第23話 森の人
森の中は不思議な雰囲気で満たされていた。
暗いのに明るい。寒いのに暖かいような、妙な感覚。
その中で、センリはひたすら〈清月竜胆〉の花を探していた。すでにその手には、一輪の花が握られている。
「確かこの辺で光って…………あった!」
きょろきょろと辺りを探りながら、草葉の影に隠れた燐光を見つけ出す。
(あと一輪! エル、待っててね……!)
慎重に地面から抜いて握りしめる。やはりこの花は自分で発光しているらしく、夜の森の中では逆に見つけやすかった。
帰り道を見失わないように後ろを振り返ると、遠くにトレイスがつけたであろう焚き火の明りが見えた。これなら迷うことはなさそうだ。
再び前を振り返ると、前方の崖のような小さな段差の上にチラリと淡い光が見えた。
「あっ!」
思わず大きな声を出して段差に走り寄る。高さはセンリの背の三倍強。辺りを見回しても、どうやらこの段差を迂回して登ることは出来なさそうだ。
だが、見れば、突き出た木の根が梯子のようになっていて、直接登れないこともないかもしれない。
(……よし!)
センリは意を決するように大きく深呼吸すると、木の根の梯子の一段目に足を掛けた。
根は意外なほどの丈夫さでセンリの軽い身体を支えてくれる。ぎこちない動作で一段一段登り、あと少しで崖の上に手が届きそうだ。
しかし、そこでセンリは動きを止めた。
登っていた根の梯子はそこで途切れ、それ以上登るためにはやや離れた場所から突き出た根に飛び移らなければならなそうだ。
(…………)
下をちらりと見る。すでにその高さは自分の背丈をゆうに越え、飛び降りることも出来無さそうだ。
背後を振り返れば、トレイスの熾した火が遠く幻影のように揺らいでいる。
(早く花を採って戻らないと、エルが……!)
センリは覚悟を決めると、
「いち、にの……さんっ!」
現在地より少しだけ下、一メートル強程の場所に突き出た根の梯子に向かって、精一杯身体を弛めてから跳躍した。
「……!」
際どいところで足が木の根に乗る。バランスを崩しそうになりながらも、慌てて両手で崖から生える細い蔦にしがみついた。
「……よ、良かった~。成功――」
その瞬間、足を支えていた木の根がメキメキと音を立てて断裂した。
「あっ……!」
手で掴んでいた蔦がブチブチと千切れる。そのまま悲鳴を上げる間もなく、崖下へと転落していった。
「――っ!?」
パニック状態で頭が真っ白になったセンリを受け止めたのは、硬い地面でも、湿った土でも無く、ふわりとした柔らかい感触と鼻をくすぐる甘い香りだった。
「…………え……?」
ぎゅっとつぶっていた目を恐る恐る開ける。
すると、視界に飛び込んできたのは女性の――それもとても綺麗な、女性の顔だった。
穏やかな微笑を湛えたその女性は、センリを優しく地面に下ろすと口を開いた。
「気配がして来てみれば、まさか子供とは……。どうやってここに辿り着いたのですか?」
「はわわ……! あの、その……!」
「もう大丈夫ですよ。森の出口まで送り届けましょう」
しゃがんで目線を合わせ安心させるような口調で言う女性に、センリは首を横に振ると、
「あの、違くて……! こ、困ってるんです! 助けてください……!」
「……?」
しどろもどろに言うセンリに、女性は怪訝そうに首を傾げた。
◆
「この無能がっ!! このっ……!」
ウォルフガングが怒りに任せて書類の束を投げつけると、書類は花吹雪のようにバラバラになりながらアイネの肩や胸を叩いた。
「……申し訳ありません。しかし――」
「言い訳をするんじゃない!!」
静かに頭を下げるアイネの元にウォルフガングは足音も荒く歩み寄ると、その頬をしたたかに打った。
「っ……」
「教皇庁の馬鹿どもを出し抜くチャンスだと思えばこの有様だ! この失態が教皇庁に知られでもしたら、私の立場はどうなるか……! 分かっているのか!? えぇっ!?」
唾を撒き散らしながら、二度、三度と平手を食らわす。
「貴様のような無能にっ! 神聖な職務を与えてやっているのは私だぞ! 分かったか、この野良犬――」
その時、少しだけ顔を上げたアイネの瞳の冷たい光に、頬を打っていたウォルフガングの右手がピタリと止まった。
燃え盛る怒りの炎さえ凍らせてしまいそうな冷たい闇。
人間の意志を越えた純粋な憎悪の光に、ウォルフガングは一瞬身震いしかけ、無意識にアイネから距離を取った。
「……ふ、ふん。もうよい! 行け!」
「……は」
アイネが背を向けて扉へ向かいながらチラリと後ろを覗くと、ウォルフガングはデスクの引き出しから〈音詠みの聖譜〉を取り出し、ぶつぶつと喋り始めていた。
「渡さん……。誰にも渡さんぞ。聖譜はすでに神器の場所を示しておるのだ……。くく……はははは!」
狂ったように笑うウォルフガングを置いて、アイネは部屋を静かに出ていった。
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