第42話 男は神となる
階段を登りきった先は、広い岩棚になっていた。
岩棚の回りは切り立った崖で、前方眼下には〈フィンランディア〉の西側が広がっている。
岩棚の中央あたりで、ウォルフガングとゴルドベルグが睨み合っていた。
ウォルフガングは片手に血塗れの〈音詠みの聖譜〉を握りしめている。
彼のそばには巨岩を削り出したような大きな祭壇が立っていて、それと一体になったように神器〈アース・ドラム〉が鎮座していた。
黄金に輝く円形のフレームに分厚い動物の皮が張られている。ピンと張られた皮には、流麗な紋様が渦を巻くように描かれていた。
あの〈ライフ・クラヴィーア〉同様、赤黒い鎖に呪縛されている。
「ウォルフガング!!」
エルランドが叫ぶ。
「神器は……! 神器は俺のものだ! ハハ、ハハハハハハ!」
気の狂った嬌声を上げながら、ウォルフガングが〈音詠みの聖譜〉を掲げる。
それと同時に、ゴルドベルグの大剣が突き出された。
「っ……!」
センリが思わず目を伏せる。
ゴルドベルグの大剣は、ウォルフガングの胴体を半ばから両断した。
ウォルフガングの上半身が宙を舞い、神器の目の前に転がる。
「嫌だ……。死にたくない……。まだ……」
上半身だけで、血塗れの〈聖譜〉を必死に神器に掲げる。
――〈聖譜〉が光った。
燃え上がる憎悪のような紫黒の炎の光。
膨れ上がる聖譜の炎が神器を包み込み、赤い呪縛を焼き溶かしていく。
同時に、大地を揺るがす重い打撃音が全員の耳を打った。
全てのものを支配する、魂の脈動。
地獄の底から響き渡るような重低音と、燃え上がる炎の熱量が視界を圧迫する。
――――その中心にウォルフガングが浮揚していた。
千切れたはずの半身も、負っていた傷も、全て何事もなかったかのように。
いや、それ以上に、憎悪の炎を後光のように纏ったその姿は、迸るエネルギーに満ちあふれていた。
エルランド達はその様子を、ただ呆然と見守っていた。
「なんということ……」
フィーネが青ざめた顔で呟く。
「これが……力か……。素晴らしい」
ウォルフガングが両手を大きく広げ、天を仰ぐ。
ゴルドベルグが、浮遊するウォルフガングに向かって全ての武器を振りかぶりながら鋭く跳躍した。
「実に清々しい気分だよ」
ウォルフガングはそれに対して動じた様子も見せず、すっと片手をゴルドベルグに向けた。
跳躍したゴルドベルグの身体が、時を止められたように空中で静止する。
ウォルフガングが開いた掌をグッと握ると、ゴルドベルグの巨体がたちまち炎に包まれた。
「力は、力のために……」
ウォルフガングの声が響く。
大地が揺れるほど爆発的に膨れ上がる黒い炎。
「きゃあっ……!」
センリが腰を抜かすように倒れ込む。
「くっ……!」
エルランドはセンリを背中に庇いながら、腕で顔を覆った。
やがて炎が収まる。
「冗談きついぜ……」
トレイスが空を見上げて洩らした。
司教は前方の空、傾きかけた夕陽を背に神々しいとも言えるような姿で存在していた。
人ならざる威容。ゴルドベルグの巨体よりも更に二回りは大きい。
聖なる後光を、全身に纏った金色に輝く衣が反射している。
肩の前と後ろに二対の腕が伸びていた。前方の手には〈錫杖〉、〈経典〉を握り、後方の手は〈嵐〉と〈光輪〉を帯びている。
その神々しい姿からは、何ぴとをも畏怖させる強烈な威圧感が放たれていた。
「あ……あ……」
センリはエルランドの背後で尻もちをついたままカタカタと震えていた。
「トレイス、フィーネ! 引こう! このままでは――!」
エルランドが叫ぶ。しかし、彼自身ですらその言葉が無為に思えた。『アレから、どこに、どうやって逃げるのだ』と。
ウォルフガングは悠然と辺りを見渡すと、眼下遠くの海に向かって錫杖を一振りした。
「っ……!」
衝撃。
突如、海面に大爆発が起き、海水が信じられない高さまで巻き上げられる。
常軌を逸した威力だが、ウォルフガングは不満そうに首を捻った。
『まだ完全には馴染まんか……』
ウォルフガングの声が、まるで神の啓示のごとく天から響いてくる。
それを聞いて、フィーネが何かに気が付いたように、ハッと神器を見た。
「そうか……! そうだわ!」
確信したようにエルランドに告げる。
「エルランド様! 神器はまだ完全に奴の手に堕ちてはいません! 〈聖譜〉だけでは不完全なんだわ……! センリさんがいれば、今ならまだ取り返せます!」
「何だと……!? しかし……!」
全員の視線がセンリに集まる。
「わたしが…………」
一瞬の沈黙の後、センリは涙を滲ませていた目を拭って立ち上がると大きく頷いた。
「わたし、逃げない! 闘う……!」
トレイスが愉快そうに口笛を短く吹いた。
「だとよ、隊長。……決まりだな」
そう言って、〈賢人の弓〉を構える。
エルランドは、センリが目に涙を溜めながらも決然とウォルフガングを睨みつけるさま見て、己を恥じるように小さく笑うと、腰から勢い良く〈下弦の月〉を抜いた。
「センリ、トレイス、フィーネ。……必ず神器を護るぞ!」
エルランドたちは神器に――ウォルフガングに向かって一斉に駆け出した。
ウォルフガングは四つの腕を広げてそれを迎える。
『来るか。人の子よ……我が腕に抱かれ、永遠の安息を得るがいい』
ウォルフガングから強い輝きが発せられたかと思うと、その眩い光に一瞬で視界が奪われた。
何も見えない。影すらも掻き消すような光。
再び響き始めた神器の重低音が大気を激震させる。
「クソッ! なにが始まりやがる!?」
「エル……!」
「センリ、フィーネ! 私とトレイスに掴まれ!」
上下の感覚すら消えていく。
エルランドが叫ぶ声が響いたのを最後に、ますます激しくなる神器の轟音が全ての音声を掻き消していった。
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