接触



 山田と飲んだ翌日、渡利は朝から帝都新聞本社の閲覧室にいた。

 帝都新聞は、この国で一番の発行部数を誇る大新聞である。

 明治初期から発行されている新聞は、関東大震災の火災も逃れて全て保管されており、申請さえすれば一般人も閲覧できた。寛大なことに他社の記者へも門戸を開いているが、記事の無断引用は厳禁で、必ず許可と使用料が必要だった。

 渡利は、閲覧室にて過去の綾小路家と鏑木惟光に関する記事を調べていた。

 鏑木の過去の結婚に関しては、特に目新しいものはなかった。

 綾小路家は名門の華族とあって何度も文化面で特集を組まれていたが、章浩の代になるとスキャンダラスな記事が目立つようになった。

 渡利は十七年前の夏に発行された帝都新聞夕刊の「秘密乃花園ひみつのはなぞの」という低俗な三面記事に目を止めた。

 それは「好色盛んなA伯爵、深川の芸者と痴情のもつれ」と題されていた。

 挿絵がついており、伯爵らしき男が料亭の前で留袖を着、日本髪を結った芸者を煙管きせるで打ち据えていた。女は涙を流しており、許しを乞うように伯爵に向かって両手を突き出している。二人を多くの弥次馬が取り囲み、土方らしき屈強な男数人が暴力を振るう伯爵を止めようとしている。

 渡利は記事も読んだ。それは大体挿絵の通りで、A伯爵なる富豪が深川の芸者を路上に引き摺り出し、公衆の面前で何度も打った挙句、拉致同然に連れ去ったという内容だった。このA伯爵が誰であるかは想像に難くなく、芸者は山田の言っていた口のけない明夢あきみと思われた。

「あの子……花澄と歳の頃は合うか。それにあのペンダント……いや、まさか」

 渡利は熱心に記事を眺め、ふところから手帳を取り出すと念のため記事の本文を写し始めた。

 

 

 帝都新聞本社を出た後、渡利は真っ直ぐ銀座のカフェー「しらゆり」に向かった。

 「しらゆり」は通常営業しており、その日は何人か客も入っていた。マスターのシモン以外に店員はいないようで、シモンはその巨体を揺らして忙しく立ち動いていた。

 シモンは渡利を見ると、パッと顔を輝かせた。

「あら、あんた。二度目ましてね。来てくれて嬉しいわ」

「俺のこと覚えててくれたのかい」

「勿論よ。あたし、ハンサムなモダンボーイは決して忘れないの。毎晩寝る前に一人一人の顔を思い浮かべて、また会えるように願ってるんだから。そうすると、意中の人がまたお店に来てくれるのよ」

 恋占いに酔いしれる少女のように、シモンは渡利を見つめてうっとりしている。

 どうやら自分は彼のタイプのようだが、渡利は素直に喜んでいいのかわからなかった。

「そうかい、それは光栄だな」

一見いちげんじゃないなら、あんたはもううちのお客さんよ。あたしは長浜シモン。シモンて呼んで」

「俺は渡利だ。実はマスターに一つお願いがあってね」

 渡利はシモンの希望に反し、「マスター」と呼んで距離を取った。

 今のところ彼と仲良くしたい気持ちはなかった。渡利はカウンターに寄りかかると、懐から名刺を取り出しシモンに渡した。

「この通りだ。俺は怪しいもんじゃない。きちんとした会社の勤めびとだ。この前、店に髪をひっつめた小柄な子が来ただろう。あの子のことがどうにも忘れられなくてね。もしマスターの知り合いなら、紹介して欲しい」

「何、もしかして気があるの」

「うーん。まあ、そういうとこ……かな」

「やだ、酷い。あたしに会いたくて来てくれたんじゃないのね。女目当てなんて最悪よ。うちは出会い喫茶じゃないんだけど」

 シモンは拗ねたようにプイと横を向いてしまった。渡利はここで断られてはたまらないと、両手を合わせて懇願する。

「頼むよマスター。迷惑はかけないから。一度だけ彼女に段取りつけて欲しい。俺の気持ちを正直に話して、それで駄目なら男らしく引き下がるから」

 何度も拝みながら頼み込むと、シモンは仕方ないと言う風に頭を振った。

「……ま、いいわよ。あの子は客じゃないしね。いうなれば友達だし」

「本当かい。助かるよ」

「別に若者同士の自由恋愛を阻むつもりはないわ。でもあたしからの紹介はお断り。彼女には自分で会いにいって」

「どうやればいいんだい」

「あの子は綾小路伯爵家の奉公人よ。勿論、ご主人に招かれなくちゃ邸内には入れないけど。でも、午前十時に屋敷の裏口へ行けば……会えるかも」

「そうか、ありがとう。あ、そうだ。この周辺でお勧めのデート場所ってあるかい」

「そうねえ……。そういやコレ、お客が置いていったの。二人で行ってみたらどう。面白いかどうか知らないけど」

 シモンは渡利に、藁半紙わらばんしに印刷されたチラシを手渡した。

 チラシには墨刷りで、幻想影絵芝居「新・青ひげ」なる芝居の公演案内がつづられていた。

 公演場所であるH公園も「しらゆり」から徒歩十分程度の距離だ。

 渡利はチラシをポケットに捻じ込むと、礼を言って店を出た。

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