番外編『神器なき(?)戦い』
第1話 『エルランド楽譜専門店』
*番外編は、本編の時系列とは別で進む短編です。
◆
テノン領の西。楽都〈ヴィヴァーチェ〉の中央大通りは、来週に始まる『ヴィヴァーチェ音楽祭』の前なのもあってか、かなりの人混みと賑わいを見せていた。
旅楽士と大道芸人が通りで人々の注目を集め、街の中心にある『テノン国立歌劇場』からは熱心なリハーサルの音が響く。
聴く者、聴かせる者、全ての人々が楽しそうに音楽に身を委ねていた。
二年前――。全ての神器が開放され、『音楽』が再び人々の元に戻って来たあの日以前では、想像も出来なかったことだ。
それは、ある狐人の剣士と一人の少女の数年に及ぶ長い、長い闘いのお蔭だったのだが、それを知るものは殆どいない。
音楽に溢れるヴィヴァーチェの街の片隅。
繁華街から一本入った閑静な通りの一角にひっそりと構えられた、古い二階建ての建物。
その二階にある『エルランド楽譜専門店』の狭い店内で、
「はぁ……」
エルランドは小さくため息をついた。
店の奥のカウンターに肩肘をつき動かない店の扉を眺める作業を始めてから、すでに二時間が経過している。
壁の小型時計が『ちく、たく』と緩慢な時を刻んでいた。
最新の機構で小型化されたこの時計は、店を出した当時に思い切って購入した物だ。
あの頃はまだ『音楽』が人々の手に戻ってきたばかりで、エルランドの売る楽譜も飛ぶように売れたものだが…………。
「暇だ……」
珍しく一人愚痴るエルランド。ピンと立った耳も、心なしか萎れている気がする。
すると突然、店の扉が乱暴に開いた。
「エルランド。いるかい?」
一人の女性が扉から現れる。
「む。ジョイスか。どうした」
ジョイスは、赤みがかった茶色の髪を後ろで束ねた三十絡みの女性だ。黙っていれば美しい女性だと思うのだが、言動がややガサツなのと、常にどこか疲れた感じが顔に出ているのが玉に瑕だ。
そして、『エルランド楽譜専門店』も含んだこの二階建ての建物の大家でもある。
「どうしたじゃ無いわよ。わざわ仕事持ってきてやったんだ」
カウンターの前まで来て胸を張って言う。
「仕事、か」
「そうだよ」
「……今度は、ちゃんとした仕事だろうな?」
「アタシが持ってきた仕事に、ちゃんとしてないのなんて無かっただろう?」
「ああ、そうだな。『風呂釜の修理』に『屋根の修繕』。『麦の刈り入れの手伝い』に、挙句は『猫のミーちゃん捜索』……とな」
「立派な仕事じゃないか」
「ああ。人を助けるというのは、気持ちが良いものだ。だがな…………ここは『楽譜専門店』なんだよ。ジョイス」
疲れきった様子で溶けたチョコレートのようにカウンターに突っ伏すエルランドを、ジョイスは半眼で見ながら言う。
「ふん。つったって、最新の楽譜は去年出来た『ワルトシュタイン楽譜出版社』が殆ど請け負うようになっちまってるんだ。こんなとこで古い楽譜ばっか売ってても埒が明かないだろ」
ワルトシュタイン出版社は新興大手の楽譜店だ。最新の『印刷』という技術で大量の楽譜を素早く安価に製作する事を可能としている。
エルランドの店のいわゆるライバルなのだが、写譜職人の作った楽譜を売る伝統的なスタイルを取るこの店では、早さも値段も敵うわけがなかった。
「だが、やはり楽譜と言うのは職人、マイスターが精魂込めて書き上げてこそ――」
「何言ってんだい。世の中、売れるもんが正義なんだよ。それに……」
ジョイスはエルランドに顔をグッと近づけてると、声を低くして言葉を続けた。
「先月と今月の家賃、まだ貰ってないんだけど」
エルランドの頬を冷や汗が伝う。
と、ジョイスはパッと笑顔になってカラカラと笑った。
「ま、今度の仕事は楽譜に関係ありそうだったしさ。とりあえず、やってみなよ!」
エルランドは観念したように肩を竦めた。
「そう言えば、センリちゃんいないの? 珍しいわね」
ジョイスが店内を見渡しながら言う。
「ああ。トレイスに付いて王都に旅行に行っているよ。音楽祭までには戻ると思うが……」
「ふーん。てっきり、いよいよ愛想尽かされたのかと思ったけど違うのね」
「……違う。と言うか、何か我々の関係を勘違いしていないか?」
エルランドが半眼で言うが、ジョイスは殆ど聞いていない様子だった。
「あんな可愛い娘、うかうかしてるとすぐ誰かに持ってかれちゃうわよ。男女の関係なんてのはね、まず一発ガツンと決めてから――」
「分かった! 分かったから!」
話が変な方向へ逸れようとしているのを、エルランドが必死で止める。
「とにかく、その仕事って言うのは何なんだ?」
「んあ? ああ、そうだそうだ。ちょっと待ってな。連れてくるから!」
「……?」
ジョイスはそう言って、バタバタと店の外に出ていく。
やがてジョイスが戻ってくると、その後ろに一人の人物が付き従っていた。
少女だ。センリよりやや年下――十四、五歳くらいに見える。
きらきらと輝く金髪を背中に長く伸ばしている。吊りがちな目が猫のような気の強さを漂わせていた。
「この子が依頼人だから。んじゃ、頑張ってよ。家賃、家賃!」
「あ、おい……!」
ジョイスは言い残すと、手をひらひらと振りながら店から出ていった。
当の少女は立ち去るジョイスには目もくれず、つかつかとエルランドの前まで歩いてくると口を開いた。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
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