第6話 産業都市〈レッジェーロ〉


「『音』には力がある」


 大陸の沿岸〈クレフ〉の地の民に於いて、それを疑うものはいなかった。

 大地と人々は〈神器〉の奏でる音の力によって守られ、人々もまた『音楽』を唄い、奏でることで〈神器〉や自然への感謝を絶やさなかった。

 このクレフの地を三つの国が分け合った有史以来、それは連綿と続いていた。

 神器の力で作物は豊かに実り、水は清く流れる。

 唄う人々は笑顔に満ち、皆、この平和は永久のものと思っていた。


 ――しかし、今から約百年前。

 クレフ北方の都市〈エバーグラッセ〉から、海を超えさらに北。極圏のブリザードの中に、空を焦がす炎と大地を激震させる衝撃と共にそれは現れた。

 半径数キロに及ぶ巨大な大穴。

 穴の深さは計り知れなく、底を見た者はいない。いや、そもそも、大穴そのものを見た者が殆どいないのだ。

 クレフ最大の領地を誇るテノン王国、その王都〈グラン=ディオーズ〉から派遣された、テノン、アルト、バッソ三国合同の大編成調査隊も、吹き荒れるブリザードと凍てつく不毛の大地に阻まれ、調査を終え無事王都に帰還したのは両手で足りるほどの人数だけだった。


 暗黒の大穴は、大陸に溢れる『音楽』を全て飲み込んだ。

 〈神器〉は次々と力を失い、街や人々の心から音楽が消え去っていった。

 作物は実りを失い、水は濁る。

 『音楽』を吸い込んだ大穴が代わりに吐き出したのは、〈アボイド〉と呼ばれる異形の者達。どこからともなく現れたアボイドは、次第に人々の生活を脅かしていった。

 さらに、時を同じくして南方から蛮族の侵略が始まった。


 戦わねば、死ぬ。


 楽器は全て鉄工所の火にくべられていき、人々は唄うことを忘れ、人心は荒廃する。

 〈神器〉の在処は禁忌中の禁忌。その場所を知る者は誰もおらず、やがて〈神器〉と『音楽』そのものが歴史の中に忘れ去られた。


 テノン王国領、東の大都市〈レッジェーロ〉も、かつては音楽に溢れていた。

 今は紡績工場や鋳造所が軒を連ね、一日で取引される財貨の量は王都に並ぶほどで、『産業都市』と呼ばれている。

 今、その〈レッジェーロ〉へと続く大きな街道を、二人の人影が歩いていた。

 行き交う馬車が砂埃を上げる。日は傾きかけ、もうすぐ夕暮れ時だ。


   ◆ ◆ ◆


 前を歩くエルランドが、馬車の上げる砂埃に口を手で覆うセンリを振り返りながら言った。


「大丈夫か? もう着くぞ」


 センリは口を手で覆ったまま、コクコクと頷いて返した。

 背の低いセンリには、乾燥した馬の排泄物が混じった砂埃はかなりこたえるようだ。


「この空模様じゃ、夜には一雨きそうだな……」


 エルランドがそう言って、遠くの空を眺める。確かに、山向こうの空を黒い雲が覆っていた。

 程なくして二人が到着したのは、街を囲む高い市壁の下だった。その市壁の大門は日没と同時に閉じられる。

 エルランドは門番の衛兵と二言三言交わすと、会釈をしてセンリとともに高い門をくぐった。

 途端、街の喧騒が二人を包む。


「わぁ……! 大きい街だね、エル!」


 先ほどまで口数の少なかったセンリが、目をキラキラとさせながら大通りの真ん中まで走って行く。周りを見渡すと、エルランドを振り返ってそう言った。

 通りを歩く人々が、変わった服装をしたセンリを物珍しそうに眺めながらすれ違って行く。


「一人でうろうろすると、はぐれるぞ」


 エルランドもセンリの後をゆっくりと追った。


(数年ぶりだな、この街も)


 行き交う人々。大通り沿いの商店の呼び込み。日の落ちる前だというのに賑わい始めている酒場。

 確かに、この街の活気には人の心を浮き立たせる何かがある。


「ねぇ、エル」


 センリがエルランドの近くに戻ってきて呼びかけた。


「どうした?」

「えっと……その。ありがとう。助けてくれて。お礼、まだ言ってなかったから……」


 そう言って、センリは照れたように下を向いた。

 エルランドは何か言おうとして口を開きかけた、が、センリの格好を見てそれをやめた。

 小さな黒い革靴は泥まみれで、服も土や草の汁で汚れてしまっている。

 頑張ったのは彼女も同じなのだ。その小さな身体で、必死に。


「……センリ。ちょっと、ここで待っていてくれ。すぐ戻るよ」

「え? あ、エル……!?」


 エルランドはセンリに言い残して待たせると、大通りの人混みの中に消えていった。



 しばらくすると、エルランドは一抱えの荷物を持って戻ってきた。


「待たせたな」

「? なに、それ?」


 センリがエルランドの抱える荷物を見ながら首を傾げる。


「気に入るかはわからないが……」


 そう言って、荷物の中から一つの品をセンリに手渡す。

 それは旅人用の丈夫なマントだった。この街の特産『レッジェーロ・ウィーヴィング』と呼ばれる実用性と装飾性を兼ね備えた製法で織られている。


「……くれるの……?」

「気に入らないか?」


 エルランドの言葉に首をぶんぶんと横に振って答えると、センリはエルランドからマントを受け取り、ぎこちない手つきでそれを羽織った。

 しかし、胸の前でマントを留めるブローチが上手くはめれないようだ。


「あれ? えっと……」

「ふふ。貸してみろ」


 エルランドはセンリの後ろに回ると、パチン、とブローチをはめた。

 蝶をかたどった小さな黄色いブローチだ。


「可愛い……」


 センリがそれを見下ろしながら呟く。


「それで、服も汚れないだろう」


 マントの着丈もピッタリだ。


(子供用が置いてあってよかった……)


 エルランドが内心ホッとしている間も、センリはマントを羽織った両手を広げて嬉しそうに眺めていた。

 エルランドがさらに革のショートブーツと肩掛けの鞄を手渡すと、それを受け取ったセンリは、二つをぎゅっと抱きしめてエルランドを見上げた。


「気に入ったか?」


 エルランドの問いに、センリはコクコクと首を縦に振り、


「ありがとう……。ずっと……、ずっと大事にする!」


 風にそよぐ花のような笑顔でそう言った。


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