第29話 司教宛の書状
◆
「……くそぉ!」
ウォルフガングは両手で持った教皇庁からの書状をくしゃくしゃに握りしめると、デスク脇のくずかごに投げ入れ、そのかごを思い切り蹴り飛ばした。
ウォルフガング一人の執務室に、跳ね跳んだくずかごの軽い音が響く。
「教皇庁め、どこからこちらの動きを嗅ぎつけおった……!?」
司教宛に送られてきた書状には、
『――〈少女〉は、こちらで対処する。こちらから使いを出すので〈音詠みの聖譜〉を即時渡されたし。貴殿の今回の勝手な行動は重大な背信行為だ。処遇は追って連絡する』
と、簡潔に書かれていた。
処遇……。恐らく良くて僻地へ左遷、最悪の場合、『ベルガマスク更生施設』送りだろう。
最悪の事態を想像して、ウォルフガングは小さく身震いをした。
かつて、同僚にあの施設に送られた者がいた。数年後に施設から出てきたそいつの廃人同然の姿は、今でも脳裏にこびりついている。
「……っ!」
ウォルフガングは恐怖と怒りに任せてデスクの上の物を両手でなぎ倒した。羽ペンやインク、書類が執務室の床に散乱する。
「どうすれば……。考えろ、考えるんだ……!」
椅子に座り頭を抱える。
「まさか〈聖譜〉のことまで知られていたとは……!」
と、そこであることに気が付いた。
「……『聖譜を渡せ』……?」
自分を処分してからゆっくり確実に回収すればいいものを、奴らはわざわざ使いを出してまで急いで手に入れようとしている。
もしかしたら、教皇庁も聖譜に示された場所までは掴んでいないのでは無かろうか。
いや、そうだ。そうに違いない……!
あの黄金絶島〈フィンランディア〉の事を知っているのは、まだ自分だけなのだ。
「終わらんぞ……。黙って終わるものか! 神器の力さえ手に入れてしまえば、教皇庁など……! そうだ、むしろチャンスだ。この時の為に、どれだけの準備をしてきたか!」
教皇庁の職員を買収して得た情報で、〈神器〉の恐るべき力と、それを教皇庁が利用しようとしているのを知った。
それからというもの、裏の世界の情報網と金を駆使して神器にまつわるであろう噂話からアイテムまで片っ端から入手していったのだ。金など、信者どもから幾らでも搾り取れる。
殆どがとんだガセネタだらけだったが、その中に紛れ込んでいたのがあの〈音詠みの聖譜〉だった。
まさに僥倖と言えよう。
「私には聖譜がある……。先んじて神器の力を手に入れてしまえば、教皇庁と言えども…………いや、私が教皇の座に就くことも夢ではない!」
まるでそれは約束された栄光の未来のように思えた。
そうと決まれば、急ぎ〈フィンランディア〉へ向かわなくてはならない。
「アイネ! いるか!?」
執務室にある二つの扉の片方に向かって叫ぶ。その扉の先は小さな前室になっており、司教補佐であるアイネは基本的にそこに詰めている事が多い。
ところが、今は席を外しているのか反応がない。
苛つきながら扉を開けようとしたウォルフガングは、はたとその動きを止めた。
「待てよ……。奴が密告した可能性は捨てきれん。しかし…………」
顎に手を当て部屋の中を歩き回りながら考えをまとめる。
〈フィンランディア〉は、アボイドの巣窟との噂を聞いたことがある。だとすれば、アイネの剣技が必要になってくるが……。
「……ふん。何がアボイドよ。剣と鎧の時代はもう終わったのだ」
ウォルフガングは鍵の掛かった机の引き出しから『黒い筒』を取り出すと、目の前で握りしめた。
ずっしりとした黒鉄で作られたその筒は、グリップのように曲がった持ち手とボディ部分に複雑な機構を備え、各部は銀のプレートで補強してある。
東方で生まれた『火薬』という技術を応用して作られた『銃』と呼ばれる武器らしい。
裏社会で秘密裏に開発が進められている物の、これはプロトタイプにあたる。まだまだ未知の技術だが、いつか量産が成功すれば現代の戦争は一変するだろう。
事実、こっそりと行った試射では、分厚いプレートメイルをやすやすと貫いてみせた。
これならば、アボイドとも十二分に渡り合える。
「だが、神器の力と比べれば児戯よ。神器は必ず私が手に入れるぞ……!」
妄執に取り憑かれたような光を瞳に宿しながら、ウォルフガングはそう呟いた。
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