第12話 知らない場所


「ふあ~……」


 センリが小さなあくびをすると、前で教典の一節を読み上げていた修道女が小さく咳払いをした。


「あ、ごめんなさい……」


 すぐに謝って俯くと、女性は教典の読み上げを再開する。

 センリは座っている木の長椅子の座り心地の悪さに落ち着かない様子でもぞもぞとしつつ天井を見上げた。ステンドグラスから色とりどりの光の帯が建物内に降り注いでいる。

 ここは敷地の中庭にある聖堂の中だった。中にいるのはセンリと、その前に立って教典を読み聞かせている女性、そして入り口に立つ二人の男性。皆、一様に質素な黒いローブを着ている。

 そして、センリも同じものを着ていた。朝起きると、すぐさまこれに着替えさせられたのだ。

 それからというもの、朝食と昼食以外ずっとこの聖堂で教典を読み聞かせられている。


(エル、遅いな……)


 もう昼もとっくに過ぎている。朝には会えるなんて言ってたくせに。

 センリは、エルランドはもう来ないのではないかという考えが頭によぎる度に、苦労してその考えを打ち消してきた。


「――天空母神はこの時おっしゃいました。『汝、いかなる時も――」


 目の前で読まれる教典は佳境を迎えているらしく、読み手の女性の声にも、にわかに力が入っている。だが、センリには何のことやら全く意味不明だし、興味も無い。

 そもそも自分がここの人間だと言うことも、センリ自身、未だに信じられていなかった。


「はぁ……」


 ばれないくらいの小さな溜息をつく。

 と、その時、数刻ぶりに聖堂の大きな扉が音を立てて開いた。

 センリがハッと顔をほころばせて振り向く。


「エル、遅い――」

「どうです、教典は思い出せましたかな?」

「あ……」


 そこにいたのは旅装束に身を包んだ彼では無く、ゆったりとした紫の司教服を纏ったウォルフガングだった。後ろには一人、男性の修道士を引き連れている。

 センリが呆然と黙っていると、ウォルフガングは近くまで来てから笑顔のまま首をかしげる。


「…………ごめんなさい」


 センリは何とかそれだけ絞りだすと、首を小さく横に振った。


「そうですか。大丈夫ですよ。特別な礼拝の準備が出来ました。これで貴方の記憶も解き放たれるでしょう」

「…………」

「さ、行きましょう」

「あ……。はい」


 センリはウォルフガングに肩を掴まれ、連れだされるように歩き始めた。


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