第39話 39 本格的お医者さんゴッコ

 ドアが開くと共に、室内からの光で少し目が眩む。

 何かしらの光源は用意しているだろうと思っていたが、想像以上に明るい。

 晃の細めた目に、ニヤケ面のまま固まるアロハを羽織ったクロの姿が映る。

 距離はおよそ三メートル、あと数歩で手が届く。

 右手にはデジタルビデオカメラを構えていて、左手は剥き出しの下腹部へと伸ばされ臨戦態勢に膨張した陰茎を握っている。

 そんなAVでしか見かけないフザケたスタイリングの半裸男に向かって、バットを手にした晃は跳ぶ。


「えぁっ――」


 何かを言おうとしたクロの口封じも兼ねて、渾身の一撃を顔面下部を狙って振り抜く。

 骨か歯か、硬いものを捉えたガツンという感触が、グリップを通じて晃に伝わってくる。

 

「きゎ、っぱ」

「ひぃああああああああああああぅが――ぅぶぅううっ、ぅううううっ」


 ダメージが浅かったのか、よろめきながらも倒れないクロは、血涎ちよだれを吹きつつ晃を凝視して、意味を成さない音を発する。

 状況を把握できていない佳織が、予想通りに叫び声を上げた。

 途中で呻き声に変わったのは、ダイスケが遅れ馳せながらタオルで猿轡さるぐつわを噛ませたからだろう。

 

 ここでしくじると、失敗の確率がハネ上がる。

 そんな思いが生み出した焦りは震えになって手足に現れかけるが、どうにか捻じ伏せて晃は二発目を繰り出す。

 次も大振りだとガードされるかも、との判断が片手持ちでの突きを選ばせる。

 想定外の攻撃だったのか、そもそもガードをする余裕がなかったのか、細かい傷が多数刻まれた金属バットのヘッドは、クロの顎に真っ直ぐ吸い込まれた。


「んごっ」


 動物的な短い喚きを残し、クロは膝から縦に崩れた。

 その後ろで仰向けに転がっているのは恐らく、放置されたままのタケだ。

 佳織を嬲る小道具として死体を使うとは、やはり連中は頭がおかしい。

 込み上げてくる吐き気を無理矢理に遣り過ごし、佳織の無事を確かめようと晃は視線を巡らせる。

 

「んぅううっ? くふぅーっ、かふぅーっ!」


 未だ何が起きているのかを理解しきれていない様子の佳織は、施術用のベッドの上で身を捩りながら、荒い息をタオルの隙間から吐き出している。

 服は着ているものの、上も下もアチコチが切り裂かれて、服としての機能は殆ど果たしていない。

 両腕はタイラップではなく、金属製の手錠でもって拘束されている。

 両脚は縛られていないが、胴に巻かれた太いベルトでベッドに固定され、まともな身動きはできそうもない。

 そんな佳織の耳元で、優希が何事かを語って聞かせているようだ。


「どうす――」


 段取りが狂ってしまったダイスケが訊きに来るが、晃は掌で押し留めるジェスチャーで黙らせる。

 どうすればいいかなんて、コッチが訊きたい――そんな本音を伏せつつ考える。

 部屋の明るさは、二個吊るしてあるランタンのお陰らしい。

 この先の行動にも便利そうなので、コレは貰っていくとしよう。

 クロが持っていたヤツよりも大型のビデオカメラが、三脚にセットしてベッドに向けてある。

 複数アングルでの録画とは、これまた丁寧な仕事ぶりだ。


 三脚の足元には、ジュラルミンの小型スーツケースが開いて置いてある。

 中身はアダルトグッズの詰め合わせという感じで、晃は思わず苦笑を漏らす。

 しかしよく見ると、ディルドーやローションに混ざって注射器やメスや鉗子かんしといった医療器具っぽいものも混ざっていて、一転して真顔にさせられる。

 どうやらクロは、廃病院というシチュエーションを生かしての、イカレた医療プレイを繰り広げるつもりだったらしい。

 小さく溜息を吐いた晃は、ベッドの柵に掛けてあった無線機を手に取ると、部屋の隅へと移動させる。


「ダイスケ君、カッターを」

「おう……あれ、切ればいいのか」


 優希から小声で言われ、ダイスケは佳織を拘束しているベルトを指差す。

 説明を受けた佳織は状況を把握したのか、呼吸は荒いが暴れたり叫んだり喚いたりは収まっている。

 ベルトに挟んでいた大ぶりのカッターを抜いたダイスケは、黙々と革ベルトの切断に取り掛かった。

 それを横目で見ながら、晃は床に脱ぎ捨てられたクロのハーフパンツを探る。


「どうしたの」

「いや、手錠の鍵を持ってないかなって」


 ポケットを探る手を休めずに、晃は優希に応じる。

 中身が半分ほどのガラム煙草、銀無垢らしいオイルライター、赤黒く汚れた金のピアス、七百円分くらいの小銭。

 それと、短いボールチェーンのついた鍵が見つかった。

 サイズや形からして手錠のものとは思えないが、家の鍵や車の鍵とも違うようだ。

 使い道はわからないが、とりあえず他の諸々と一緒に確保しておく。


「あ、これじゃないかな」

「おお、それっぽい。どこにあった?」

「そのスーツケースに」


 三センチくらいの適当な造形の鍵を受け取り、晃は佳織の手錠を外しにかかる。

 ダイスケはベルト切断に苦戦しているようだが、切り込みは入っているのでどうにかなりそうだ。

 晃は手錠を解除すると、涙を溜めた目で見つめてくる佳織に頷き返す。

 そして、口の前に人差し指を立てるジャスチャーをしてから、タオルの猿轡さるぐつわを外した。


「無線機あるから……抵抗してるフリを続けて。弱り気味に」


 心配や慰労の言葉を丸ごとすっ飛ばした晃からの指示に、佳織の涙目に一瞬だけ怒気が閃く。

 しかし、感情よりも理性が勝ったようで、唇を震わせながら黙って頷いた。

 直後、ダイスケがベルトの切断に成功し、佳織は頭をグラつかせながら身を起こす。


「ぁああぁああ……い、いやっ、うぅ……」

「とりあえず、ここから移動します。そっちの状況は、それから聞くから」

「……うぅううっ、あぅううううう」

「あとは……服か。ちょっと、汗かいてるけど」


 晃はシャツとジーンズをパッと脱いで、佳織に差し出した。

 佳織はわざとらしさの否めない呻き声を止め、キョトンとした様子で晃を見返す。

 再び服をグイッと突き出され、佳織は迷いながらもそれを受け取る。

 パンツ一枚になった晃は「何してんのアンタ」とツッコミたげな優希に無言の苦笑で答え、床に突っ伏して動かないクロのシャツを剥ぎにかかる。


「ぅあ」


 脱がしたアロハを何気なく嗅いでみたら、思わず変な声が出た。

 汗と血とヤニと尿と香水の臭いが、クロの体臭と混ざって得も言われぬエッジの利いたフレーバーを醸し出している。

 著しくテンションの下がる晃だったが、裸で行動するのも躊躇ためらわれるので、嫌々ながら下品なアロハを羽織り、血と何かの汁で薄汚れている短パンを穿いた。

 それから、次にやるべきことを見失っている様子のダイスケを手招きする。


「どうすんだ、こっから」

「まずは移動だ。こいつをそこのクソ野郎にハメてから運ぶ」

「運ぶって、どこに」

「どこでもいいよ。とにかくこの場から移動して、その後で話を聞かせてもらう」


 佳織から外した手錠をダイスケに示し、晃は全裸で床に転がっているクロの頭を踏みにじる。

 まだ気絶しているようで、後頭部で足の裏の感触を味わっているというのに、何らリアクションはない。

 そして後ろ手に手錠をかけると、晃が右腕、ダイスケが左腕を掴み、グッタリしたままのクロを処置室から運び出した。

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