第29話 人間の条件
「聞きたいことは……聞きたいことは腐るほどあるぞ……」
出角は棒立ちのまま言った。
「そう?」
デスクの向こうの女は出角の狼狽などには全く関心を持っていない様子で、ずっと自分の爪の先を見ている。
「一体……お前は……お前は俺に何をしたんや?」
「あんたはあたしに何したんよ」と“怜子”「えらい乱暴に服脱がせてくれたやんか……ハアハア言いながら。ほんま、あんたケダモノやなあ……人は見かけによらん、っちゅうけど、めちゃくちゃ興奮しとったで、あんた。そやろ?……それからあたしのストッキングを破いて………」
「お前が破いてええ、って言うたんやないか」
「言うてもほんまに破くかあ……? それから、あ、こんなん言うてなかった?『余裕ぶっこきよってこのクソガキが……ひいひい言わしたるからな』」
出角は思わず下を向いた。
いや、ちょっと待て。そんなことを恥じ入っている状況ではない。
頭の中を整理しなければ……。
「それから……ええと、舌使って、あたしのあそこべちょべちょ言わせながら舐め回したよねえ……ああもう、あたしお嫁に行かれへんわ」
「とにかく……とにかく、これはどういう事なんや。一体、どうなってる? ……俺の拳銃とバッジはどこいった? ……それから、なんで警察本部が大手前から新世界に移っとるんや? ……大阪大暴動って何や? それから……えーと、あ、そや……あのわけのわからん検査……何ちゅうたっけ?ウジ……ウジナ……」
「ウラジーミル・ボナコフ検査」怜子があの意地悪な笑みを浮かべながら言う「通称“ボナ検”」
「…お前ら全員、アンドロイドか?」出角は言った。「この施設も、さっきの二人も、皆アンドロイドなんやろ?……俺を嵌めてどないするつもりなんや?」
言いつつも、出角の脳裏に先ほど廊下ですれ違った高本の姿が蘇った。
自分を連行した二人の“自称バウンティ・ハンター”がアンドロイドで、目の前に居る“怜子”もアンドロイド。そしてこの新世界フェスティバルゲートの跡地に建てられたという“大阪府警本部”は、警官やバウンティハンターになりすましたアンドロイドによってでっちあげられているとする……しかし、じゃあさっき廊下ですれ違った高本は一体何なのだ。
あいつもアンドロイドだったって事か?
それに……忽然と姿を消した通天閣。
だめだ……説明のつかないことが多すぎる。
怜子はいかにも関心がなさそうにしばらく自分の爪を見ていたが、やがて横目でちらり、と出角を見て言った。
「あんたは?」と怜子「あんたは、何?」
「俺は……」出角は口ごもった「バウンティ・ハンターや。大阪府警の……」
「辞めたかったんやろ? そうとちゃうの?」と怜子。「あんたはずっと休職中やった……世界で一番アンドロイドを殺した記録保持者やったけど……でもいい加減仕事がイヤになっていた。そろそろそんな仕事からは足を洗って……別の人生を歩もうかなあ……なんちゅうことをぼんやりうどん屋で考えてた……そうとちゃうの?」
「………そ、そやから言うても……」
「それに」怜子が出角の言葉を遮る。「今日あんたは、生まれてはじめて、ブラスターを人間に向けた……そう、あたしに。おとといあんたがモテギ電子の会議室で頭をふっとばしたあの娘……あの娘がアンドロイドやったか、それとも人間やったんかで随分悩んでたみたいやけど……それにしてもあんたは、あたしにブラスターを向けた。アンドロイドを殺すための道具を、このあたしにね」
「あれもお前が向けろっちゅうたんやないか!!」出角は思わず怒鳴っていた。
「……そやから言うて……ホンマに向けるかあ?……」怜子が身を乗り出す。「……水牛でも一発で仕留められるようなおっそろしい武器を、このあたしの可愛らしい顔に?……ちょっと引き金引いたら……ほんの何グラムが指に力を掛けたら……あたしもあのモテギ電子の娘と同じで、顔がなくなってるとこや……そうやろ?」
「………」
「……とにかく、あんたは人間とアンドロイドの区別もつかんようになってる……そんな奴に、ブラスターとバッジは必要ないやろ?……あんたが頭をふっとばしたあの娘、あの娘がアンドロイドやったんか、それとも人間やったんか……正味な話、あんた自信ないんやろ?」
一昨日、銃眼ごしに見た酒井の顔が、出角の脳裏に鮮明に蘇る。
「まあ、いつまでもつっ立ってんと、そこに掛けえな」と怜子。
言われるままに出角は背後のソファに腰を下ろした。
そのまま気を失ってしまいそうな虚脱感が、全身に襲い掛かってくる。
「……でも」出角は怜子の冷たい笑みを上目使い盗み見て言った「“フォー検”では……」
「“フォー検”?」怜子があざ笑うように言う「……なあ、出角さん。あんたさっき、ウットコの検査受けたよねえ? ……所謂、“ボナ検”。あの検査によると……あんたが人間であってアンドロイドやない、もしくはアンドロイドであって人間やない……どっちでもええけど、その確立は五分五分やねんで。一体あんなもんで何が判るんや、っちゅーねん」
「ほな、骨髄液の検査で……」
「……ああもう、わからんおっさんやな、ホンマに」怜子が自分を包み込む大きな椅子の上で伸びをする。「……骨髄液の検査?……そんなもん、死んでもたもんにそんな検査して何の意味があんねん。検査の結果、あの娘が人間やったって出たら? あんたどうするわけ?……いや、アンドロイドやったって結果が出たら、そりゃラッキーやわな。今回は。でも、それってあんた自身が確認したこととちゃうよねえ? 遺伝子の検査技師が『アンドロイドでした』って断定して、あんたにそう聞かせるだけの話やろ? それは『事実』なんか?」
「そんなん言うても……」
そこで出角ははじめて気づいた。
確かにそうだ。
アンドロイドと人間の解剖学的な違いは、骨髄液の遺伝子構造の違いだとされている。
出角を含むバウンティ・ハンターは全員、それを信じている。
しかし、出角を含めて、その『違い』を自らの目で確認したことのあるバウンティ・ハンターはいない。
その定説に基いて、バウンティ・ハンターは容赦なくアンドロイドを殺す。
骨髄液の遺伝子構造の違い? それがアンドロイドと人間を隔てているのか?
「もし、あの子の遺伝子構造が専門家によって『アンドロイドでした』って評価されたら、あんたは安心して、アンドロイドと人間の区別もつかんままに、これまでどおりに殺しまくる……で、あんたが定年になって楽隠居できる歳になるまで……ひとりも、たったひとりも間違えて人間を殺してしまえへんなんて……誰に言い切れる?」
「………」
出角は思わず俯き……自分の掌を見た。
「それにあんた、あの娘の部屋見に行ったやろ? どんな部屋やった? ンドロイドの部屋らしく、カーテンもベッドもない部屋に、アンドロイドのごちそうである、あのクッソ不味いベビーフードもどきの瓶が散乱してたか?……あんた、あの部屋見てどう思った? 正直なとこ聞かせてんか……あれはアンドロイドの部屋やった?」
「……アルバムを見た」
出角はほとんど聞き取れないほどの声で言った。
「……どんな写真が貼ってあった?」と怜子。「どこかのアンドロイド工場で、人間のまがい物がどんどん人間らしく形作られていく……製造工程の連続写真かなんかが貼ってあった訳?」
「……赤ん坊の頃から……高校生くらいまでの彼女の写真が……」
「そやろ?」と怜子。「……それでもまだあんた、“フォー検”がどーとか、骨髄液の精密検査がどーとか、そんなしょうもないゴタクを並べるつもりか?」
「……でも……俺は……」
出角の言葉を遮って、怜子が話し続ける。
「何が人間を人間たらしめてると思う?……“フォー検”の検査結果でも、骨髄液の遺伝子構造でも……もちろん、ウットコが採用してる“ボナ検”でもないよ。それは。頭の悪いあんたにはわからんか?……何が人間を人間たらしめてるか?」
「…………」
出角は黙ったまま怜子のよく動く口を見ていた。
答えを探そうなどという気すら起きなかった。
「……ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、……ブー!」怜子が唇を子供のように突き出す。「はい、時間切れ。人間を人間たらしめてるのはな、その人間が死ぬまでの間、どんなふうに生活してたか、どんなふうに生きてたか、っちゅうこっちゃ。毎日毎日………どんな服を着ていこうかと悩んで、どんなおいしいご飯を食べようかと考えて、お金が入ったら、あれを買おう、これを買おうと企んで、音楽を聴いたり、映画見たり、本読んだり……好きなスポーツで時間潰したり、あとまあ、誰かとセックスしたり。そういうことを、誰に強制されるでもなく、誰に抑圧されるでもなく、思いのまま自分のしたいことを生活のうえですることが『人間として生きる』っちゅうこっちゃ……わかるかな? 出角はん。あんたの悪い頭じゃわからんか?」
「…………」出角の思考は言葉の洪水の中で溺れたままだ。よって……出角の口から出たのは、まったく的外れな問いかけだった「……妻は? 俺のヨメはんはどうなった?」
「はああ」怜子が椅子の上でため息を吐く「……やっぱ判らんか。もうええわ」
「教えてくれ……俺のヨメはんは……鳴美はどないなったんや?」
「……あんたな」怜子が机の上に上半身を乗り出して言う「……あんたほんの小一時間ほど前は、奥さんのことなんかすっかり忘れとったんと違うん? そやから、京橋のラブホであたしにあんなことやこんなことやあんなこと、大ハッスルでできたんやろ。あんたはブラスターをあたしの顔に向けることによって、バウンティ・ハンターであることを放棄したけど……それ以前に、あんたはそれより大事なことを放棄したんや……これは判るよね……いくらあんたの頭が悪いからっちゅうても……」
「……ど、どういうことや」出角は脊髄反射的に聞いた「……頼む、教えてくれ」
「はあ、ちょっとは自分で頭使いいさ……」怜子がまた伸びをする。「つまり、あたしとホテルで入った段階で、あんたは奥さんの……鳴美さん? ダンナさんではなくなった。あんたが、自分の意思でその立場を放棄したんや……その後、バウンティ・ハンターとしての矜持を放棄したんと同じように……そやから、バッジとブラスターと同時に、あんたの奥さんもあんたらの愛の巣も消えたよ……まるで煙みたいに」
「そ、そんな」気がつくと出角は立ち上がっていた。「そんなわけあるかい……」
「あんたの、名前は?」と怜子。「おっさん、あんたは誰? いま、この世界で、あんたは誰でもないんやで。人間かアンドロイドか、どっちかもわからん。あんたは、悪夢のなかにいるような気分やろうけど、ほんとうは夢から覚めたんや。ようこそ、現実の世界へ! おっさん。歓迎するで」
「ええかげんにしてくれ!」
頭は混乱していたが、動きは鈍っていなかった。
出角はすばやくソファから立ち上がると、デスクを飛び越えて怜子のうしろに回り込んだ。
怜子が机の引き出しに手を伸ばす。
が、出角が怜子の首をがっちりと左腕で抑え、怜子が引き出しから取り出そうとしていたものを奪い取った。
「すばやいやんか、おっさん」
首を締め上げられながら、怜子が横目で出角を見上げる。
動揺も、恐怖も、怒りも、なにもない……あのアンドロイド特有の目つきで。
「やっぱりそうか! お前は……お前はアンドロイドやろ? そうなんやろ?」
自分の口調が懇願するような調子になっていることに、出角は気づいた。
そして、怜子の首を締め上げながら、頬に奪い取った拳銃の銃口を押し当てる。
えらく古風な銃だ。
出角の記憶が確かならば、ウェブリーの中折式回転式拳銃、.455口径。
普段使っているブラスターの威力には遠く及ばないが、特大の弾は怜子の頭など軽くふっとばすだろう。
「で……なにがお望み?」怜子が冷たい口調で言う。「お口でしたげよか?」
「ふざけとったらけつの穴にこれぶち込んでぶっ放すぞ! 俺を戻せ! 元の世界に! 通天閣のある現実の世界に戻せ!」
「……うち、魔法使い?」
「お前がさっきしたみたいに……俺の頭に手を突っ込んで……うっ」
怜子の指が、出角の鼻先に触れた。
そして、指がどんどん頭のなかにめり込んでいく。
怜子の首をしめていた腕の力が緩み、思わずウェブリーを取り落としそうになる。
「……どんな現実がお好みなんや?」
怜子は.455口径の拳銃を出角の手にしっかり握らせた。
その頃には、出角の頭に怜子の手が手首までめり込んでいた。
「……俺は……どうなる? どこへ行くんや?」
視界がぼやけてくる。
「どこにも行かへん。ここと同じや。取り壊されて、サラ地にならへんかった新世界フェスティバルゲートの廃墟……そして、あんたの名前は、石戸」
「い……石戸?」
「あんたは、そこに住んでる。廃墟のなかの事務室をすみかにして……そこで、あんたは偶然雨の日に出会った女の子と、一緒に暮らしてた。でも、幸せは長くは続かんもんや……まず、その女の子とそっくりな、小さな女の子が現れて……次に、大男が現れた……そして、あんたの目の前で、あんたの愛しの彼女は、大男と上になったり下になったりのセックスをはじめる……」
「ちょ、ちょっと待て、いったいなんで……」
「これは忘れんときや……この拳銃は、キッチンの戸棚の裏にある」
視界が途切れた。
真っ暗な闇。
闇が晴れて、目の前に現れたのは10歳くらいの少女だった。
少女が、自分の目の前で、下着を脱ごうとしている。
背後のベッドでは、大男と女……怜子とそっくりな女が、部屋を揺らさんばかりに派手なセックスを繰り広げていた。
少女が出角に言う。
「石戸さん、あたしたちもしましょう……あんなこと」
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