綾小路蘭子の秘密



 芥川の件はこれで済んだとばかりに、大木戸は両手で膝を叩いた。

「じゃこれは良し。次の話な。綾小路伯爵夫人の件はどうなった。次の華族特集に間に合いそうか」

「それはこの前お話したとおりです。会見で本人を間近に見ましたけど、ありゃすごい。どこからどう見ても大和の顔じゃない。ただ不義の子説は他紙が散々書いてるんで、赤ん坊の取り替え疑惑か影武者路線でいこうかと」

「馬鹿、いくらなんでも苦しすぎる。赤ん坊でも影武者でも、やるならもっと穏便な人選をする。赤毛で碧眼である必要はどこにもない」

「ですよねえ……」

 渡利は、ひょいと肩を竦めてみせた。実際自分で言っていても、無理がありすぎると思っていた。大木戸は渡利の顔を面白そうに眺め、意味深に笑った。

「伯爵夫人の出生ネタは、ここいらで打ち止めにした方がいいかもしれん。やりすぎて名誉棄損で訴えられたら適わん。うちみたいな弱小なんてあっという間に潰される。それに……俺は確信している。伯爵夫人は綾小路章浩のたねだよ。十八年前の離婚騒動の時だって、内儀ないぎの不義密通の証拠は何一つ出なかったらしいじゃないか。全ては綾小路章浩の思い込みだ。おそらくは宮内省だって調べはついているはずだ。じゃなきゃ、異人の顔した娘に襲爵なんてさせるもんか」

「え、それってどういうことなんです」

 上司からの予期せぬ断定に渡利は驚いた。

「まあ、待てよ。一服させろ」

 大木戸は再び煙草を取り出し、マッチで火をつけた。大きく吸ってから、天井に向かって口をすぼめ煙を吐き出す。紫煙が再びゆらゆらと立ち昇っていった。

「……お前、隔世遺伝かくせいいでんて知ってるか」

「ええ、そりゃまあ。親の持つ劣性遺伝の特徴が、子ではなく孫に出るってやつでしょう。優性遺伝なら、親の遺伝形質がそのまま子供に現れる。具体的には髪の色や血液型って聞きますけどね」

「そうだな、肌の色は黒が優性、白が劣性だ。髪も同じだな。その劣性遺伝がだ、確率何百万分の一か知らんが、突然変異で曾孫ひまごに出たとしたらどうだ」

「……曾孫に。つまり、綾小路蘭子の先祖に西洋人がいたってことですか」

「そうだ」

「どうなんですかね。鎖国中も貿易をしていた長崎界隈ならともかく、綾小路家は元は京都の宮家ですよ。何百年も近親婚を繰り返してきたガチガチの保守なのに、そんなことあり得るんですかね」

「別に父親の血筋とは限らんだろう。母方の藤堂家は、元は『入江』という平民だ。ここは商人の家系だが、蘭子の母親の祖父にあたる入江忠右衛門ちゅうえもんは調べるとなかなか面白いぞ。かなり酔狂な人物でな、葡萄牙ポルトガル船と交易した際に、船に捕らわれていた白人の女奴隷と接触したらしい」

「白人の女奴隷……」

「奴隷といっても商品じゃない。幕府は奴隷の輸入を厳しく禁じていたからな。どっかからさらわれて、船員の慰み用に飼われていた女らしい。それを忠右衛門が買い取って、自由身分にしてやったんだ。女は透けるような白い肌を持ち、赤毛で青い目をしていたそうだ。『千代美ちよみ』という名を与えられて忠右衛門の妾となり、黒髪黒目の男児を産んだ」

「千代美……。伯爵夫人と同じ容姿ですね」

「不思議なことに、千代美は何年経っても若く美しいままだった。周囲が妖魔じゃないかと怪しむほどだったらしい。やがて千代美は入江家に居づらくなったのか、成人した息子を置いて行方をくらませた。

 で、その千代美が産んだ息子ってのがすこぶる優秀でな、末弟にも関わらず、他の兄弟を押し退けて入江家当主に収まっちまった。そいつが入江忠道だ。蘭子の祖父だな。忠道は秀才中の秀才で葡萄牙語、和蘭陀オランダ語、英語、支那語と何か国もの言葉を操った。欧米から武器を安く買い付けて政府に高値で売り捌き、戦争で巨万の富を成した。とうとう東京に進出して藤堂子爵を買収し、華族の地位まで手にいれちまった。四方に金をばらまき続けた甲斐あって、晩年には娘の日奈子を名門の綾小路家に嫁がせることに成功した。奴は一族の繁栄を確信しながら大往生したんだが……」

「そう上手くはいかなかったってことですよね」

「ああ、どういう拍子か、曾孫の蘭子に西洋の血が色濃く出た。千代美の持つ劣性遺伝子が現れたんだな」

「色濃くってレベルじゃないですけどね。何がどうなったらああなるんだか。ありゃいっそ呪いのたぐいですよ」

 今の話が本当なら、奴隷だった千代美は世界を漂流した末、最期は遠い異国の日本で生涯を終えた。彼女の筆舌に尽くしがたい苦しみ、悲憤、怨恨が数代を経て無情にも子孫に発露はつろしたとしか思えなかった。

 大木戸はフンと鼻を鳴らした。

「呪いか。また非科学的なモンが出て来たな。最も俺らはそれで飯を食ってるんだが。とにかくだ、綾小路蘭子は章浩の子だよ」

「大木戸さん、今の話は何処で仕入れてきたんです」

「宮内省の貧乏役人だよ。酒をおごったら酔ってべらべらしゃべりやがった」

「へ……宮内省」

 予想外の組織の名に、渡利は素っ頓狂な声を上げた。

「奴が言うには、綾小路の襲爵の手続きはすんなり通ったようだ。綾小路蘭子は、宮内大臣の下問に『自分の特異な容姿は、極めて希な先祖返りである』と答えたらしい。先祖の好事こうずを晒し、自ら混血を認めたわけだが、なかなかどうしてやるじゃないか。ただの世間知らずの嬢ちゃんじゃなさそうだな」

「なるほど。じゃあ最初から知ってたんだなぁ、伯爵夫人は」

「襲爵があっさり認許されたところを見ると、世間が騒ぐほどお上は外見上の色なんて気にしてないようだな」

「あの、今大木戸さんが言った説を掲載するのはどうなんです。高貴な伯爵夫人の曾祖母が白人の女奴隷っていうのは、読み物として受けるんじゃないですかね」

「所詮は嫁の実家の話だ。パンチが弱い。忠右衛門が綾小路のお殿様なら面白くなったかもしれないが」

 渡利はうーむと唸った。元々、彼は綾小路蘭子にはさほど興味はなかった。

 伯爵夫人の出生云々より、今度彼女の夫となる鏑木惟光の方が気になっていた。

「なら、やっぱり俺は鏑木の方を調べますよ。奴さんも新華族の一員だが、旧家の綾小路家より余程胡散臭いんで」

「鏑木男爵か……。身分の分けへだてなく接し、慈善活動にも熱心な人格者という話だがなぁ。お前、野郎はどうでもいいんだよ野郎は。やっぱり若い美人だ。妖婦、毒婦の類じゃないと読者に受けん」

「どうしても気になるんですよ。人格者と評される割にはどうも……」

「まあいい。時間はある。綾小路家と鏑木家の婚儀は六月だからな。鏑木が臭うなら、式直前にスッパ抜けばいい。しっかりやれよ」

 大木戸は渡利に向かってひらひらと手を振った。もう行けという意味だった。

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