鳥海人材斡旋所



 それは奇天烈な建物ばかりが並ぶ二丁目界隈においても、殊更ことさらに奇妙な建物だった。

 赤茶けた煉瓦れんがで出来た洋風の二階建てで、その壁全てに緑のつたがびっしりと絡みついていた。

 二階正面に、直径一メートルほどもある巨大な円形の時計が取りつけられているが、金色の針にも何重にも蔦が巻きついていて時計として機能していない。真っ赤な三角屋根には煙突のようなものが幾つも生えていて、全て鬼の角のように尖っている。

 ぐるりと回りこんでみても、窓や扉らしきものが一つも見当たらない。

 まるで土蔵だ、とさくらは思ったが、近くまで寄ってみると東向きの壁に男が一人寄りかかり、煙草を吹かしていた。男は蘭子たちを見ると、さっと身をひるがえして走り去った。建物の人間ではなさそうだ。

 男がいなくなってみて、やっとこの建物の入り口がわかった。

 男がいたすぐ脇に地下へと続く階段があり、その奥に重厚な鉄製の扉が見える。

 目を凝らせば、階段の下には「鳥海人材斡旋所」という白のプレートが貼りつけられていた。ここが木村の言った場所に間違いなかった。

 どうやら、事務所は地下にあるようだ。「ここね」と少しドキドキしながら、蘭子は階段を降り、さくらも用心しながら後に続く。ギイッときしむ扉を開けると、中は薄暗く、がらんとしたホールだった。

 元はバーであったのか、細長いカウンターが見える。カウンターの前に古びたソファとテーブルが設置され、部屋の隅にはパイプ椅子が積み上げてある。他には何もないが、床は綺麗に掃除され、塵ひとつ落ちていない。地下ゆえにじめじめしているかと思いきや、通気孔が沢山あるようで室内の空気はからりとしていた。

「ごめんください」

 さくらが声を発すると、聞きつけたのか奥から頭を刈り上げた男がぬっと出てきた。

 二メートルはある天井に頭がつきそうなほどの巨漢で、肩幅も広く筋骨隆々としている。黒いシャツに灰色のズボンを穿き、何かの作業中だったのか汚れたエプロンをつけていた。彼は蘭子たちを見ると、壁のスイッチを押した。天井からぶら下がった裸電球に灯りがともる。

「おい、客だ」

 男が奥に向かって呼びかけると、奥からもう一人男が出てきた。

 今度は、巨躯の男とは違って細身で、一瞬女と見まごうほどに美麗な青年だった。整った面貌めんぼうを肩より少し長い黒髪が包み、癖のある長い前髪を赤いピンで止めて後ろに流している。巨漢とお揃いの黒いシャツに白麻のスーツを着ており、真っ赤なスカーフをシャツの襟に巻いてすとんと落としていた。服装は洒落ているが、蘭子は幾分軽薄な印象を受けた。朴訥ぼくとつそうな巨漢と違って、眼光は鋭く、底冷えする光を褒えている。二人共若く、二十代くらいに見える。

 蘭子が前に進み出て、男たちに言った。

「あの、妾は木村探偵事務所の紹介を受けてきたのですが」

 それに口を開いたのは、白スーツの方だった。

「あ、木村? ……知らねえなぁ。どこのどいつだそれ」

 予期せぬ返事に、蘭子は一瞬言葉を失った。男が、整った容姿に反して口調が乱暴なのにも驚いた。

 初対面の人間に、こんな無礼な返しをされたのも初めてだった。

 しかし、探偵の木村を知らないとはどういうことなのか。探偵の業界はよくわからないが、そもそも知己でない者を客に紹介などするものだろうか。

鵄丸とびまる、知ってるか」

 白スーツは巨漢に振り返ったが、相棒らしき男は首を横に振った。

「……だそうだ。そもそもウチは紹介なんて受けねえしな。あんた、店を間違えてんじゃねえの」

「でも、鳥海人材斡旋所と聞いて来ました。ならばここに間違いないはずですが」

 そう言って、蘭子はさくらから木村のメモを受取り、男たちに見せた。

 メモを見た白スーツは、「確かにこれはウチだなぁ」と鼻を鳴らした。疑わし気にじろじろと見ながら、彼は尚も言った。

「で、依頼したいのは誰だよ」

「妾です」

「……へっ、あんたかよ。女の客なんて初めてだな。わざわざ二丁目にやってくるってのもたいした度胸だ。いっそ馬鹿なのか」

 唐突に馬鹿と言われて、蘭子は腹が立った。自分は「仕事の依頼は、依頼者本人からしか受けない」という、この事務所の決まりごとに乗っ取って来た。なのに、まさか馬鹿呼ばわりとは。無礼にも程がある。

「こちらは、代理人は立てられないと伺いましたので。依頼人が直接行かないと引き受けてくれないと」

「はぁ? そんなわけあるか。確かに審査みたいなもんはあるが、すじの通った依頼なら代理人でも引き受けるぜ。なーんか話が噛み合わねえな」

「……」

 白スーツの言うことに、蘭子も押し黙る。確かに木村から聞いた話とは違う。

 何か、おかしい。

「まあいい。その度胸に免じて、話くらいは聞いてやるよ。奥に来な」

 と横柄に顎でしゃくられて、蘭子は迷った。このまま、この男についていっていいものか。

 斡旋所自体は通常営業しているようだ。折角ここまで来たなら、話ぐらいはしていくべきか。意を決して、蘭子は奥へ行ってみることにした。

 同じく続こうとしたさくらの前に、にゅっと巨漢の手が突き出される。見上げた顔は無表情だったが、駄目だと言いたげだ。

「おっと、お連れさんはここで待ってな。奥に行けるのは依頼人だけだ」

 白スーツの注意に「待っているように」と蘭子が目配せすると、さくらはおとなしく引き下がった。蘭子は手革鞄を両手で持ち、ホールの奥へと入っていった。

 

 奥の会議室らしき小部屋は、四畳ほどの広さしかなかった。

 簡素な木机と丸椅子が四脚ばかりあるだけで、天井はホールと同じく裸電球である。ただ部屋の壁は厚く、声が外に洩れることはなさそうだ。

 白スーツと、律儀にエプロンを外した鵄丸、そして蘭子が入ると部屋は窮屈になった。

 蘭子は帽子と外套を脱ぐと、丸椅子に腰かけた。机越しに、二人の男が蘭子をじっと見てきた。

「所長の鳥海ちょうかい鵄丸だ」

 巨漢の鵄丸の方から自己紹介をした。名前だけで他は何も言わない。年若い彼が所長とは思わず、蘭子は内心驚いた。てっきり若手の社員かと思っていた。次に白スーツが口を開いた。

「俺は鳥海鷹丸たかまる。副所長だ。つってもここには二人しかいねえけどな」

 鷹丸は行儀悪く肘をつき、口元に軽薄な笑いを浮かべた。

 どうやらこの斡旋所は、この二人で回っているようだ。

 鵄丸に鷹丸という名前も怪しい。こういう稼業は、偽名を用いるのが常と聞く。おそらく本名ではないのだろう。しかも、副所長の割に鷹丸の方が妙に偉そうだ。同じ苗字だが、彼らは体格も容姿も全く似ておらず、兄弟や親族とも思えなかった。

 鷹丸は蘭子を値踏みするように、全身を上から下までじろじろと見た。

 その全てを見透かすような無遠慮な視線に、蘭子は背中にぞわりと悪寒が走った。

 衣服を着ているのに、一枚一枚剥がされているような、隅から隅まで舐めるようなおぞましい視線だった。

 鷹丸は切れ長の目を、さらに細めた。

「……よくよく見りゃあ、あんた真人まにんじゃねえな。真穏者まおんじゃか」

「えっ」

 鷹丸の言うことが分からず、蘭子は狼狽うろたえた。真人、真穏者とは一体なんだろう。

「本当か?」

 隣りの鵄丸は表情こそ変えないが、身を乗りだしてきた。

 彼もまた、蘭子を胡乱気に見つめた。

 そこで蘭子は気づいた。この二人の男は、容姿こそ全く似ていないが、共通点が一つあることに。

 ……眼だ。二人共、見る者を萎縮させずにはいられない強烈な眼をしている。双眸は空の王者たる猛禽類のように鋭く、甚だ傲岸で、獰猛どうもう気色きしょくを孕んでいる。

 もしかしたら、これはとんでもないところに来てしまったかもしれない。

 鵄丸は、暫く蘭子を見つめたが、納得できないという風に首を横に振った。

「いや、全くわからん。洋人の真人にしか見えん」

「俺も勘だけどな。なーんか違う気がするんだよ。だが、思い当たるうからはねえし、なんだろな……」

 二人の会話に、蘭子はたまらず割って入った。

「……あの、真人とはなんでしょう」

「知らねえんなら、知る必要ねえよ」

 間髪入れず鷹丸に言い切られ、蘭子はまた腹が立った。さっきからこの男はなんなのだろう。鷹丸の言動全てがありえない。

「あんたも名乗れよ」

 と促されて、そこで蘭子はとうとう我慢できなくなった。たまらず抗議の声を上げた。

「その前に、あなたにあんたと呼ばれる筋合いはないように思いますが」

「……めんどくせえな。じゃ、あんた様って呼んでやるよ」

 鷹丸はチッと舌打ちし、悪びれた風もなく言ってのけた。

 「あんた様」呼ばわりとは、ますます馬鹿にされているとしか思えない。

 が、彼らに華族の権力も威光が通じないというのは本当らしい。この点は木村が言っていた通りだ。蘭子は早々に諦めた。

「綾小路蘭子です」

 憮然としつつも、蘭子は正直に名乗った。

 華族であることを明かしても、鷹丸の傍若無人な態度は変わらなかった。それがなんだとばかりに、冷たい眼差しで見つめてくる。

 鵄丸は元々無口な性質たちなのか、腕組みしたまま黙って聞いている。当然、話の進行は鷹丸にゆだねられた。

「で、あんた様の依頼ってのはなんだ。どこのどいつを斡旋して欲しいんだ」

「……こちらは人であるなら、誰であっても探し出して連れてきてくれると聞きました」

「まーな。看板に偽りはねぇ」

「……でしたら身内を。妾の異母妹いもうとを探し出して欲しいのです」

 本題を切り出すと、鷹丸は意外なことを言った。

「家族ねえ……。死体でいいのか。その方が安く済むぜ」

「……いいえ、生きている状態でお願いします」

 蘭子は驚いた。人探しなのに、何故「死体」などという単語が出てくるのか。鷹丸の感覚は何か大幅にずれている。

 既に花澄が死亡しているならともかく、彼女の暗殺を依頼するわけではない。是非とも生還してもらわねば困る。

 蘭子は、簡潔に花澄を探しあぐねている旨を話した。手掛かりとして、手革鞄から例の半分に切られた写真を取り出して見せた。

「この切られてしまった方の少女が花澄だと思います。写真はこれしかないのですが」

「へえ……。これはこれは。こりゃあ『特殊失踪人』かもしれねえな」

 鷹丸は写真を摘まみ上げ、ハハハと愉快そうに笑った。

「特殊失踪人……とはなんでしょう」

「それもわかんねえのか……。あんた様は、本当に何にも知らねえんだな」

 鷹丸は、ハアとわざとらしく溜息をついた。

 蘭子の無知を馬鹿にしつつも、教えてくれる気はなさそうだ。

「……鷹丸、いけるのか」

 鵄丸が写真を覗き、ぼそりと呟いた。相棒の懸念に、鷹丸は即座に言い返した。

「は? 俺をなんだと思ってんだ。いけるに決まってんだろ。……だが、あんた様よ。これは高くつくぜ。おそらくは一番厄介な斡旋だ」

「……おいくらでしょう」

 そこは、些か自信を持って蘭子は尋ねた。大富豪である彼女にとって、金銭面で不足することはあり得ない。今日も念のために財布に百円ほど入れてきた。米十キロが三円足らずで買えるこのご時世において、なかなかの金額である。どんなにふっかけられても払えるだろう。

 だが、鷹丸の要求は予想外だった。

「前金で百五十だ」

「百五十……」

 蘭子は絶句した。とんでもない数字だ。さらに鷹丸は意地悪く畳みかける。

「しかも、現金一括のみ。あんた様がこの場で払えないなら引き受けねぇ」

「そんな……手持ちでは足りません。屋敷に戻らないと」

 蘭子は提示された金額に心底呆れ果てた。前金で百五十円とはなんだ。危険が伴う探偵業だとしても、ありえない金額である。これはもう詐欺としか思えない。ここへ来たのはやはり失敗だと思った。

 鷹丸も無理難題は承知のようだった。むしろ、わざと滅茶苦茶なことを言って蘭子の反応を楽しんでいる節があった。

 彼は待ち構えていたように、ニヤリと笑った。

「まぁ、待てよ。前金をチャラにする方法がないこともないぜ」

「それはどのようなことですか」

「俺とカードで勝負しようぜ。あんた様が俺に一度でも勝てたら、この依頼タダで引き受けてやる」

「カード……?」

「ああ。ここは新宿、一大遊戯場だ。オンナ、酒、賭博、クスリ、なんでもござれの快楽けらくの巣窟さ。折角来たんだ、あんた様もちっとは遊んでいけよ」

「ですが……」

 鷹丸のふざけた提案にも、蘭子は真面目に思案した。

 軽率にあおられて、こんな胡散臭い誘いに乗ってしまっていいものか。だが、鷹丸の不敵な顔つきを見れば、引き下がれない気もする。

「一度でも勝てたら、引き受けてくれるのですね」

「ああ」

 鷹丸ははっきりと頷き、同意を求めるようにちらりと鵄丸を見た。鵄丸は仕方ないという風に言った。

「安心しろ。鷹丸は嘘はつかない」

 鵄丸の断言と言質げんちを得ても、蘭子は決心がつかなかった。

 尚も迷っていると、急かすように鷹丸の眼が光った。

「悪りぃが、俺は短気なんだ。たかがカードだぜ。伯爵夫人さんよ、さっさと決めな。乗るか、るか。どうするんだ」

「……乗ります」

 鷹丸の眼力に気圧けおされるようにして、蘭子は思わず言ってしまった。

 こうなったら後には引けない。鷹丸に勝って、花澄捜索の依頼を引き受けさせるしかない。

 

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