第17話 アンドロイドやないけど電気羊の夢でも見るか

 石川医師に続いて入った隣室は、写真現像用の暗室のように真っ暗だった。

 むろん、2045年現在、現像室は世界中のどこにもないが。


 出角がその部屋のひんやりとした空気に思わず身震いする。

 と同時に、石川医師が何らかの装置を操作し、壁に大きな窓が浮かび上がった。

 おそらくマジックミラーになっていると思しきその窓の向こうには、寝台が一つぽつんと置いてある。


 その上には、20代前半とおぼしき女が一人寝ていた。

 

 女はヘッドギアとヘッドホンを耳に付け、体中に吸着式の電極を貼りつけているが、それ以外は何も身につけていない。

 ようするに、全裸だった。

 女の躰はたいへんに豊満だった。かといって太っているというのではない。

 薄くやわらかい脂肪の幕に覆われたなめらかな女の肌は、雪のように白かった。

 出角は、こんな肢体をしている女を一人知っている。

 妻の鳴美だ。

 

 「………んっ…………あ、あ、…………って、そんな、………だめ……」


 石川医師がどこかのボタンを操作したのか、女の声がマイクロフォンを通して部屋のスピーカーに響き渡った。

 なまめかしく、切迫した声だった。

 ちょっとハスキーなその声は……出角にやはり鳴美を想起させる。

 また、その声とともに、ベッドの上で女が身もだえする様は、この上なく扇情的であり、いかがわしくもあり、出角をやましい気分にさせた。

 

「のぞき部屋ですか」出角は聞いた。

「ここから眺めている限りはそれと変わりまへんが……実は、彼女は僕の患者です」

「“守秘義務”はどうなったんですか」

「まあ、カタいことはよろしいがな」そう言って医師はマジックミラーの前の椅子に腰掛け、出角に椅子を進めた「公にはしておりませんが、これがわたしがナイショで行っている新しい治療です。彼女は……まあ、“守秘義務”がありますので、詳しいことは申し上げられませんが、少女時代にとても不幸な形で初体験を迎えたんですね。それ以来、ずっと心の変調に悩まされ続けてきた。抑鬱状態と慢性的な無気力感、恐怖に怯え、パニック発作………まあ、ありふれた話です。要するに、まあその、なんといいますか……彼女にはトラウマがあるわけです」

「はあ」

 

 些細な出来事で一生心に癒えない傷を負う者も居れば、女アンドロイドをこってりと性的に搾取してブラスターで吹っ飛ばして木っ端微塵にしても、屁とも思わない者もいる。


「……まあ、トラウマなんてものが彼女の病気の本当の原因なのかどうか、その事は今の段階では僕にもわかりません。ただ、彼女が過去に拘り過ぎる余りに……例えば、あの時誰それにこんなことをされた、とかあんなことをされた、と彼女がわたしに語った事実そのものが、本当に病気の原因なのかどうかもわかりません。それどころか、彼女が本当に病気であるかどうかすらわかりませんし、彼女が僕に語って聞かせた“トラウマ体験”が真実であるかどうかすらはっきりしません……しかし、現実問題として、彼女は自分の過去の出来事が、自らを苦しめていると『信じています』」


「んんっ、くうっ…………」

 女が短い悲鳴を上げて、ベッドの上で四つん這いの姿勢になる。

 尻をこちらに向けて……そのあまりにも露骨な風景に、出角は目を背けた。

 

「……僕が彼女に施しているのは、記憶の人工透析です。彼女の心の中に巣くっている悪い記憶を洗い流し、その代わりすばらしく好ましい記憶を彼女に注入するわけです。彼女は今、わたしが書き上げたこの台本に基づく、ニセの記憶を植え付けられています……これです」


 石川医師はそう言うと、古くさいルーズリーフを机から持ち上げた。

 表紙には“タツノリとミキ、15歳の夏の日”とタイトルが記してあった。


「『ミキ』は彼女の名前で、『タツノリ』は15歳だった頃の彼女が好きだった恋人の名前です。わたしは彼女が『タツノリ』と幸せでロマンチックな初体験を迎える8年前の夏の日の出来事を創作し、それをデジタル信号に変換し、さらにそれを彼女の脳波の波形に変換しました。彼女には今、猜疑心と現実感を希薄にする薬を投与してあります。そしてヘッドギアとヘッドホンから与えられる信号によって……彼女はベッドの上でその『存在しなかった過去』を体験しているのです」

「この治療法を受ける時はいつも全裸なんですか?」

「いえ。一応体中に電極を貼りますので下着くらいはつけてもらうのですが、その下着は彼女自身が脱いだんですわ」


 言われてみると、ベッドの足下に彼女の下着らしいものが投げ出されている。


「……酒井も、この治療を?」

「ええ。そうです……この治療を受けてはりました」

「……彼女は、アンドロイドだったんですか?」

 出角は医師に対して少し前のめりになっている自分に気づいた。

「……それはわかりません。彼女は記憶を欲しがっただけですわ。今、治療を受けてる『ミキ』さんが語って聞かせる“過去のトラウマ”もまた、ぜんぶ自己申告ですよってなあ……とにかく彼女は……酒井さんは、沢山の記憶を欲しがりました。すべての自分の過去を、一気に清算したいっちゅう感じでしたな……あ、ところで出角さん、あなたにだけはわたしがファナソニックから離れた理由をお話しておきたい……わたしは今、ファナソニックとは何の関係もありません。それは保障します。」

「はあ」……石川は珍しく、本気で話しているようだった。

 少なくともその時は、そう感じた。


「わたしはファナソニックでアンドロイドの頭脳の開発に携わっていました。しかし、もう2038年当時には……アンドロイドと人間の生物的な差異はまったくクリアされていました。まだ市場に出されていないだけです……骨髄液の遺伝子構造の差異はなく、出角さん、おたくの仰るとおり、感情の不在……乳幼児期・少年期・思春期を経ることなくこの世に突然生み出されてくる彼らに、感情を持たせることはどうしても不可能でした。そうです、ファナソニック社は感情面でも人間と全く代わりのないアンドロイドを製造しようとしています。これは極秘事項です。わたしもはじめは熱心に研究に取り組んできました。しかし、研究に研究を重ねるにあたって……わたしはある日、恐ろしくなったのです。アンドロイドに感情を持たせることは、思てたよりもえらい簡単なことだったのです……彼らに……ニセの記憶を与えればよいのです。そうすることによって、彼らは完全に人間に近づきます」

 医師の声にも、表情にも、昏い陰りが見受けられる。

「そやから、ファナソニックを辞めた?」

「ええ、そうです。言うなればわたしは、自分が作っているアンドロイドと、人間であるはずの自分を隔てているものがなんなのか、それがわからなくなってしまった……それがファナソニックを辞めた理由です」

「でも、そやったらなんで、こんなファナソニックの近所で開業されたんです?」

「辞めて開業するにあたり、ファナソニックは全ての資金を負担してくれました。言うなれば秘密保持のための口止め料代わりでしょう………そんな訳で、わたしはその時に培った技術を元に、患者さんの心を人工透析させています。思っているよりも……事実であるなしに関わらず、過去に苦しめられている人間は多いのです。わたしはファナソニックとは自分から関わりを持とうなんて、あれ以来一回も思ったことがありません……しかしあちらさんとしては……わたしを監視下に置いときたいっちゅうのがハラなんでしょう」

 

 寝台の上の女は股間に手を忍ばせて、小刻みに躰全体で前後に動いている。

 「あっ……んっ………ふっ……くっ………ううんっ……」

 女のくぐもった声は見事なリズムを奏でていた。

 

「しかし……」出角は言った「いくら人の中にある記憶を変えたところで、起こってしまった事実は変わらないでしょう。記憶の中から一切の不快な記憶を消去して、新しい記憶を入れたところで……起こってしまった事実自体は変わり様がない。そうやないですか?」

「そうやないのですよ」医師が即答する。

「…………?」

「我々人間は、主観で生きています。というか、主観を通してしか、この世界と対峙することはできません。人生が闇ならば、その人の主観は闇しか見ていないのです……主観は、出角さんが思たはるよりもずっと重要なんです。主観の枠外にある、様々な“起こってしまった事実”の証拠、確かな痕跡などよりもずっと……重要なんですわ。主観が変われば、人生そのものが変わる。自分を取り巻く客観的事実がすべてひっくり返っても、主観が変わらないのであれば、その人間は変わることができません………それに………」

「それに?」


「それに……」医師は一呼吸置いて話した「主観で生きている人間にとって、世界全体のことなどまったく頭に浮かばないのと同じで……世界の方にとっても、わたしら主観で生きている人間のほんの少しの過去の出来事の違いなんて、ほんとうに取るに足らないことなのです。わたしたちが今、この瞬間、主体的に未来を選択し、その通りに生きることが可能であるように、過去もまた、我々は自由に選ぶことができるんです………世界にとって、そんな些細なディテールは、ほんとうにどうでもいいことなんですよ」

 

「………はあ」

 判ったようで判らない話だ。

 何か教訓めいている気がしないでもないが、その教訓が何なのか、そしてそれが自分とどんな関係を持つのか……出角には全く理解できない。

 

「あああああんんんっっっっ!!!」

 

 スピーカーから、ひときわ高い声が響き渡る。

 マジックミラーの向こうの女は四つん這いのまま高い腰を挙げていた。

 どうも……絶頂に達したらしい。

 まがいものの記憶の中で、『タツノリ』との性交が大成功を収めたのだろう。

 

 おめでとう、ミキ。出角は思った。

 なんでそう思ったのだろう? ……やはり、彼女が鳴美に似ていたからだろうか。


 

 出角が何となく石川の手元に目を落とすと、先ほど見せられたような何冊科のルーズルーフが目に入った。

 それらにも様々な『好ましい人生の記録』が記され、ディジタル信号化され、人の脳髄に記憶されていくのだろう。

 それらの察しにはすべて、石川の几帳面な筆跡でタイトルが記されてあった。


『息子のケンジとうまくいっていた人生』『もし若い頃にバイオリニストを目指していたなら』『なぜ俺は、妻じゃなてその妹と結婚しなかったのだろう?』『うちの妹が美少女だったなら』『夫がもし、今日まで生きていたなら』『もし、あの子がちゃんと生まれていたなら』……そんなタイトルが、妙に切なく、悲しかった。


 ふと出角は、石川の手元の一番近いところにあるルーズリーフの表紙に目を留める。

 

 奇妙なタイトルがつけられていた。

 そこからその内容を伺い知ることはできない。

 

 タイトルは、こんな感じだ。


『アンドロイドやないけど電気羊の夢でも見るか』

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