020.母は勁し

 私が今度の旅で北陸という地を選んだのは、母の命日が近いことを意識していたのかもしれない。

 鈍行列車に揺られながら田園の広がる風景をただ漠然と眺めているときに、ふとそんなことを考えた。母が北陸の出であったことを、私は今の今まで忘れていた。どうして急にそんなことを思い出したのか分からない。

 東京で生まれ育った私にとって母の故郷は縁が遠い。私の知る限りでは、父のところへ嫁いできてからの母は、自分の親族との付き合いというものがほとんどなかったはずだ。とは言っても電話も郵便制度もない江戸の頃の話ではないから、何かしらの手段で親しい人間とは連絡を取り合っていたようである。父の親族からの年賀状に混じって、見知らぬ差出人からのものが届いていたのを見た記憶がある。その宛先に私を含めた家族三人の名前が記されていたので、私は母にこれは誰から、と尋ねた記憶もある。母がそれにどう答えたかは覚えていないが、それは母の両親、つまり私の祖父母からの年賀状だった。

 ……時刻はまだ午前十時を過ぎた頃である。母のことを思い返すときにセピア色の感情が湧き上がってくるのは、私も決して若くはないという証拠だ。同時に私の胸を染めていく淡い思いもある。年毎に送られてきていた祖父母からの手紙も、随分前に絶えてしまった。今になってようやく、そのことが痛切に感じられてきたのだ。

 それにしても、母について知らないことというのは意外にあるものだ。父の兄や妹などはいずれも健在で、私も何々伯父さんだとか誰々叔母さんだとか呼び、昔からそういった密度の関係が続いている。その関係の中で私の知らない父の姿、私が子供の頃の父にそっくりだとか学校の成績はどうだったとか、そういうものが自然と見えてくる。一方で母の場合にはそれがない。父を介して知ったことも少なくはないが、その父も母の幼少期のことなどは知り得ないのだった。どんな環境で育ったのか、北陸に生まれたのがどうして東京へ出て来たのか、どうして父を選んだのか、簡単に考えただけでも疑問は尽きない。

 あの日、母は牡丹の花首が折れるようにゆるやかに、そして、そっと逝ってしまった。

 本人の希望で医者に無理を言って自宅での療養という形にしてもらったのだが、我々家族にしてみれば負担の大きな話だった。そこに他意がないことは言うまでもない。ただ純粋に母の死の前後は慌ただしい時間が流れていった、非日常を過ごしたというだけの話だ。穏やかな時間が戻ってきたのは、日常という世界に再び慣れることができたのは、それからしばらくしてのことだった。考えてみれば、あれは母が口にした唯一のわがままだった。今にしてみれば、あのわがままを受け入れていて良かったと思う。

 今、何かの拍子に警笛が鳴った。再び現実に引き戻される。私は今、どこにいるのだろう。分かるはずもないのに前後左右を見回してみれば、斜め前の座席に乳児を抱いた母親が目についた。乳児は陽の光を浴びて、気持ち良さそうに母の胸の中で眠っていた。私は何か、抑えきれないものを感じた。それが乳児ではなく少年であったなら、私はきっと彼に何かを伝えたであろう。何か、何かとは? 今という時間を生きることの大切さのようなものだろうか。しかし、彼女には、あの母親には何を告げることができるだろう。

 自分に何かができる、何かを伝えることができる、そう考えることはおこがましいのかもしれない。それでも衝動に駆られた私は、鞄の中から手帳を取り出して、母の命日の欄にそっと一言書き添えた。


「母は勁し」

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