第32話 神器〈ディバイン・フルート〉


 真の暗闇の中で、右手に持った〈下弦の月〉の感触だけははっきりと伝わってきた。

 自分の身体は、どうやらしっかりと存在しているらしい。

 そして視界の先には、神器〈ディヴァイン・フルート〉が浮かんでいた。この暗闇の中、いやにはっきりと見えるその姿は、神秘よりもむしろ畏怖を感じさせる。


「この空間は一体……」


 手探りに神器の元へ近寄ろうとした瞬間――。


「……っ!?」


 金属が断裂するかのような破壊的な高音が、エルランドの鼓膜を殴りつけた。


「くおっ……!」


 折り重なる攻撃的な爆音が脳を痛めつける。頭を押さえながらたたらを踏んだ。

 フィエール族の鋭い聴覚が、その苦痛をより苛烈なものとする。

 恐ろしい音の波はみるみるうちに激しさを増し、エルランドは苦しみで上げる自分の声すら聞こえなくなっていった。麻痺しかけた聴覚は、それでもなお鼓膜と脳に苦痛を与える。

 金属質な超高音に混じって、『ピシ、ピシ』とヒビが入るような音が鳴り始めた。

 〈下弦の月〉を杖代わりに、何とか立ち上がる。


「く……! 今度はなん――うおっ!?」


 一際大きく『ビキッ』と音が鳴ったかと思うと、暗い紫の光の筋がエルランドに襲いかかった。

 際どいところで身を躱す。

 暗紫の光刃はかまいたちのようにエルランドの肩をかすめて、後方の暗闇に溶けていった。


「ち……!」


 エルランドは暗闇と轟音の中、肩を裂かれた激痛と流れる血の生温い温度を感じた。

 傷は浅い。しかし、もし直撃すれば……。

 とにかく、今、自分は『何か』から攻撃を受けているらしい。

 『ビシ、ビシ』とヒビの音が四方八方から連続して聞こえてくる。


「……まずいな」


 エルランドが〈下弦の月〉を抜き放ったのと、前後左右から暗紫の光刃が襲いかかったのは同時だった。

 前方に跳躍しつつ、前からの光刃を身をかがめて避ける。

 体をひねるように抜剣。後ろからの光刃にその刀身をぶつける。


「ハッ……!」


 しゃらり、と抜き放たれた〈下弦の月〉の弧を描く刀身が光刃に叩きつけられると、光刃は砕け散るように霧散した。どうやら剣で防ぐことは可能らしい。

 転がるように受け身。そのまま暗闇に浮かぶ神器の方へ駆け出す。

 この攻撃が何なのかは分からないが、この空間に存在するのは自分と神器だけ。ならば、現状を打開する『何か』は神器にあるはず――!

 駆け出したと同時に、八方から光刃が襲いかかる。


「ぬぅっ……!」


 跳躍、剣撃。

 着地と同時に、再び光刃が迫り来る。

 依然鳴り響く攻撃的な爆音に、距離感や身体の感覚が狂っていく。


 疾駆、転身、斬撃。


 躱しきれない光刃がエルランドの身体を少しずつ斬りつけていく。

 神器に近づくにつれ、暗紫の光刃の攻撃は苛烈なものとなっていった。

 神器はもうすぐ目の前だ。しかし、これ以上前に進めそうに無い。

 もはや、常に八本近くもの光刃がエルランドを攻め立てているような状態だ。


「フッ……! アァッ!」


 三六〇度から明確な殺意を持って襲いかかる光刃を、エルランドは恐るべき身のこなしと体術でいなしていく。

 しかし、その身体は大小の傷にまみれ、出血からか次第に手脚の感覚も鈍くなりつつあった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る