第26話 もう一枚の〈聖譜〉
「エルランドよ。貴殿はいつも、潮流の変化を呼び寄せる男じゃな」
エルランドとセンリにこれまでの経緯を聞かされた長、オスカルバルデスはまずそう言った。
長はその他のソラネルの抜けるような白い肌とは違い、褐色の肌をしていた。深緑色の髪は同じだが、花は咲いていない。
彼はソラネルの中でも〈樹人〉というらしく、白い肌のソラネル――〈花人〉が人間とさほど変わらない寿命なのに対し、千年の時を生きるのだとか。
長い年月が刻まれた古樹のような皺が入った顔。その黒い瞳には、何かを超越した穏やかさと全てを見透すような澄んだ光が宿っていた。
「潮流、ですか」
「うむ。それにしても……」
問いかけるエルランドに長はゆっくりと頷くと、息を吐きながら椅子にもたれた。
「今回は、また特別に難儀なものじゃのう……。お主は、その娘――センリ殿の帰る場所、そして記憶を戻す方法を探していると言ったな」
「は……」
「しかし、じゃ。センリ殿の帰る場所も記憶も…………残念ながら、この世界に無い」
「え……。……えぇ~!?」
思わずセンリが立ち上がりながら声を上げる。近くで地面をつついていた小鳥が驚いてパタパタと飛び立っていった。
「落ち着けセンリ。……長、一体どういう事でしょう? 帰る場所はまだしも、『記憶』が無いとは……」
「センリ殿はの、『異界の民』じゃ」
「異界の民?」
エルランドが怪訝そうに問い返す。
「さよう。この世はいわば『レタスの葉』のようなものじゃ。幾層もの世界が表裏一体となって存在している。センリ殿は何かの拍子で、あるいは何かの必然性を持って、重なった別の葉……つまり『別の世界』からここへやってきたのじゃろう」
「まさか、そんなことが……」
「ソラネルに伝わる古の記録にも、それらしき記述はある。『三千年前、大魔戦役の混乱の中、異界の民が人々を光へ導いた』と……。そして、今の世もまた混沌としておる」
「…………」
エルランドが絶句する。
ソラネルの古の記録には、この大陸〈クレフ〉の成り立ちまでもが、樹人のみ読むことが出来る古代文字で記されていると聞く。
そして、この老人が『事実しか言わない』のもエルランドはよく知っていた。
「わしには一目見て分かったよ。命を見透す〈樹人の眼〉を持ってしても、彼女とこの世界との魂の繋がりを見出すことが出来ない。それはそうじゃ。センリ殿はこの世界と初めから繋がってなどいないのだからの」
「センリが、異界の民……」
エルランドが呟きながら横のセンリを見る。
すると、センリがおずおずとオスカルバルデスに尋ねた。
「あ、あの……じゃあ、わたしはずっとこのままってこと、ですか……?」
「いや。元の世界に帰る方法はある。センリ殿がなぜこの世界に来たか……。何かしら、この世界で『為すべきこと』があるはずじゃ」
「なすべきこと……?」
「うむ。三千年前の異界の民は、『戦乱の世を治める』為に。そして、センリ殿は恐らく――――」
オスカルバルデスの言葉に、エルランドは何かに気付いたようにハッと顔を上げ口を開いた。
「そうか、神器……!」
その言葉を肯定するように、オスカルバルデスは黙って頷いた。
「現にセンリ殿は、生命の胎動で〈ライフ・クラヴィーア〉を解放した。そして今、神器が『ざわめき』出している。この郷にある、〈ゲネラルパウゼ〉で唯一封じられなかった神器――〈ディバイン・フルート〉が、の」
「な……!? 神器がここに……!?」
エルランドが驚愕の声を上げる。
「そう。郷のものも一部しか知らぬ。外の者に知られれば、どうなるかは目に見えておるからの。弱まってはいるが、今も神器の力がこの郷を外部の者から守っておる。利己的かも知れんが、郷を生かすのが先代からの約束……。許しておくれ」
「いえ、そんな……。それより、私に話してしまって良いのですか?」
「もはや、隠しておいて良い状況では無い。先ほどの話では、ピリオド派の司教も神器を狙っておるようじゃ。奴らの真意は分からぬが……神器を軸とした歯車が、すでに回り始めておる」
オスカルバルデスはそう言って、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「あ……!」
センリが声を上げてエルランドの服の袖をキュッと掴む。
それはあの『東方支部』で司教ウォルフガングから強制的に触れさせられた〈音詠みの聖譜〉と全く同じものだった。
オスカルバルデスは、怯えるセンリをなだめるように微笑んだ。
「無理に感応させたりせんから大丈夫じゃよ。……これは、本来一対になっておる〈音詠みの聖譜〉の片割れ。先日、突然に反応を始めて驚いておったところじゃったが、なるほどピリオド派の司教が隠し持っておったもう一枚に呼応したんじゃな」
オスカルバルデスは「見てみなさい」とエルランドに聖譜を手渡した。
「エル、気をつけて……!」
エルランドが慎重に、膝の上に羊皮紙を広げる。
羊皮紙には大きくこの大陸と思わしき地形が描かれ、その上に横に走った直線が何段も引かれていた。
「これは云わば一種の地図のようなもの。二箇所、白い紋様があるじゃろ? こちらがお主らが解放した〈ライフ・クラヴィーア〉を指しておる。そして、こちらがこの郷の〈ディバイン・フルート〉じゃ」
聖譜の上を滑るオスカルバルデスの指を追っていくと、確かに描かれているクレフ大陸の地形と合致しているようだ。位置を示す紋様の他にも色々な文字や印が浮き出ているが、エルランドには読むことは出来なかった。
センリも首を伸ばすように聖譜を覗き込む。
あの時はとても禍々しいものに見えたが、今この片割れを見てみると、その紋様や描かれた図形は美しく、神々しい雰囲気を放っていた。
「センリ殿。聖譜には決して触れぬようにな」
「……! はわわ……!」
オスカルバルデスに言われ、センリは慌てて首を引っ込める。椅子から立ち上がり、エルランドの肩の後ろから恐る恐る聖譜を見下ろした。
「センリが解放した〈ライフ・クラヴィーア〉は無事なのでしょうか?」
「うむ。この聖譜上で未だ異変がないという事は、恐らく司教側もすでに解放された神器には手が出せないのかもしれん。そして……ここじゃ」
オスカルバルデスの指が再び動き、もう一箇所の紋様を指し示した。
そこには、今までの二箇所の白い流麗な紋様とは違い、角張った禍々しい黒印が浮き出ていた。
「この印は恐らく、封じられた神器。そして、この聖譜にこの位置が記されているという事は…………」
「……! 奴らも、この神器の位置を掴んでいるということですね」
オスカルバルデスとエルランドが目を見合わせで頷き合う。
「わたしがあの時『音詠みの聖譜』に触ったから……。ごめんなさい」
「センリ殿は悪くない。むしろ、このおかげで司教側の動きを察知することが出来たのじゃからな」
しゅんとうなだれるセンリに、オスカルバルデスが優しく語りかけた。
「眠りにつく神器は無垢な赤子のようなもの。その封印を、善き者が解けば善き力を、悪しき者が解けば悪しき力をこの地に満たす」
オスカルバルデスはそう言うと、
「その司教が善き心を持っているとは思えんのう……」
未来を案じるように目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます