第50話 50 ゼロまで数えると四秒だからね

 最悪だ。

 いや、最悪なのは想像がついていたから、それが確定しただけか。

 霜山を引っ張り出すつもりが、こちらの存在を知らせるだけに終わった。

 仮にあのデブが姿を現しても、下手に動けば即座に反撃を受ける。

 だからと言って、この膠着こうちゃく状態が長く続くとも思えない。


 血が上ってどうにもならない頭を鎮めようと、晃はあまり意味がないと思いつつも、現状の分析を行ってみる。

 自分が逆の立場だったら、次はどう動くか。

 考えるまでもなく、優希か佳織に銃を突きつけて「さっさと出て来い」と、脅しをかけるハズだ。

 額の汗を拭っている玲次に半歩近寄り、晃は押し殺した声で語りかける。


「こっちが出てく雰囲気になったら、俺一人で行く」

「ああ……オレは隠れながら近付いとけば?」

「そんなんで。タイミングは任せる」


 細かい打ち合わせをしている余裕はないので、玲次の判断に任せるしかない。

 いつもの勘の良さを取り戻していれば、玲次ほど頼りになる相棒はいないだろう。

 しかし今の玲次は、どうにも安定感に欠けている。

 病院であったことを考えれば、動揺を引きずってしまうのは仕方ない。

 それはわかっているが、仲間も自分も全員揃ってギリギリなこの状況に、晃の気分と表情は曇るばかりだ。


 次の何かが起きるのを、晃はただジッと待つ。

 怪我由来のものとは違う、神経にゆっくりと目の細かいやすりをかけられるような感覚が、体のアチコチで浮いたり消えたりする。

 実際に痛んでいるのか錯覚なのか、晃にはわからない。

 何はともあれ、ただただ不快で気を散らされる。


 玲次は短い打ち合わせの後、静かに移動を始めて既に姿が見えない。

 鳩の低い鳴き声と、妙にテンションの高いカラスの鳴き声がやかましい。

 時々、「ひぐっ」とか「えうっ」といった、佳織のものらしい嗚咽おえつの断片も混ざってくる。

 霜山は、まだ動かないのか――

 焦れてきた晃は舌打ちをしかけるが、危ういところで唇を噛んで止める。


 そこから三十秒か、三分か。

 短くはないがそう長くもない時間が経過した後、不意に視界に明かりが混ざり込む。

 フラッシュライト――いや、電池式のLEDランタンだろうか。

 人工の白けた光の中に、ひざまずかされた優希と佳織の姿があり、その後ろに立つ男の姿が見えた。


 霜山だ。


 嘘っぽい笑顔を浮かべながら、左手でゆっくりと佳織の髪を梳いている。

 服装がインチキBボーイ風ファッションから、薄灰色のツナギに変わっている。

 されるがままの佳織は、触れられる度に短く低い悲鳴を上げる。

 そして霜山の右手には拳銃――ではなく、見覚えのある刃物が。

 リョウが慶太の指を切り落とした、あの時のナイフだ。


「あづっ――え……えっ? ううぁあぁぎっ――ぃいいいいいぃいいっ? ひぃあああああああああああああああっ!」

「おーい、早く出てこないとね、右耳もいっちゃうけど?」


 リンゴを切るような何気ない動作で、霜山は佳織の左耳を切り離した。

 数秒の間、佳織は自分が何をされたのか理解できなかったらしい。

 しかし、痛みと出血でもって把握したのか、左耳のあった場所を押さえて絶叫を吐き出している。

 指の間から流れ散る血は、ランタンの光を受けて不自然に赤い。


 晃もまた自分が目にしているものが信じられず、これが現実だと認識するまでに十秒以上もかかってしまう。

 忘れていた――というか、麻痺していた。

 自分達が相手しているのは、完全にタガを外している狂人なのだ。

 常識的な思考で対処しようとしても、上手く行くハズがない。


「でっ、出るから! 待てよっ!」


 初手から選択の余地を奪われた晃は、裏返り気味に声を張り上げて木陰から飛び出した。

 切り取った耳を摘み上げていた霜山は、さっきまでの作り笑いを消して、珍しいものを見るような目を晃に向ける。

 そして、切る時と同じ何気なさで耳を放り捨てると、ナイフの刃先を揺らして「こっちに来い」と伝えて来た。


「組んだ両手を頭の上に乗せて。黙ってゆっくり歩いてね」

「わかった、わかってるから」


 言われた通り、晃は両手の指を頭の上で組もうとする。

 直後、ブチミチッと不吉な音が耳元で鳴り、左肩を中心に痛みが爆発する。


「んっ、はぁああぐぁ!」

「……黙って、って言わなかった?」


 思わず叫びを上げると、霜山から冷えた声が投げられる。

 機嫌を損ねたら、自分よりもまず優希と佳織に被害が及ぶ。

 それが容易に想像できた晃は、血の味がするほどに唇を噛みながら頷き返し、ノロノロと三人がいる方へと近寄っていく。


 全身の痛みのせいか極度の緊張のせいか、足取りが覚束おぼつかず一歩ごとに足が地面に沈む感覚に囚われる。

 盛大に痛みを主張してくる左肩は、火傷に似た熱いうずきを伴い始めている。

 フラつく晃に霜山が向けているものは、いつの間にかナイフの刃先から拳銃の銃口へと変化していた。


 銃の種類はわからないが、小型の自動拳銃のようだ。

 映画やマンガで見覚えがある、消音用の部品が取り付けてあった。

 サイレンサー――最近はサプレッサーと呼ぶんだったか。

 さっき聴こえた発射音が半端な印象だったのは、これが仕事をしていたからか。

 自分に銃口が向けられている、という状況に現実感が乏しいのもあって、晃は冷静に銃についての考察を重ねる。


「そこで止まって」


 霜山の言葉に従って、晃は足を止める。

 距離は十メートル前後か、もう少し短いくらいか。

 手が使えないせいで、苦痛の副産物である脂汗が目に入ってしまい、視界がかすんで距離感が掴みづらい。

 

「しかし、アレだね……色々と予想外だ」

「なっ、何が」

「アキラ君がこうしてここにいることも、だけど……それよりあの二人。クロは仕方ないにしても、あのリョウがこうもアッサリとくたばるとはね」


 ピントがボケているせいで、霜山の表情はボンヤリとしか窺えない。

 だがその声には、仲間の死を悼んでいる気配は感じられず、代わりに呆れや失望に近い色合いが滲んでいた。

 あいつらが死んだことで、計画に狂いが生じたりしているのだろうか――いや、計画そのものが狂っているのはさて措いて。

 視力を回復しようとまばたきを繰り返しながら、晃は霜山の心理状態を探ろうとするが、まるで正解に近づける気がしない。

 晃が黙っていると、霜山がフウッと大きく息を吐く。


「まぁコッチはいいや。それより、他の二人は」

「はぁ? 他って――」

「そういうのいいから。他の二人は」


 玲次とダイスケのこと、だろうか。

 正直に答えるって選択肢は、当然ながら晃の中にはない。

 二人とも死んだ、ということにして油断を誘うか。

 でなければ、ダイスケも生きていることにして撹乱かくらんに使うか。

 どちらがより効果的かを素早く弾き出そうと、晃は今夜もう何度目になるかわからない脳のフル稼働を開始する。


「二人はどうしたのか、答えてくれるかな。三秒だけ待つから」

「待て待て待て待てっ! 落ち着けっ!」


 視界が戻ってくると同時に、再び拳銃を構えた霜山と対面させられる。

 晃はとりあえず大声を出して話をさえぎり、霜山が一方的に物事を進める流れを変えようと試みた。


「三」

「どうって言われても」

「二」

「そう簡単には」

「一」

「説明のしようがなっ――」


 言いかけたところで、安物のロケット花火みたいなシケた音が鳴る。

 それとほぼ同時に、目に映る景色の向きが変わっているのに驚く。

 何がどうしてこうなった。

 アスファルトに横倒しになりながら、自分の身に起きたことを確かめようとする。

 程なくして、晃は自分が左膝を撃たれて地面に転がされている、という状況を把握した。

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