012.異腹の姉
古き良き時代はアニミズム的思想に支えられていたが、その栄光は既に遠退き、人々の英知の鏡も曇って久しい。人は善く生きることを忘れてしまった。時代は変わったのだ。このように今は冬の時代だが、やがて春が巡ってくることのように、円熟を通り越してしまったこの世界もいずれ若々しさを取り戻すことだろう。そして新たな時代を切り開いていくのは、自分を措いて他にはない。
暗闇の中、確と見開かれた眼が二つ。天井の木目を見つめながら眠ることもできずに漫然とそんなことを考えているのは、まだ十六歳の若い少年だった。この世界はとかく息苦しく存在していて、大人たちのため息を聞きながら育ってきた少年は、時代の渦の中に飛び込まんとしていた。時代を変えるには何が必要か? 少年は視線を転じて傍らに眠る異腹の姉に目をやった。静かに眠るその横顔を見つめていると、少年は下腹部にもやもやとした熱いものを感じ始めた。その肉体のうちに無限に宿る可能性。少年は自分が子供を産むことが出来ないから、あのような考えに取り憑かれるのだということに薄々ながら勘付いていた。男には時代を切り開く推進力だけがあり、女には真に新たな時代を創り出す力があった。
歳を重ねた女たちの老いを知らないかしましさ、渾々と湧いて出る言葉の奔流、粘着くような視線の流れ。そういったものを忌避する心が少年にはあった。けれども、奔逸なる感情の動きにそれらの萌芽を見せる異腹の姉には、嫌悪や憎悪の感情はいささかも抱かなかった。薄氷のような肌の細やかさ、黒漆の繁茂する長髪の艶やかさ、着物越しに透けて見える豊かな腰つき、それらの要素が姉と老婆たちとを隔てていた。その象徴的な若々しさを、あの老婆たちも手にしていた時代のあったことを、少年はまるで考えもしなかった。少年は真実、女を知らなかった。
今、姉は天を仰いで眠っている。少年はその横顔に見惚れた。ずっと見開いていた目は闇をかき分けてその横顔を捉えたけれども、黒い闇と白い肌との境界が曖昧になって、少年の想像は推進力を与えられた。姉の顔の右側が見えているが、もしもその反対側が醜くただれていたなら? 姉はとっくにこの世を去っていて、最後の瞬間にこうして自分に美しい姿を見せているのだとしたら?
そのように取り留めもなく想像力を働かせていると、遂にある核心のようなものに行き着いた。異腹の姉弟どうしが同じ部屋に眠らされているのは、何らかの間違いが起こることを期待されているのではないか? 少年とて立派な男であったし、姉とて立派な女であった。何かの間違いが重なって、恐るべき合一に至るかもしれない。それは全く少年に都合の良い想像であったが、少年の心を勇気づけるのに不足はなかった。
心臓の音が聞こえるのではないかと恐ろしくなるほど鼓動が早まっていき、少年は一度、視線を転じて、再び、天井の木目を見つめた。視界から姉の姿を外すと、不思議に胸の高鳴りが収まるように思われた。あと三度瞬きをしたとき、そのときには起き上がって姉の布団を剥ぎ取ろう。姉が拒むことはあり得ない。だから、だから……。
それから三度目の瞬きをしたまさにその瞬間、姉が寝返りを打った。どちらへ向いたのだろう。少年は臆病な心をようやく奮い立たせて、姉の方に視線を戻す決心をした。もしもあちらを向いていたなら、今日のところはやめておこう。もしもこちらを向いていたなら、そのときにはきっと。
そうして視線を戻したところで、暗闇に見開かれた二つの眼と目が合った。それは許容と拒絶とが綯い交ぜになり、永遠に少年を拒絶する、力強い眼差しだった。
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