る。
成美が待つマンションの部屋に……
「でも出角さん……ちゅうか石戸さん。よう考えてみてみ?」
気がつくと、怜子は人差し指を出角の眉間に当てていた。
「やめろ!」
思わず、怜子の首筋を締め上げる。
少しずつ……怜子の指が出角の眉間にめり込み始めていた。
同時に、両手が痺れ始める。指に力が入らない。
「うぐっ……ぐぐっ……な、なあて。なあ、あんた……ぐっ……あんた、どんな現実に戻りたい? ……ぐうっ! くっ……」
「うるさい! アンコのくせに命乞いか!」
以前なら……以前の出角なら、もし、かりに自分が石戸という男であったとしても、決して口にしなかったであろうアンドロイドへの差別表現を口にしていた。
自分は出角なのか? 石戸なのか? それとも誰でもない誰かなのか?
さらに、怜子の指が額に食い込んでくる。
もう第二関節までが、額に沈み込んでいるようだ。
「ぐうっ……あ、あんた、さっき……うちと一緒に、こ、このまま、ふ、ふたりで、……暮らしていこう、ちゅうたやん? ……なあ、どっちの暮らしに戻りたい? ぐううっ……石戸さんとして、うちと……このまま……うぐっ……あのちっちゃい……小汚い部屋で、し、幸せに暮らして……うぐっ!」
いつの間にか、スーツを着ていたはずの怜子が、全裸になっている。
顔立ちも若干、幼くなったようだ。
そう、これは石戸だったときに自分が愛していた、栞だ。
一瞬、締めていた手を緩めそうになる。
と、それと同時に、栞の指が根元まで出角の額にに食い込んだ。
ずぼっ、と。
「いやいや、もう騙されへんぞ! そうはいくか!」
渾身の力で栞……もしくは怜子の首を締め上げる。
「ぐえええっ……あんた、ほんまに戻りたいん? 奥さんのところへ? ……うぐっ……また、アンドロイド殺して、殺して、こっ……殺してっ……身も心もボロボロになって……それで、また、だっ……誰かの人生にっ……逃げるん?」
「だ、黙れ……さっさと死ね! このメスアンコ!」
栞が額に差し込む指を増やした。
人差し指と中指が、頭蓋のなかをまさぐっている。
「さよか……あかんか……ほな、さいなら……ぐええええっ!」
出角は力を振り絞って、栞の喉仏を親指で押しつぶした。
ぐきり、という音と、いやな感触が指に残った。
ずるり。力をなくした栞の指が、額から抜ける。
見下ろすと、栞は目を見開いたまま、紫色の舌を出してこと切れていた。
これまで何百回もアンドロイドを殺してきたが、自分の手で絞め殺したのははじめてだった。
確か……はじめてのはずだ。
出角自身が背負っている記憶が、ほんとうに自分のものであるのなら。
気がつくと、夜だった。
雨が、出角の身体と、栞の亡骸を打ち付けている。
出角は目をこらした。
ネオンにふちどられた通天閣が何事もなかったかのように、明日は晴れであることを示すサインを大阪の街に発していた。
と、背後から声がした。
「お見事……さすがです、出角さん」
背後に白い羊をたずさえた、あのデブでどもりの相棒……高本が立っていた。
羊が鳴く。
メー……
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