第8話 『幻の音楽』?


 『チーン』というベル音とともにガラス張りの小部屋が最上階に到着したのは、それからたっぷり十数分が立ってからだった。


「お……終わった……。やっと……」


 クロエと金属板を抱えてふらふらとエルランドが出て来る。

 最上階の部屋に敷かれた分厚い絨毯にクロエの身体を横たえると、自分もたまらず大の字になった。


「数十年生きてきたが……これはその中でも断トツに最悪な経験だ……」


 虫の息で呟く。

 その横をモーリスが平然とした顔でスタスタと通過していった。


「いやはや、なかなか骨太なアトラクションで御座いましたね。しかし、私にとってはあの程度、子供向けのメリーゴーラおろろろろろろ……」

「おい、汚い。あっちでやれ」


 喋りながら何故かキラキラと輝く吐瀉物を吐き出すモーリスに冷たく言い放つ。

 五分も休むと気分の悪さもだいぶ治まってきた。

 立ち上がって最上階の部屋を見渡す。

 そこは部屋の半面がガラス張りのドーム状で、その外は館の広大な庭園を見下ろすテラスになっていた。

 もうそんなに長い時間この館にいたのか、沈みゆく夕陽がオレンジ色の光線を部屋に投げかけていた

 室内には家具も調度類も無く、あるのは壁際に組み上げられた巨大な装置だけだ。

 あの装置が、『楽譜』を再生する『からくり』なのだろうか。


「ん……。あれ……?」


 クロエが目をこすりながらもそもそと起き上がった。


「お嬢様、ご無事で何よりです」

「う……? あぁ、夢かぁ。ちっちゃい頃の揺りかごの夢で、すごくいい気持ちだったのに……」

「そ、そうか。それは残念だったな」


 エルランドが口元を引き攣らせながら言う。思い出させないほうがいい。


「『死の揺りかご』ならガッツリお楽しみで御座いましたよ」

「余計なことを言うな馬鹿者。それより、あの装置で恐らく『楽譜』が聴けるぞ」

「ホントに!?」


 クロエは急に元気になって跳ねるように立ち上がると、装置の方に小走りで向かった。


「金属板はここにセットするようですな」


 モーリスが装置の裏に回って言う。

 確かに、装置の裏の中央にちょうど金属板にピッタリの大きさの切れ込みがあった。

 エルランドは金属板を持ち上げると、二人を交互に見た。


「……。では、入れるぞ……?」


 二人が高揚した様子で頷く。

 エルランド自身も、ワクワクとした気分なのは否定できなかった。

 百年前に奇跡的に残された『幻の楽譜』。それは一体、どんな形で目の前に蘇るのか。

 全く想像がつかなかった。

 慎重に金属板を切れ込みに差し込んでいく。


「……!」


 三分の一程を差し込むと手応えがあり、装置が低い駆動音を発し始めた。

 もはやエルランドが力を込めなくても、金属板はまるで飲み込まれるように勝手に装置の中へ入っていく。

 すっぽりとその姿を装置の中に隠すと、切れ込みの蓋が閉まった。

 エルランド達は頷き合い、急いで装置の正面に戻る。

 しかし……。


「む……?」

「なによ。始まんないじゃない」


 装置からはガタガタと何かが動いている音が聞こえてくるのだが、肝心の『楽譜』の音は再生される気配が無かった。


「分かりませんよ。このガタガタ音が、ダフニス十一世の考えた至高の音楽と言う可能性も……」

「え~!? そんなん嫌よ!」

「まさか。そんな前衛的なものをあんな大層に記録するわけが無い……と思う」


 エルランドの言葉は徐々に自信のないものになっていった。


「まぁねー……。なんたって、変態だからね」


 今までの『からくり』の数々を思い出すと、余計に自信が無くなる。


「いや、そんなまさか……。きっとセットの仕方を間違えたんだろう。もう一度――」


 エルランドが気を取り直すように歩き出した瞬間。


 ――ごぉーん、ごぉーん。


 鐘の音が鳴り響いた。


「……!?」


 直後、盛大な金管楽器のファンファーレが部屋中に……いや、館中に響き渡った。


『ウェルカムトゥ・ダフニスレジデンス! オーケイ! レッツエンジョイ・ザ・ファンタスティックショウ!!』


 どこからかダンディな男性の声が降り注ぎ、スネアドラムのマーチから心躍る音楽が始まった。


「何だ!? こんな音楽は……」


 聴いたことが無い!

 舞曲のようだ。だが、宮廷の舞曲のように優雅で洒脱では無い。

 エッジの効いたリズム。不協和がぶつかり弾ける刺激的なハーモニー。

 音量も慎みのあるものではなく、ある意味乱暴とも言える音の大きさだ。

 だが、粗野だが心を浮き立たせるような躍動感のある音楽だった。


「ね~! 何これ! 楽しいね!?」


 爆音に負けない声で楽しそうにクロエが叫ぶ。

 彼女は自然と身体を動かして、音楽に身を任せていた。


「なんとも好き勝手な音楽……。私は嫌いじゃありませんよ!」


 モーリスの言う通りだった。

 この音楽には、今まで誰も出会ったことの無い『自由』が溢れている。

 その時、ガラス張りのドームから色とりどりの光が差し込んだ。


「わあっ!」


 クロエが喜び勇んでドームの扉を開け、テラスへと走っていく。

 すでに太陽は完全に沈み、夜空を星が彩っている。


「…………!」


 エルランドも追ってテラスに走り出て、その先の光景に言葉を失った。

 館のいたる所から発射される七色の光線が、眼下の庭園をキラキラと輝かせている。

 館そのものが楽器に鳴ったかのように、音楽が敷地中に鳴り響いていた。

 その音楽のリズムや移り変わりに合わせて、色とりどりの光線が交差し、混ざり合い、複雑な幻影を描き出していく。


「素晴らしい……」


 エルランドは呆然とその光景に見とれていた。

 次の瞬間、庭園の左右から火の尾が空へ昇っていった。

 『ドォン!』と腹に響く音とともに火の尾が爆発し、綺羅星のような輝きを夜空に焼き付ける。


「花火だ! きれい! きれい!」


 クロエが飛び跳ねてはしゃぐ。

 音楽が一度静かになり、それに呼応して光線が怪しくぐるぐると地面を徘徊する。

 少しずつのクレッシェンド。

 徐々に息を吹き返していくハーモニーが、やがて最高潮へと急激に上り詰める。

 庭園中から花火が尾を引いて夜空に登っていった。

 一瞬の無音。


 ――直後、音楽と花火が盛大に爆発した。


 大気と心を震わせる音と、夜空を覆い尽くさんばかりに煌めく金銀の輝き。

 クライマックスを迎えた音楽は、そのまま有終の美を飾り幕を閉じた。


「…………」


 急激に静まり返った星空を、三人ともしばらくの間無言で眺めていた。

 ふと、クロエが口を開いた。


「『幻の楽譜』ってさ。きっと、この家自体のことだったんだね」

「そうかもな」

「見つけてあげられて、良かった」

「ああ。私も、来てよかった」

「ほんと!?」


 月明かりに照らされた、無邪気に笑うクロエの笑顔は、何だかとても尊いもののように思えた。





 その後、結局、『楽譜』を持ち帰ることはしなかった。

 クロエが「この楽譜はここにあったほうがいいに決まってるじゃん」と言ったのが理由だが、エルランドもその通りだと思った。

 『旧ダフニス別邸』は、翌日、エルランドとモーリスにより再び玄関を施錠された。

 恐らく、このまま再び人々の記憶から忘れ去られるのだろう。


 ……まぁ、クロエの気が変わったら、その限りではないが。

 ただ、三人の心に、あの夜の音楽と光は一生残り続ける事だけは確かだ。



   ◆


「暇ねぇ……」


 クロエが革張りのソファに白い生脚を投げ出して、つまらなそうに呟く。


「そうか?」


 エルランドが尋ねると、ごろんとソファの上で寝返りを打って答える。


「暇よ。だって、誰も来ないんだもん」

「……仕方ないだろう。だいたい、何で私の店にきみが居座っているんだ」


 そう。現在、クロエは『エルランド楽譜専門店』内の隅にソファを置いて、そこで寛いでいるのだ。


「いいじゃん、別に。減るもんでもなし」

「減るだろう。スペースが」


 ただでさえ猫の額のような店内に、大きな革張りのソファ。その上、持ち主の態度まで大きいとなれば、もはや店内は圧迫されすぎて破裂してしまいそうだ。


「実際、何人かきみの姿を見て逃げるように帰ってしまっているんだぞ」

「知らないわよ。別に、この前のギャラで家賃は払えてるんでしょ?」


 ソファにうつ伏せになって、にこにことこちらを見て言う。


「そういう問題じゃなかろう」

「ふーん……。じゃあさ、あたしが養ってあげようか?」

「なっ……!」


 エルランドが呆れて絶句すると、クロエはソファから脚をつつ、と伸ばして妖艶な笑みを浮かべた。


「いま、あたしの脚を舐めたら、養ってあげないことも無いわよ?」


 エルランドは口元を引き攣らせると、カウンターに置いてあった輪ゴムを器用に飛ばした。


「あいたっ! 何すんのよ!」

「子供が、妙なことを覚えるんじゃない」


 エルランドが肩を竦めて言うと、クロエは頬を膨らませた。


「誰が子供よ! そうか、怖いのね? この身体に溺れてしまいそうな自分が……!」


 そう言って今度は両脚を高く上げる。

 今日もやたら短いスカートなので下着が丸見えだが、エルランドは何だかもはやそれを親戚の子供を見るような目で眺めていた。


「あー! 何よ、その目!? もう怒ったわ! もっと過激に――」

「お、おい。落ち着け! 一旦、それを履け!」


 クロエが越えてはならない一線を越えようとするのをエルランドが必死に止めている時、店の扉が勢い良く開いた。


「たっだいまーー! いやー、馬車が混んでて大変だった……よ……?」


 センリが玄関先で笑顔のまま凍りついていた。

 去年、十七歳になった時に買ってあげた新しいマントを羽織っている。背も伸びたので、大人用でも何とか着れていた。


「おん? どうしたセンリ――あ……」


 センリの後ろからトレイスが店内を覗き込み、そそくさと逃げていく。

 助けろ、おい。


「エル……? そちらの方は……?」


 底冷えのする笑顔でセンリが問いかける。


「待て。センリ。何か、物凄くタイミングが悪くてだな……」

「そりゃあ、女の子のぱんつを脱がしてたらタイミングも悪いでしょうね」


 センリの背後から『ズゴゴゴゴゴ』という効果音が聴こえてくる。


「違う! 履かせていたのだ!」

「ほーう。履かせないといけない状態だった訳ね」

「あ、あああ! そ、そうじゃなくてだな!」

「ねえ、エルランド。誰? この地味な人」


 狼狽するエルランドにクロエが尋ねた。


「じ、地味……!? あなたこそ、何者なのよ!?」

「あたし? あたしは、エルランドを養ってあげることになってる者だけど?」

「はあ……!?」

「おいおいおい! 勝手なことを言うな!」

「ちょっと、エルどういうこと!?」

「いや、彼女はちょっとした依頼主でだな……!」

「ちょっとしたって何よ! あんなに熱い夜を過ごしたじゃない……」


 クロエの台詞にセンリが気を失うように倒れかけ、ドア枠に掴まって何とか持ちこたえる。


「クロエ! 紛らわしいことを言わんでくれ!」



 あーでないこーでもないと飛び交う声に、『エルランド楽譜専門店』の中は阿鼻叫喚の図式になっていた。

 建物の階段に腰掛けて煙草を吸いながらその喧騒を聞いていたトレイスは、「くっくっ」と楽しそうに笑ってから呟いた。


「平和だなぁ、オイ」


 吐き出した煙が、ゆっくりと空へ昇っていった。


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