第42話 【最終話】芝生

3年が経った。


出角は鳴美と、二歳半になった娘……栞を乗せたベビーカーに乗せ、日曜日の新世界芝生を散歩していた。


 二人の足元には、リードに繋がれた柴犬のロイ……これは鳴美があの3年前の激しいセックスのあと「ピンとひらめいて」つけた名前だ……がちょこちょことじゃれながらまとわりついている。


新世界芝生広場(通称:しんしば)には、同じように子供を連れた若い夫婦や、犬を連れた若い夫婦で溢れていた。


「ああ、ほんまに、あほみたいにええお天気やねえ……」

「ほんまや。ここんとこずっと雨やったからなあ……」


出角は白のサマーニットにベージュのフレアスカートという出で立ちの鳴美を、上から下までじっくりと眺めた。足下にはベージュのパンプス。


「なに? じろじろ見て。平和な日曜日のお昼に、いつもどおり顔がエロいで」

と言いながら鳴美が笑う。

「いやあ、奥さん……とても3歳の娘がおるカラダとは思まへんでえ……」

「あほ。ほんまあほやな、あんたのパパは。なあ、しーおりちゃん?」


ベビーカーのなかの栞に呼びかける。

栞は出角を見上げ、楽しげに笑った。

 くしゃくしゃのくせ毛とぱっちりした瞳は、まるで天使を思わせる。

 もちろん出角は、ほんものの天使を見たことはない。


「パパ、あほ。パパ、あほですけべや」

「ほんま、栞はおまえの悪い言葉ばっかり覚えよんなあ……」


照れ笑いをしながら、出角は鳴美と、そして栞と暮らすこの現実について、光に満ちた芝生の平和な風景について考えた。


幸せだった。それは非・現実的なほどに。


しかし……と出角は思う。


あれから新世界のマルハンとドンキホーテの廃墟は取り壊された。

 2010年代に天王寺公園がそうなったように……その跡地には開放的な芝生広場が作られた。もちろん、芝生は天然の芝生ではない。もちろん20世紀初頭のような、人口芝生などとは比べようもない、遺伝子操作で作られた、ほんものの芝生と何ら替りはない芝生だ。問題は、ほんものの芝生の感触や匂い、色を、その芝生を歩く誰もが知らないということだが。


あの雨の夜、ここにあったはずの建物の屋上で、出角はひとりの女アンドロイドを絞め殺した。


とても信じられないことだ。いまではまるで夢のように思える。

 というか、それほどのことを夢のようにしか思い出せない自分を、ときどき信じられなくなることがある。


ところで……いまのところ、大阪府警から呼び出しがかかることはない。


いまでもバウンティ・ハンターたちはまだ、アンドロイドを追い、始末を続けているのだろう……それがニュースで報道されることは、出角が現役だった頃にもなかったことだが。とにかく、府警から放っておかれることはなによりもありがたかった。

 しばらくは……鳴美と娘の栞、そして模造豆柴のロイと、平和で穏やかな日々を過ごしていけるはずだ。


いっそのこと、転職してしまおうか、と思わない日はない。


「なあ、なんか最近……ほんまに若いお父さんお母さんが増えたと思わへん? ……いつのまにか。あたしの気のせいやろか?」

自分たちと同じような子供連れの夫婦たちを見て、鳴美が言った。

「そうかな? 前からたいして変わらんと思うけど……ちゅうか、自分も若いやろ」

「あんたは若くないやん」


言い返されて笑いながら……出角も不思議な気分になった。

緑の芝の上で、小さな子どもと追いかけっこをするTシャツにデニムの二〇代前半の青年。それを見守る、ブルーのワンピースに身を包んだスリムな若い妻。


 たしかに、時計の針がここ数年で何十年も巻き戻ってしまったような気がする。

 出角が眠っているうちに、刻々と。


「こら、若いお母さんが芝生でナマ脚投げ出してるからちゅうて……なにじろじろ見とんねん。このすけべじじい」

と、鳴美が出角のたるんだ脇腹を肘で攻撃する。

「パパ、すけべじじい」

ベビーカーの栞が、母親を真似て言った。

「見てへん見てへん! おれはセクシーな若奥さんとかわいいかわいい栞ちゃんでじゅうぶんやがな……」


と、繕いかけたところだった。

  出角たちの横を、一組の夫婦がすれ違った。


男は三十代半ば。それほど見てくれのいい男ではない。

 太って、しょぼくれていて、なにか不安そうだ。

しかし、妻は違った。肩までの髪をふわふわと風に乗せ、輝く光のなかでまるで少女のように笑っている。その華奢で小柄な身体は、“少女のよう”ではなく、ほんものの少女のものだった。


あれは……?


俺は、あのふたりを知っている。

いや、あの二人は……。


一瞬、少女のような若い妻が出角を振り返る。

目が合った……そして、蔑むような、あざ笑うような、あの懐かしい笑みを唇に浮かべる。男も出角を振り返った。そして、怪訝そうに、かつ自信がなさそうに……曖昧な笑みを浮かべた。 それには、懐かしさ以上のものを感じる。

 


間違いない、あの二人は……


と、女のほうが出角から視線を外し、さらに遠くを見た。


「ほら、行くで……千春」


出角と鳴美の間をすりぬけて、三歳くらいの女の子が駆けていく。

そして、先ほどすれ違った母親と父親の間に入り、それぞれの手を握ってぶら下がった。少女の身体は、まるで引力に逆らうように両親の身体の間で、ふわりと20センチほど舞い上がる。


と、 幼児もまた、出角を振り返った。

おかっぱの髪。

 母親の美しさを受け継いだことをうかがわせる、小作りな美貌。

 しかし表情は硬く、出角を睨むように見つめる。


その夫婦は、娘を真ん中にぶら下げたまま、芝生の向こうに行ってしまった。



「なんなん? 今度はすれ違った若いお母さんに見とれとったん?」

成美の声で我にかえる。

「パパ、すけべー」

と、ベビーカーの栞が出角を見上げて笑う。

「なすべきことはすべて……私の細胞が記憶していた」出角は言った。「だからわたしは……人間の形をし、幸せについて語りさえしたのだ……」


 ぽかんとした表情で、鳴美が出角の顔を覗く。

 

「え? ……なにそれ?」

「いや……なんでもないよ……ほな、行こか」




見上げると通天閣が立っている。相変わらず。

スモッグもない。


出角はそれ以降、夜中にうなされて飛び起きることはなかった。


<了> 2017.1.17

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アンドロイドやないけど電気羊の夢でも見るか 西田三郎 @nishida33336

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