第10話 不穏の城


 次の日の朝早く、市門前。二人は教皇庁東方支部行きの二頭引き馬車に乗り込んだ。

 座席は六人分あったが、エルランド達の他に乗客はいない。


「では、行ってくる。何もなければ、明後日には戻ろう」

「わかった。気を付けてな」


 エルランドと、見送りに来たトレイスが二言三言交わす。


「トレイス……」


 馬車の窓から覗くように、センリが顔を出した。


「あん?」

「また、会えるよね……?」


 その願いは恐らくずっと叶わぬであろう事を、センリ以外の二人は理解していたが、


「バーカ、あたりめぇだ。大丈夫だよ。安心して行ってこい」


 トレイスはそう言って少し照れたように笑った。

 それがきっかけになったかのように馬車を牽く馬が小さくいななき、エルランドとセンリを乗せた馬車は土を蹴立てて走りだす。

 市壁が見えなくなった後も、センリは窓から乗り出すようにして街の方をずっと眺めていた。


 昼過ぎ、途中の小さな村で馬を交換すると、馬車はその日の夜に〈教皇庁・東方支部〉へと到着した。

 妙に風のざわつく、満月の夜だった。


   ◆ ◆ ◆


 月明かりに浮かぶ石造りの巨大な建物は、宗教施設というよりも砦のような威圧感を放っていた。

 門を抜け建物内に通されると、エルランドはそこで腰の剣を半ば強制的に預けさせられ、センリと二人、入ってすぐの部屋でしばらく待たされた。

 簡素な調度類の備えられた小さな部屋。

 建物自体はかなりの大きさだ。だが、まだ真新しい。

 それもそのはずだ。この〈教皇庁東方支部〉が建設されてからまだ数年しか経っていない。


 そもそも〈教皇庁〉自体が、テノン王国を中心に大きな勢力を誇る一大宗派〈ピリオド派〉の総本山として設立されたのがほんの数十年前なのだ。

 部屋の扉が軽く叩かれた。


「お待たせいたしました。こちらへ。司教様がお待ちです」


 ノックと共に入ってきた黒い簡素なローブ姿――〈ピリオド派〉の正式な修道服だ――の若い男性が、二人を部屋の外へ促す。


「わかった」


 エルランドが立ち上がると、その服の袖をセンリがきゅっと摘んだ。不安の色濃く滲んだ顔でエルランドを見上げている。


「……センリ。さ、行こう」


 エルランドにも迷いがなかったといえば嘘になる。しかし、それをどうこうする動機を持ち合わせていないのも、また同様だった。


 長い廊下を通り案内されたのは広く豪奢な部屋だった。赤い絨毯が敷かれ、重厚な木製の書棚が壁際に並んでいる。

 部屋の中央奥を大きな紫檀のデスクが占有しており、そこに一人の男性が座っていた。

 少し頬のコケた痩せ気味の男。身に纏うゆったりとした紫色の司教服に、金糸の刺繍が鮮やかに入った白い帯を首から垂らしている。

 その男は、二人が部屋に入ると柔和な笑顔で立ち上がり二、三歩近づいてきた。


「お待ち申しておりましたよ。私は司教のウォルフガングです」

「エルランドと申します」


 エルランドもそう言って深々とお辞儀をした。エルランドの背中に隠れていたセンリも、慌てて頭を軽く下げた。


「あ、センリ……です」

「ふふ、もちろん知っていますよ。エルランド殿、ここまでセンリさんを連れてきて頂き、本当にありがとうございました」

「いえ、当然のことで御座います。ときに……、大変失礼な質問で恐縮ですが、センリとこちらとはどのような……? センリは何かのショックで記憶を失っておりますゆえ」


 下げた頭を少しだけ上げて、司教の顔色を伺うようにエルランドが尋ねた。


「ほう。記憶を」


 司教ウォルフガングはさして驚いたような様子もなく言って、言葉を続けた。


「もちろん、センリさんは我々の大事な『家族』として、共に天空母神へと日々の祈りを捧げていた身でありますよ」

「左様で御座いますか……。失礼いたしました」


 エルランドはそう返しながら、ちらりと背後のセンリを見た。センリは無言のまま緊張した表情でウォルフガングを見ていたが、エルランドの視線に気づくと、その目を見てふるふると小さく首を横に振った。

 それに気付いたウォルフガングは、


「なに、再び天空母神への祈りを捧げれば、失った記憶も戻りましょう。なにはともあれ、今日はもう遅い。細かいことはまた明日にしましょう」


 そう言って、『ぱん、ぱん』と手を二度打ち鳴らした。

 すると、修道服姿の男女が部屋に入ってきて、深々と頭を垂れた。女性は黒いローブと、頭にはウィンプルと呼ばれる布を被っている。


「センリさんを寝室へ案内してあげなさい。エルランド殿も、今日は泊まっていかれますな?」

「では、お言葉に甘えて」


 エルランドが礼を述べると、先ほどの男女が二人のそばまでやってきた。女性がセンリの肩に軽く触れる。


「さ、センリ様、こちらへ」


 そう言ってセンリを連れて扉の方へ歩き出した。


「あ、エル……! ま、待って、エルと一緒が……!」

「まぁ! なりません。天空母神に仕える身として殿方と同室など……」


 センリは肩を押さえられながら、必死にエルランドの方を振り返る。


「センリ、大丈夫だよ。また朝には会えるさ」


 エルランドが諭すように言うと、センリは不安げに小さく頷いて扉の向こうに消えていった。

 ぱたん、と小さな音を立てて扉が閉まると、部屋にはエルランドと司教ウォルフガング、そして先程の修道服の男の三人だけとなった。


「……では、貴方様はこちらへ」


 先ほどの男性がもう一方の扉の方へとエルランドを促す。

 エルランドは一歩足を踏み出してから、ちらりとウォルフガングの方を振り返った。

 彼は変わらぬ柔和な微笑を浮かべ、


「よい夜を」


 穏やかな声で、そう言った。


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