047.赤狐奇譚

 昔、法事のために親戚が集まっていたときのことである。夜が更けて年長のお兄さんや年嵩のおじさんが酒を酌み交わしながら何事かを語っていた。私はその場に入ることを許されていなかったから、座敷の隣の部屋で弟妹たちと寝かしつけられていた。私は子供扱いされることに不満を覚えていたが、同時に付き合いにくいおじさんの一人の声を襖越しに聞きながら、布団に包まれていることにどこか安心してもいた。漏れ聞こえてくる話は私にも分かるものもあれば、知らない人名や地名の次々に飛び出してくるものもあった。漏れてくるものは話し声ばかりではなかった。電球の光が襖の隙間から照らしてくる。その光に辟易としながら、そして安心しながら、私はいつしか眠りの中に迷い込んでいったのである。

 私は学校にいた。通い慣れている中学校であるが、細部が異なっていたり普段は知らない夜の世界であったりして、じんわりと夢の中にいることを知覚した。三階建ての校舎の階段を登るとき、いやにふわふわとした感覚で、しかし足を踏み外すことなく二階へ辿り着いた。どこからか入り込んできた小学生たちが、もう暗くなっているというのに合唱の練習をしている。彼らは教室の中にいて、廊下の側に机と椅子を積み重ねて、空いた空間に二十人ほどが立っている。彼らは校庭を一望できる窓の方へ向けて発声しているので、その顔は判らない。彼らが何を歌っているのかすらも判別できない。だが、不思議に快さを感じさせるようなものがあった。そうするといつの間にか私は階段を下りようとしていて、その背中に語りかけてくる同級生の女の子の声がした。ああ、と私は何故かしら納得して、廊下の奥に待ち受けている彼女の元へ足を運んでいく。しかし何かが邪魔をして体が重く、到底辿り着けそうにもない。

「狐に化かされたんだよ」

 夢の中にいたのにいやにはっきりと聞こえたその言葉は、私が親戚の中でも最も苦手としているおじさんが発したものだった。私は、そのおじさんが夢の中の私の行動を邪魔したのだと考えて、勿体ないことをしたと悔やんだ。短い眠りから覚めた後のいやにはっきりとした気分で、私は隣の座敷で披瀝されている話に耳を傾けた。

「狐に化かされるなんて、そんなことがあるのかね」

「あるよ。俺がそうなんだから」

「不気味な話だね。しかし狐に化かされたところで命を落とすというわけでもないだろう」

「いやいや、神隠しという言葉もあるくらいだから。それに、考えようによっては狐というのは恐ろしいもんだよ」

「というと?」

「人が人を殺すとき、そこにはまず間違いなく敵意があるが、狐は敵意なんて持たずに人の命を奪いかねないんだよ」

「伝染病をもたらす蚊が、敵意など持たずに人を次々と殺してしまうのと同じことかな」

「それはまたちょっと違うような気もするが、見当外れというわけでもないな。まあ、どちらにしても、人にとって最も怖いのは同じ人かもしれないな。そうだ、伝染病といえば、この前どこかの国で――」

 私は方向転換していく話を聞きながら、おじさんが口にしたことの意味を吟味していた。そして、夢に出てきた同級生の女の子のことが何故かしら思い出された。夢の中に出てきた異性のことが気にかかるというのは珍しくないだろう。私はそのセーラー服の下に秘められた発達のことを空想しながら、眠ることも起きることもできずに色々な考えを巡らせていった。

 考えるだけでも身体の震えるようなことばかりが頭に浮かぶ。無意識に靴の裏に踏み潰した虫に感情はあっただろうか。夕飯に出された鶏にも夢があっただろうか。私よりも高度な存在がいるのではないか、いずれその存在に殺されてしまうのではないか、そんな恐ろしい考えが頭から離れなくなって、いつの間にやら意識が薄れてしまった。


 夢に出てきた彼女が苦悩の末に自死を選んだと聞かされたとき、未熟な私は、悼む心を持ち合わせていなかった。

 あるいは全て、猟犬に追われる身の儚い空想であったのかもしれない。そう思いたいだけなのか、それすらも分からなかった。

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