第30話 下弦の月
◆
エルランドはふと下を見下ろして、その眼もくらむような高さについ足を止めた。
「何という大樹だ……。まだ梢が見えん」
エルランドは一人、宝剣〈下弦の月〉を手に入れるため、神器〈ディヴァイン・フルート〉の元へ向かっていた。
賢人の郷からやや離れた深層林――『聖域』と呼ばれる場所に聳える大樹『イオニア』。
その頂に作られた祭壇に、神器はあるという。
眼下、大樹の麓ではセンリやトレイス達が彼の帰りを待っているはずだが、今見下ろしても見えるのはどこまでも広がる淡い雲海だけであった。
遠く、山の尾根を眺める。軽く息をつくと、エルランドは再び太い幹を登り始めた。
複雑に絡み合った太い幹とそれを覆うツタを頼りに登っていく。
身軽なエルランドにとってもそれは中々に過酷な行程だったが、まるで〈イオニア〉から溢れ出る力を全身で吸収しているように、疲労を感じることは無かった。
「長も『ただの大樹ではない』と言っていたが、それにしても凄まじい生命力だ……。この霊樹とソラネルの護りがあったのなら、〈ゲネラルパウゼ〉でここの神器が失われなかったのも頷けるな」
それから休憩をすることもなく、エルランドは大樹を登り続けた。
そして、数刻は経っただろうかという頃、エルランドは妙な感覚に襲われ、はたと足を止めた。
「…………?」
登りかけの体勢で眺める空。少しだけ傾いた太陽は、未だしばらく雲海の果てに沈みそうに無い。
「……いかねば」
もやもやと立ち込める違和感を振り払うように、エルランドは歩を進めた。
それからしばらくして、エルランドは辿り着くことが出来ぬのでは無いかとすら思われた〈イオニア〉の祭壇前に到着した。
「…………」
悠久の時を経た太古の遺跡のような石造りの建造物が、絡み合う大樹の幹や枝と殆ど同化するようにひっそりと佇んでいる。
天井は無く、広い床面の上には過去に崩れ落ちた石柱(あるいは彫像かも知れない)の残骸が規則的に並んでいた。
「かなり古いな」
恐る恐る足を踏み入れると、風化しているかに見えた石の床はエルランドの体重をしっかりと支えた。
遺跡の中心には精緻な彫刻が施された石の祭壇があり、その上にはまるで自らが輝きを放つかのような白銀の筒――神器〈ディヴァイン・フルート〉が鎮座していた。
そしてその祭壇の足元には、弧を描くような細身の刀身を持った刀剣が剣掛台の上に安置されている。
「あれが〈下弦の月〉か……」
エルランドはゆっくりと祭壇近くまで行くと、神器の前で胸に手を当て跪いてから慎重に宝剣に手を伸ばした。
よもやと思うが、罠などが仕掛けられている可能性もある。
細心の注意を払いつつ剣掛台から宝剣を持ち上げると、何のことは無く、剣はあっさりとエルランドの手中に収まった。
あたりの様子を伺うが、特に変化は感じられない。
(何も起きない……。ただの剣、と言うことか……?)
それでも、武器のないエルランドにとって有り難いことには間違いない。
エルランドはもう一度祭壇に一礼すると、引き返すべく立ち上がった。
その時。
「むっ……」
神器が反射した陽の光がエルランドの目をちらりと眩ませた。
強い違和感。
ここに来るまでの途中、霞のような雲海を通り抜けた辺りから感じていた不可解さ。
この空間は、やはり何かがおかしい。
「……そうか!」
エルランドは果てしない雲海と空を見回して愕然とした。
「太陽が……動いていない……!」
空に浮かぶ太陽は、登り始めたときから殆どその位置を変えていなかった。
しかも、遺跡から見渡す遠くの稜線には、エルランドもまるで見たことのないような恐ろしい高さの峻険な山々が連なる剣のように聳えている。
「ここは……どこだ……!?」
その瞬間――。塗りつぶすような暗闇が、遺跡ごとエルランドを包み込んだ。
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