014.あのひとの特別

 私たち三姉妹が三年ぶりに両親に連れられて父の実家を訪れたのは、ある夏のお盆のことだった。私は十五歳の中学三年生で末っ子、二人の姉はいずれも高校生だ。私だけが受験を控えているので自宅に留守番させられそうになったけれど、たった数日勉強を離れたところで何が変わる、と父が母を説得してくれたおかげで、私は木造家屋の敷居を跨ぐことができた。

 居間に案内された私たちは、まず祖父母に挨拶をした。挨拶と言っても私たちはほんの少し会話をしただけで、あとは父と母がずっと喋っていたので退屈なものだった。昔は本当に気兼ねなく祖父母に接することができたのだけれど、数年おきにしか会わない相手と打ち解けて話すのは今の私にはとても難しいことだった。自分で言うのも変だが、気難しい年頃なのだ。二人の姉は頭上で展開される会話に時々首を突っ込んだり、楽しそうに笑ったり、大げさに頷いてみたりしていた。私はといえば、ブラウン管テレビに映し出される高校球児たちの涙を、別世界の宗教戦争を見るかのような空っぽの心で見ていた。

 試合の合間の短いニュースが終わって、今日の第三試合が始まろうとしていたそのとき、二階から誰かが下りてくる気配がした。一瞬、みんなの視線が階段へとつながる障子の方へ向けられた。何の躊躇もなく障子が開けられて、隆兄ちゃんが姿を現した。Tシャツに短パンのくつろいだ格好だった。


「おっ、もう来とったか」


 りゅう兄ちゃんは今気付いたというような素振りをしてみせたが、きっと挨拶をするのが面倒で下りて来なかったのだろう。両親と少しばかり会話のキャッチボールをしただけで、すぐにテレビの方に向き直ってしまったのがその証拠だった。祖母が言うには、第三試合は地元の高校が出るのだということだった。しかし父が言うには、その高校は隆兄ちゃんが受験に失敗して入学しそこなったところで、どこか負い目を感じて快く応援できないのではないかとのことだったが、隆兄ちゃんは、


「地元やから応援せんとな」


 という一言で済ませてしまった。

 隆兄ちゃんは父の弟で私の叔父ということになる。父とは少し歳が離れていて今年三十歳になるらしかった。祖母はこの歳になっても礼儀や常識を知らないと叱ったが、隆兄ちゃんはまるで意に介さない様子だった。一回の裏、地元校が相手校に連打を浴び、早くも六点も取られてしまったときにその無関心もへし折られたらしく、私たち姉妹の方に顔を向けた。


「大きくなったなあ、俺も歳を取るわけだ」


 隆兄ちゃんは誰が、とは言わなかったが、特に私はこの三年で身長が伸びたので私のことを言ったのかもしれない。いずれにしても独り言のようにそう言っただけなので、私たちは返事をしなかった。


「サキにユキ、それと……」


 サキにユキというのは、咲子と幸子、二人の姉のことを指しているらしかった。隆兄ちゃんは私の顔をじっと見つめて、喉に詰まった言葉を取り出そうとして苦労しているように見えた。それまで隆兄ちゃんのことなどお構いなしに話していた両親や祖父母も、口をつぐんで私の名前が出るかどうかの瀬戸際を見守った。

 テレビでは三回表の地元校の攻撃だった。満塁の場面を作ったところで四番打者が内野フライを打ち上げてしまい、せっかくの機会を無駄にしてしまった。隆兄ちゃんがぽつりと、


「ああ、ダメだ」


 その瞬間、私と隆兄ちゃん以外の全員が笑い声を上げた。隆兄ちゃんの呟きの意味を取り違えているようだった。


「なんだ、昔はあんなに可愛がっていたのに。ミカだよ、ミ、カ!」

「そんなの分かっとるわ! ミカちゃん、ちゃんと思い出したからな」


 言い訳をするのは見苦しいぞと父が笑ったので、隆兄ちゃんは顔を真っ赤にしてしまった。

 でも私には、隆兄ちゃんがちゃんと私の名前を覚えていてくれたことが分かった。私は、隆兄ちゃんの特別なのだ。

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