番外編『優しい気持ち』

第1話


「ふんふ~ん」


 センリは上機嫌そうに鼻歌を歌いながら、楽都ヴィヴァーチェの通りを歩いていた。

 暖かい日差しを、白い石畳が反射している。

 この街に暮らすようになってから、おおよそ一年が経った。

 この世界で『帰る場所がある』ということが、今でもたまに不思議に感じる時がある。


「……っと。ここだ」


 大通り沿いの小さなベーカリーショップ。

 今日は、久々にトレイスが戻ってくる。

 彼はここのジャムパンが好きだったから、買っていってあげよう。


「こんにちは!」

「おや、センリちゃん。こんにちは」

「イチゴのジャムパンを三つください」

「イチゴジャム、三つね」


 代金を手渡して紙袋を受け取る。

 ずっしりと重量感があるのにふわっとジャムが香って、ここのジャムパンは絶品なのだ。

 ジャムパンの入った紙袋を右手に下げて、さらに機嫌良さそうに歩いていると、後ろから誰かが走り寄る気配がした。


「ふ~んふ~。ふ……?」


 鼻歌を歌いながら振り返ると、何かが思いっきりぶつかってきて思わず倒れ込んでしまう。


「きゃっ……!」


 ぶつかった何かはセンリを一顧だにせず駆け抜けていった。後ろ姿を見るに、子供だ。

 擦り切れ、薄汚れた服を来た男の子。


「もうっ! 何なの!? ……あれ?」


 立ち上がってから気付く。ジャムパンを入れた袋が無い!


「な、なな、なんで!? さっきの子!?」


 慌てて子供が走り去って行った方を見ると、その男の子がちょうど通りから路地裏に入るところだった。ベーカリーの茶色い紙袋を持って。

 典型的なひったくりだ。


「ま、待てこのーー!」


 センリも慌てて少年の後を追って駈け出した。




 ヴィヴァーチェは比較的新たに整理された区画が多く、路地裏もさほど入り組んでいない。

 センリはその路地裏を走り回って少年の姿を探していた。


「も~! どこ行ったのかしら……!?」


 走るのには自信がある。かつて、エルやトレイスとの冒険で、さんざん走らされたからだ。

 すると、先の曲がり角にチラリと少年の姿が見えた。

 まだ本当に子供だ。五、六歳くらいだろう。

 建物の影に座って、もぞもぞと何かしている。きっとジャムパンを食べているに違いない。

 センリは気付かれないようこっそりと近づくと、突然前に回って声を掛けた。


「こらあっ!」

「ひっ!?」


 少年の肩がビクッと動く。直後、少年のズボンが少しずつ染みになっていった。


「あ……。あちゃー……」

「うえ……うえぇぇ……!」


 ジャムパンを片手に泣き出す少年を、センリは何とかなだめようとする。

 何でパンを盗まれた自分がこんな罪悪感を感じなければならないのか分からないが、仕方がない。


「ごべんなざいー! ひっく……うぇっ……!」

「分かったから、泣かないの。ね? もう怒ってないから」

「うっ……うっ……。ほんと……?」


 徐々に泣き止む少年に、センリも少し胸をなでおろす。


「ほんと。もうその一個は上げるから、残りは返してね」


 センリがそう言って微笑むと、少年は申し訳無さそうな、しかししっかりとした意思を持って首を横に振った。


「……? 何で?」

「これは、チビ達にあげないといけないから……」

「チビ達?」


 少年はセンリの目を真っ直ぐ見て頷いた。


「……とにかく、服を洗濯しないと。お家は?」


 少年は黙って立ち上がると、路地の奥を指差した。




 センリが案内されたのは、裏通りにある孤児院だった。

 小さな民家を改造した院で、玄関には小さな木製プレートで『フリューゲル孤児院』と下げてあった。

 貴族や市民からの寄付金で成り立っている孤児院だろう。


「お邪魔します……」


 少年に連れられ中に入ると、妙齢の女性がセンリの姿に驚いて持っていた洗濯物を落とした。


「――――なるほど、そんなことが……。本当にすみません……。このパンはお返し致します」

「あ、いえ。いいんです。何だか、あの子も必死だったので……」

「それはいけません。そうやって少しずつタガが外れていくことが、一番危険なんです」


 きっぱりとセンリにジャムパンを返す女性。顔立ちの整った美しい女性だが、どこか色濃い疲れが滲み出ているようだった。

 院内では男女八名の子どもたちが暮らしているらしい。

 皆、親に先立たれたり、あるいは院の前に捨てられていたりと、天涯孤独の身のようだった。

 センリと女性が話している部屋の扉の隙間から、子どもたちが顔を連ねて覗き込んでいた。

 好奇心と恐怖の入り混じった瞳。

 センリが手をひらひらと振ると、ぴゅっと扉の影に隠れてはまたすぐに覗き込む。


「すみませんね。やんちゃな子が多くて」


 苦笑しながら女性が言う。


「いえ、そんな……。可愛いですね」


 本当に、そう思った。どんな境遇であっても、彼らの瞳はきらきらと輝いている。

 守らなきゃいけない。そう純粋に思った。


「あ……。そっか」


 その時、あることに気が付いて、センリがつい声を上げた。

 女性が不思議そうに問い返す?


「どうしました?」

「あ、いえ。なんでも……」


 そうだ、きっとあの時の――わたしと初めて会った時のエルランドもこんな気持だったのかもしれない。

 ふと、視界の端でテーブルにしては妙な形をしたものが目についた。


「あの……。あれって、もしかしてピアノですか?」

「あ、ああ。はい。昔、貴族の旦那様から寄付していただいたんですが、当然、誰も弾けませんので……」


 恥ずかしそうに苦笑して言う。


「弾いてもいいですか?」

「え? あ、はい」


 女性が頷くと、センリはピアノの前に移動して椅子に掛けた。

 被せてあった布を取り、蓋を開ける。


「……ねえ。お姉ちゃん弾けるの?」


 気がつけば、センリの周りに子どもたちが集まっていた。


「ふふ。ちょっとね」


 そう言って、引き始める。

 子犬が踊るような、可愛らしいワルツ。

 センリの指が鍵盤の上を動くたびに、子どもたちから「わぁ……」と小さな歓声が上がった。

 わたしはエルのように誰かを剣で守ったりは出来ない。けど、こうして皆を幸せな気持ちにすることは出来るんだと思った。少しずつ、小さな幸せでいいんだって。





「あの……。よかったら、またピアノ、弾きに来て下さい」


 女性がそう言ってペコリと頭を下げる。


「はい。必ず!」


 センリはそう返して同じく頭を下げると、孤児院の前を立ち去った。

 院の玄関から手を振る子どもたちに、何度も手を振り返しながら。

 大通りに戻ると、人の活気と暖かい日差しがセンリを包んだ。

 『エルランド楽譜専門店』の階段をトントン、と登る。

 ジャムパンは一個減ってしまったけれど、残りの二個をエルとトレイスにあげればいい。

 センリが元気良く扉を開けると、カウンターに座るエルランドが微笑んだ。


「おかえり」

「ただいま!」



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エターナル・ライン ~狐人と少女の物語~ 武家諸ハット @giganeeet

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