鷹丸という男【前編】
鵄丸は鷹丸の酔狂に慣れているのか、ゲームについては何も言わなかった。
のそりと椅子から立ち上がると、ドアの前にでんと仁王立ちした。どうやらそこから二人の勝負を見守るつもりらしい。
鷹丸は上機嫌に、スーツの内ポケットからトランプを取り出した。携帯しているとは、余程のカード好きのようだ。
「そうこなくっちゃな。鵄丸と対戦しても、反応が薄くて面白くねえんだ。あんた様はせいぜい楽しませてくれよ」
「……善処します」
特に鷹丸を楽しませたい気持ちはないが、蘭子は大真面目に答えた。意地もある。こうなったら、何としてもゲームに勝つしかない。
「何で勝負するのですか」
「そうだな……。あんた様の身分を尊重して、ポーカーかな。クローズド・ポーカー。まごうことなき貴族の遊びだ。ルールは知ってるだろ」
蘭子はこくりと頷いてはみたものの、実際ポーカーをするのは初めてだった。
華族の社交場では常に男女が五、六人集まってポーカーをし、はした金を賭けて遊んでいた。蘭子も
鷹丸は、ピエロが描かれたジョーカーを二枚抜き出し、蘭子に見せた。
「ルールを説明するぜ。最初は俺が親になるが、交替制とする。ジョーカーは二枚とも入れる。これはどの数字、マークにもなるし、来れば高い役が狙える。勝ち負けのルールは親が決める。カードの『捨て』は三回までで、それを終えたらオープン。同じ役になった場合は、スペードを持っていた者が勝ち。スペードがなけりゃ、数字が強い方が勝ち。五回勝負だ。一回でも俺に勝てたらそこで終了。あんた様の依頼を無償で引き受けてやる」
蘭子は鷹丸が言うルールを、心中で
「……ということは、妾は四回まで負けられる余地があると。反対にあなたは一回も負けられない。随分と自信があるのですね」
「ハンデは高ければ高いほど興奮する。ただし、これは賭けだ。あんた様も一勝負ごとに金以外の物を賭けな。俺が勝ったら、賭けた物を貰う」
「……わかりました。では、これを」
蘭子は少し逡巡し、自分が
「……いいねえ、こりゃ高く売れそうだ」
鷹丸はヒュウと口笛を吹き、ざくざくとカードを切り始めた。
―― 一回戦。
二人の前に、よく切ったカードが五枚並べられた。
相手には見えないようにして、自分のカードを確認する。
蘭子のカードは、マークも数字も一切揃わないノーペアだった。ブタとも言い、これでは何の役も作れず、負けが必定する。
「あー、駄目だなこりゃ」
とカードを見た鷹丸がぼやいた。
だが、カードを捨てようとはせず、「パス」と言うと、蘭子の手もとを見ている。彼女がどう動くのか興味津々のようだ。
蘭子は無言のまま、
今度はハートの8でワンペアが出来た。鷹丸は再びパスし、蘭子は三枚捨て三枚取った。新しく来たカードも外れだった。ワンペア以外の役を作れない。
「……なあ、あんた様は花澄を見つけだしてどうするんだ。やっぱり殺すのか」
鷹丸の唐突な問いに、蘭子はぎょっとした。ゲームへの集中が途切れた。一体、この男は何を言いだすのか。
「……殺しなどしません。何故、そんなことを。縁起でもないことを仰らないで」
蘭子の強い否定に、鷹丸はふんと鼻を鳴らした。
「華族の家督争いってのは、今も昔もそりゃ凄まじいもんだ。長子だろうが末子だろうが、跡目を継げなかったら全ての権利を奪われて
「考え方が極端すぎます。もっと穏便な解決方法もあるでしょう」
「そうか? ウチも何度か華族の身内探しを引き受けたけどな、どれも『生死は問わない』依頼だったぜ。一つだけ『生きたまま』という希望があったんで、面倒ながら生け捕りにしたが……引き渡した後、すぐにここの裏で撃ち殺しやがった。自分の手で仕留めなきゃ気が済まなかったんだろうが、なら最初から死体でも良かっただろ。掃除が面倒になっただけのクソ仕事だったな」
鷹丸は忌々しそうに舌打ちしたが、その顔は言い知れない薄暗い喜悦に溢れていた。殺人を全く厭わない顔だった。金と条件次第では、人殺しも引き受けるようだ。蘭子は背筋がすっと寒くなった。
「……ここは、そういう依頼も引き受けているのですね」
「むしろ、『妹に会いたいから』なんていう理由でやってくる方が珍しいな。甘ちゃんもいいとこの、神様仏様かよってかんじだ。……パス」
鷹丸は役に自信があるのか、三回ともパスした。
蘭子は、最後に再び三枚捨て三枚取った。クラブとハートの4が二枚来た。ツーペアだ。このツーペアで勝負するしかないが、弱い役だ。
「さて、親は俺だな。じゃあ、こういうルールだ。オープンの前に、『あんた様が降りたら、あんた様の勝ち』だ。降りないのなら、オープンにして役で競う。さてどうする」
そう言われて蘭子は迷った。鷹丸は一度もカードを捨てていない。
ということは、最初の五枚で高い役を揃えたに違いない。
「あー、駄目だなこりゃ」というぼやきは、
自分はツーペアだ。オープンにしたところで、おそらく負ける。
だが、ここで降りれば勝ちだ。……さて、どうするべきか。
「乗るか、降りるか。どちらにすんだ」
「……乗ります」
蘭子は試しに乗ってみることにした。ここは様子見だ。
二人はカードをオープンにした。
蘭子はツーペア、そして鷹丸もなんとツーペアだった。
引き分けかと思いきや、彼はスペードのエースを二枚持っていた。
同じ役の場合、スペードを持っていた方が勝ちとなる。蘭子の負けで、フェルトの帽子は取られてしまった。
――二回戦。
今度は蘭子が親である。自分が着てきたカシミヤの外套を賭けた。
蘭子がカードを切って、五枚ずつ配った。
自分が持った札は、マークは四種類ともあり、6、7、8、9と数字が続いていた。
これならば、ストレートが狙える。蘭子は内心喜び、カードを一枚だけ捨てた。
幸運にも、次に来たのは5だった。これでストレートができてしまった。
これ以上高い役を狙うのなら、フラッシュ、フルハウス、フォーカード、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュとなる。マークがバラけた以上、それらを狙うのはリスクが高いと思われた。
「なあ、花澄が生きていると思うのはなんでだ?」
また鷹丸が尋ねてくる。
どうやら彼はゲームをしながら、依頼者である蘭子の心情を探りたいようだ。蘭子は、注意深く言葉を選びながら答えた。
「……もし既に死亡しているのならは、半分に切った写真を妾に送りつけても無意味です。妾を排除できても、綾小路の家督や財産は手に入りません。それに当人が、名乗りをあげられない状況にある可能性もあります」
「つまり、花澄はどっかの悪い輩に捕らわれているのかもしれない。ならば、大金を払ってでも取り返したいってことか。俺とポーカーをしてでも」
「……はい。その後に姉妹で
「成程。無鉄砲かと思いきや、あんた様は変に潔いところがあるな」
鷹丸は、くつくつとくぐもった笑いを洩らした。
二回目以降はパスを続けた蘭子に対し、彼は四枚、三枚、一枚と札を捨てた。
オープン前に、親である蘭子は言った。
「今度は妾が親。では単純明快に妾が降りたら、あなたの勝ちです」
「降りるのかよ」
「いえ、乗ります」
蘭子はきっぱりと言い切り、二人は札をオープンにした。
「ストレートか。残念だったなぁ、俺はフラッシュだ」
鷹丸のカードは全てマークがクラブだった。蘭子は唖然とした。
ストレートの方が難しいように思うが、役としてはフラッシュの方が強い。
蘭子は二回戦も負け、カシミヤの外套も取られてしまった。
――三回戦。
蘭子は困ってしまった。賭けるものが徐々になくなってきている。
今度は仕方なく
悔しく思いながらも、仕方なく手革鞄を机の上に置く。
鷹丸は蘭子の青い瞳をじっと見つめ、挑発的に言った。
「今度あんた様が負けたら、そのブラウスとスカート、下着でも出すんだな。最も勝負の前に、全部机の上に置いてもらうが」
「なっ……」
ドアの前の鵄丸が、鷹丸の卑猥な提案に呆れたように息をついた。
蘭子は一瞬呆気に取られ、次に怒りで頬を赤くした。
服を賭けるということは、ここで裸になれというに等しい。
とんでもない侮辱だった。断じてそんな屈辱を味わうわけにはいかなかった。
……ここはなんとしてでも勝たなくてはならない。
ポーカーは心理戦ということを忘れ、蘭子は頭に血がのぼったまま勝負に挑んだ。
再び鷹丸が親になる。
カードが配られ、蘭子はクラブの6が三枚のスリーカードだった。数字はバラけてしまっている。ここから役を狙うとしたら、フルハウスかフォーカードだ。二枚捨て、二枚取った。だが、変わらずスリーカードのままだった。
鷹丸はカードを見つめながら、尚も呑気に尋ねてきた。
「もし、花澄がだ。行方不明の間に、極悪人の連続殺人鬼にでもなっていたらどうする。家督や財産なんてどうでもよく、あんた様の命そのものを狙ってきたらどう出る? おとなしく殺されてやるのか」
随分と奇妙な質問だった。蘭子は鷹丸の意図がわかりかねた。
「何故、そんなことを……」
「いいから答えろよ。命を貰い受けると言われたら、死んでやるのか」
「いいえ」
鷹丸に対する腹立たしさも手伝って、蘭子は即座に言い切った。
「理不尽な死は御免です。花澄が妾の命を狙うというのなら……その時は戦うのみです」
「……それが聞きたかった」
鷹丸は感心したように呟き、ひょいと一枚捨てた。蘭子も一枚捨てた。
クラブの6が三枚、ハートとスペードのエースが揃った。フルハウスだ。
「さて、俺はここで親のルールを使う。俺が降りたら、俺の勝ちだ。だが、『俺が乗るか、反るか』、それはあんた様が決めていい」
「あなたの決断を、妾が決める……のですか」
「ああ、好きにしろ。ちなみにヒントを教えてやる。俺は、同じ数字を二枚以上持っている。マークは四種類揃っている。エースとキングは持っていない。連番は二枚ある」
蘭子は戸惑った。鷹丸が考えていることがわからない。彼は己の進退を、まさかの勝負相手に委ねてきた。一度でも負けたら、蘭子の勝ちになるというのにだ。
フルハウスより上の役は、フォーカード、ストレート・フラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュしかない。
同じ数字を二枚以上持っていて、マークはバラけており、五枚連番ではないとなると、鷹丸の役はワンペア、ツーペア、スリーカード、フォーカードとなる。フルハウスならば、確率的にまず勝てる。これは彼を降りさせるわけにはいかない。
「では、『乗る』で」
そこで鷹丸は、口を開けて高らかに笑った。
「……運がねえなあ!」
彼はひょいと手札を投げ出した。蘭子は食い入るようにカードを見た。
確かにマークはバラバラだったが、2が四枚揃っており、あとの一枚は3だった。
フォーカードだったのだ。なんという悪運の強さだろうか。
蘭子は三回戦も敗れ、鰐革の手革鞄を取られてしまった。
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