第16話 センリちゃん、頑張る①


「とにかく、ここから出ないと……」


 目尻を手の甲で拭って立ち上がった。

 扉のノブは依然びくともしない。

 肩ほどの高さにある窓から外を覗いてみると、どうやらここは建物の上階らしく地面は遥か眼下だ。

 と、外の壁、窓枠の下に十センチほどの出っ張りが足場のように突き出ていることに気付いた。足場は壁沿いにどこまでも続いていて、もしかしたらどこか別の部屋に行けるかもしれない。

 ただ……。


(うぅ。怖いなぁ……)


 足を踏み外せば十数メートル下の地面に真っ逆さまな上、脱出出来る確証もない。

 センリは狭い部屋の中をうろうろと歩き回りながら思考を巡らせた。


(考えないと……。きっと何かチャンスがあるはずだよ……!)


 と、その時、部屋の外からこちらに近づいてくる話し声と足音が聞こえた。

 多分、この部屋に来る。そうに違いない。

 どうする、眠ったままのふりをするか。急いで窓から逃げ出すか。それとも……。


「…………よし」


 センリは小さく呟いて、行動に移した。




「――でもなぁ、僕は怖いよ。だって悪魔に憑かれた人間だろ?」


 廊下を歩く男が、傍らの女性に問いかける。二人共黒いローブ姿だ。


「司教様はそうおっしゃってたわ。だから、司教様もじっくり時間を掛けて祓おうとなさってるのよ。それに、悪魔憑きと言っても小さな女の子だわ。部屋に食事を置いてくるくらい……」


 二人の会話は、人気のない夜更けの廊下に薄ら寒く響いていた。


「まぁ、それはそうだけどさぁ……。おっと、この部屋だ」


 男はそう言うと一枚の扉の前で立ち止まり、腰に下げた鍵の束から一つの鍵を取り出した。


「えっと……食事を持ってきました。入りますよ」


 鍵を慎重に開けると、恐る恐る扉を開ける。


「あれ……?」


 部屋の中はもぬけの空だった。

 窓は開け放たれ、入り込んだ風がベッドの上の毛布を揺らしている。


「? どうしたの?」


 女性が男の肩越しに部屋を覗きこむ。


「いないじゃない……!」


 開け放たれた窓の下には椅子が足場のように置いてある。


「逃げられた!?」


 女性は男を押しのけるように慌てて部屋に入り込むと、窓から乗り出すように外を見回す。


「そんな無茶な。ここは四階だよ!?」


 男性もおろおろとしながらそれに続いた。



 そんな男女二人の緊迫した様子を、センリはベッドの下から静かに見守っていた。



 ふと、開け放たれた扉の方に視線を移すと、ドアノブの上に鍵の束がぶら下がったままになっている。


(今しかない……!)


 二人は今もベッドに背を向け、揉み合うようにあーでもないこーでもないと言い合っている。

 センリは音を立てぬように、しかし出来る限りのスピードでベッドから這い出した。

 身体の半分以上がベッドの下から出た瞬間、狩りをする野生動物のように扉に向かって跳躍する。

 廊下に誰かいるかもしれないなどとは、考えもしなかった。


「あっ!!」


 背後で女性の声がした。振り返れば、今にも飛び掛かって来るかもしれない。


(間に合って……!)


 夢中でドアノブを掴むと勢い良く閉め、ぶら下がっていた鍵の束を回す。

 ――がちん。

 と、鍵が掛かるのと、向こう側からドアノブがめちゃくちゃに回されるのは、ほぼ同時だった。


「はは……。やった……」


 ぺたん、と廊下に尻もちをつき、ドンドンと乱暴に叩かれるドアを見つめながら呟いた。

 よく聞き取れないが扉の向こうでは何かを叫んでいるようだ。

 ハッと廊下を見渡すと、運良く他の人影は見当たらなかった。滅多に人の来ない場所なのかも知れない。


「行かなきゃ!」


 いつまた人が来るか分からない。センリはドアから慎重に鍵の束を抜き取ると、薄暗い廊下を走りだした。


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