第38話 上陸! 黄金絶島〈フィンランディア〉
◆
エルランド達が上陸したのは、島の東側の入江だった。
太陽が中天に登るまでまだだいぶ時間がありそうだ。
入江の砂浜にはエルランド達が乗ってきた小型ボートが乗り上げている。
本船はすでに岸を離れ、待機場所の沖合に向かっていた。
「きれいな所……」
白い砂浜と穏やかに寄せる透き通るような波を見て、センリがひとりごちる。
センリの足元を、小さなヤドカリがよちよちと歩いていた。
「ソラネルの資料では、この島の神器〈アースドラム〉は島の中央にあるようです」
フィーネがそう言って指差した先には、島の中心に聳える山があった。正確には分からないが、かなりの高さだろう。
中腹からは切り立った岩山になっていて、とても登れそうには見えない。
「どうやって行くの?」
「南側の洞窟を通って祭壇へ行くことが出来るはずです。行きましょう」
フィーネはそう言うと先陣を切って島の内部へと足を踏み入れていった。
岩壁に囲まれた入江の先は鬱蒼とした森になっていた。
長い間人の踏み入ることのなかった森は濃密な草と土の香り、そして様々な生物の気配が充満している。
「センリ、離れないように」
エルランドの言葉に無言で頷くセンリ。
オスカルバルデスはこの島を『アボイドの巣窟』と言っていた。気を抜いていたら、いつ襲われるか分からないのだ。
「フィーネさん、あんたもな。そうだ……コイツを持っとけよ」
トレイスがそう言って腰から小ぶりなナイフを抜いて鞘ごと差し出す。
しかし、フィーネは微笑を浮かべながらそれを差し返した。
「お気遣いなく。自分の身は自分で守れます」
「はあ……」
トレイスが困ったように肩を竦めると、エルランドが苦笑しながら口を開いた。
「トレイス、彼女は実はソラネルでも数少ない『読譜』の使い手なんだよ」
「どくふ……? んだよ、それ」
「ソラネルに伝わる、門外不出の恐るべき技さ。彼女の持つ本……〈ソラネルの総譜〉には、かつての神器の『奇跡』の証拠が記録されていてな。彼女には生まれつきそれを読み解き、再現する才能が……」
そこでふと、エルランドが足を止めて言葉を切った。センリの肩を掴んで、自分の背中に隠すように移動させる。
「……? エル?」
センリが怪訝そうに尋ねる。
「……説明は後にした方が良さそうだな」
「ああ。……危ねえ!」
「きゃっ……!」
トレイスはそう答えると同時に隣に立つフィーネの腰を抱えて倒れ込むように転がった。
直後、フィーネが立っていた地面を何か鞭のようなものが鋭く抉る。
「ハッ……!」
エルランドが〈下弦の月〉を残像が残りそうな速さで抜刀し斬り上げる。
刃が何かを弾く音が響いた。
「トレイス、上だ!」
「早速出て来やがったな……!」
立ち上がったトレイスが背から弓を取る。
彼らが仰ぎ見ているのは、十五メートルほど離れた場所に立つ大きな樹木の枝上だった。
「な、何あれ……!」
その視線の先に『いた』ものを見て、センリが息を呑む。
毒々しい真っ赤な色をした大きな花。花弁の根本の瘤から鈍い金色の『鎖』がまるで蔦か触手のように幾本も生え、それをウネウネと動かしながらまるで動物のように樹上にしがみついている。今の攻撃も、あの鎖を操ったものだろう。
「あれもアボイド!?」
「そうだ。……来るぞ!」
「センリ、フィーネ! 下がっとけ! ……うおっと!」
アボイドからぶら下がっていた鎖がたわんだかと思った直後、空気を切る音とともに鎖がトレイスへと襲いかかった。
狙いがやや外れた鎖は上半身をのけぞらして避けたトレイスの真横を通り、近くの樹の樹皮に大きな傷をつけた。
センリが小さな悲鳴を上げる。
「センリ、隠れていろ! フィーネ、センリを頼む!」
「はい! センリさん、こっちに!」
センリはフィーネに手を引かれ、駆け足で離れていく。
アボイドはトレイスに狙いを定めたのか、再び金色の鎖で彼に襲いかかる。トレイスは危ういところでそれを横に転がって避けた。
「ッ……!」
体勢を崩した所に、頭上から間髪をいれず何本もの鎖が高速で迫る。
「チッ……!」
「フッ!」
エルランドは風のように躍り出ると、雷光のような鋭い剣閃で全ての鎖を弾き返した。
「鈍ってるんじゃ無いか? トレイス」
「やかましいわ」
背中越しに言うエルランドにトレイスはそう返すと、身体を膝立ちに起こして矢筒から矢を抜き、流水のように滑らかな動作で弓に番えた。
真っ白な〈賢人の弓〉が、きりきりと軋む。
『グロロロロ……』
痰が絡んだような不快な鳴き声を上げながら、アボイドが再び鎖をウネウネと持ち上げる。
今にも鎖が襲いかかるという瞬間、トレイスが引き絞った矢を放った。
風を切りながら飛んだ矢は、吸い込まれるようにアボイドの花弁の根本にある瘤に突き刺さった。
アボイドの鎖がピタリと動きを止める。
アボイドが断末魔のような鳴き声を上げた後、鎖はそのまま力なく地に落ちた。
「……終わったか」
エルランドが息をつきながら剣を鞘に納める。
トレイスは弓を背中に背負いながら、カッカッカ、と笑った。
「ま、こんなもんよ。中々、骨太なアボイドだったがな。おーい、センリ! フィーネ! もう戻って――」
「待て!」
エルランドが手を上げて止める。
「アボイドの様子が……」
「あん?」
突き刺さった矢で木の幹に磔のようになっていたアボイドの全身が、ぶるぶると震えていた。
まだ生きている、と言う感じではない。むしろ……。
次の瞬間、花弁の根本の瘤が破裂した。
こぶし大の何か――恐らく『種子』が周囲に大量に撒き散らされる。
「お、おいおいおい……」
トレイスが引き攣った顔で洩らすのも束の間、ものの数秒でガサガサと辺りの草が揺れだしたかと思うと、
『グロロロロ!』
と、同じ植物型アボイドが現れ始めた。
先ほどよりずいぶん小型だが、しっかりと金色の鎖で地面に立ち、真っ赤な花を持ち上げている。
「あの瘤が種鞘だったようだな」
「……俺のせいかな……?」
「ノーコメントだ」
やや離れた木の幹から様子をうかがっていたセンリは、エルランド達の周囲の異変に気付き声を上げた。
「な、何か大変なことになってるよ! 倒したと思ったのに……!」
隣りにいたフィーネも眉根に皺を寄せていた。
「一体程度ならエルランド様の敵では無いと思いますが、あの数では……射程の短い剣は不利でしょう」
「えぇ!? ど、どどど、どうしよう……!?」
立ち上がって駆け出しかけるセンリの腕を掴んで、フィーネが立ち上がった。
「微力ながら、私が」
「あ、フィーネさん……!? 危ないよ!」
フィーネはセンリの制止も聞かず、小走りに二人の元に向かっていった。
新たに生まれたアボイド達は、エルランド達を敵と認めたのか、徐々に二人の方に向かってゾワゾワと行進しはじめた。
「これは骨が折れるぞ」
「逃げるか?」
「……時間は惜しいが、仕方あるまい」
二人がジリジリと後退しようとし始めたとき、
「エルランド様!」
二人のもとにフィーネが駆け寄ってきた。
「おい、こっちは埒が明かねぇ! さっさと逃げるぞ」
「いえ、ここは私にお任せください」
「『読譜』の力を使うのか? しかし、あの数では……!」
前方では生まれたてのアボイドの群れがいよいよ近づこうとしている。あの小さな身体だが、もう射程圏内に入っていてもおかしくない距離だ。
フィーネが腰に下げた分厚い書物を片手に乗せて開く。
「総譜・第十三章〈断罪の章〉、一一二頁!」
フィーネが総譜のページを繰ると、総譜が不思議な輝きを発し始めた。その輝きはみるみる強まり、フィーネ自身を包み込んでいった。
彼女の深緑の髪に咲く花が、春を迎えた花園のように満開になっていく。
「な、何だよこりゃ!?」
トレイスが目の前で起こる超常的な現象に後ずさる。
「――穿ち給う! 〈怒りの日〉!」
フィーネが決然と言い放つと、彼女を包んでいた不思議な光がふっと消えた。
直後、
「うおっ!?」
トレイスが腕で顔を覆う。
『どぱぁん!』という破裂音と共に、前方、アボイドの群れがいた場所の地面が下から突き上げられるように舞い上がったのだ。
群れの一角が、断末魔を上げる間もなく花弁をバラバラに吹き飛ばされながら宙を舞う。
立て続けに二、三の爆発。
土が掘り起こされる低い爆発音と、地中の木の根が寸断される音が響く。
さらに二度の爆発が起きると、三人の前方の一角はまるで更地のような状態に成り果てていた。
群れをなしていたアボイドの姿は、もはや跡形もない。
「な……な…………」
トレイスは言葉を失っている。エルランドも予想以上の威力に驚いていた。
「こ、ここまでとは……。腕を上げたな」
と、エルランドは木の幹からおずおずと出てこようとしていたセンリに気付いた。
「センリ! もう大丈夫だ!」
エルランドが声を掛けると、とてとてと走ってくる。
「さっきの爆発は!? みんな大丈夫なの!? ……って、なんか凄いことになってる!」
前方の焼け野原状態を見て、センリが目を丸くした。
「う……!」
フィーネが苦しそうに言って膝を折る。咲き誇っていた髪の花も萎んでいった。
トレイスが慌てて肩を支える。
「おい、大丈夫か!? 何か攻撃を受け――」
『ぐぅぅぅ』
トレイスの言葉を、盛大な腹の音が遮った。
「……は?」
「む?」
「え……?」
固まる一同に、フィーネが苦しそうに言う。
「お……お腹が空いて立てません…………」
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