009.ダモクレスの剣

 無為徒食を極めた末に勘当された友人が私の家に転がり込んできた。彼は何度か家を追い出されたことはあったが、勘当を宣言されたのはこれが初めてだった。彼は憔悴しきった顔をしていたが、私はさもありなんと思った。就職したところですぐに辞職し、しばらくの休止期間を置いて再び就に就き、また性懲りもなく辞めてしまう。そんな生活を繰り返しているのだから、勘当は当然の結果だったのだ。私は彼を拒もうと思ったが、つい彼を受け入れてしまった。

 彼はとても口が上手く、自己保身に長けている。だから今まで勘当を免れていたし、私も彼を受け入れざるを得なかった。私はその才能を何かに活かせないものかと思ったが、何をさせても長続きのしない男だし、それは本人が何とかすべき問題だと思った。当の本人は勘当されたことに衝撃を受けていたが、三日もするとけろりとした顔をしてふらりとどこかへ消えてしまい、次の朝、首筋にキスの跡をつけて帰ってきた。私は呆れて何も言えなかった。

 ある日、私たちは連れ立って映画を見に行った。昔に一度見たモノクロ映画だった。実際に見てみると大した内容ではなかったが、サウンドトラックがよく出来ていた。帰りに洋食屋でパスタを食べ、ワインを飲んだ。こうして振り返るとまるでデートコースをそのままなぞっているようにも思えるが、相手は実家に勘当された無職の男だ、ロマンチックな雰囲気になるはずもなかった。彼は酒に弱いので私は止めたが、ワインを三杯も飲んでぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。彼はトイレに十五分もこもった末に、これまたけろりとした顔をして戻ってきた。思いっきり吐き出してきたよ、と彼は隣の客に聞こえる声で言った。

 私たちはバスに乗って家の近くまで戻った。バスを降りたとき、ちょうど入れ違いで若い男性がバスに乗り込んだ。バスの外ではその恋人と思われる女性が手を振っていた。バスが発車し、交差点を右に曲がって行った。バスがすっかり見えなくなってしまうと、友人が一人で停留所に残った女性に声をかけた。この辺りにコンビニはないだろうか、酔いを覚ますために何かを飲みたい気分なんだ、と言った。それがあまりにも自然な仕草だったので、女性は怪訝な顔一つせず、交差点の向こう側にコンビニがあると教えてくれた。彼は胸ポケットから何かを取り出すと、女性の手に押し込んで交差点の方へと歩き始めた。

 さっきのあれは何だ、と私は二つの意味で訊いた。私の家が近いのにコンビニの場所を尋ねた理由と、女性に渡した物の正体とを。彼は例の如くけろりとした表情で俺の連絡先だよと言った。私はあの女性には交際相手がいたじゃないか、下手なことをすると厄介なことになるぞ、と言おうかと思ったが、それを口にするのはやめた。この男がそういう性分であることを今更再確認する必要もなかった。ただ、別のことを訊いた。どうしてそんなことをする必要があるのか、と。


「ダモクレスの剣さ」


 彼はそう言った。逆説的だが、栄華を手に入れるにはまず危険を呼び寄せなければならない。酔っ払って塀の上を歩くようなことを平気でやってのけなければ、きっと成功は掴めない、それが俺の信条だ。彼はそう続けた。

 私は唖然として言葉が出なかった。この男はきっと死ぬまで危険な道を歩み続けるだろう。いつまでもどこまでも栄華を求め続けて。

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