第51話 51 膝に鉛弾を受けてしまってな

「ぉおっ――ぅあああっ、あ――あああああっ? あああああああぁああっ!」


 晃の口から、混乱気味に喚き声が吐き散らかされる。

 撃たれた痛み自体は、それほどでもない。

 いや、普通ならば一大事なのだが、今は満身創痍まんしんそういで痛覚が飽和状態になっている。

 そのせいで痛みには耐えられたのだが、『拳銃で撃たれる』という状況の非現実感が、晃をはなはだしく動揺させていた。


「あんまうるさいと、もう一発いくけど?」

「ふぅうっ! うくぅうううぅうっ!」


 霜山からの冷え冷えとする声での宣告に、晃はシャツの裾をまくり上げて噛み締め、好き勝手に暴発して音声化される感情を抑えつける。

 銃を向けられたからには、撃たれることも当然ながら想定には入っていた。

 なのに実際に自分が撃たれてみると、ここまでうろたえるものなのか。

 白く染まって飛びかける意識を手繰たぐり寄せながら、晃はどうにか肺と心臓を落ち着けようと、汗ばんで塩辛いシャツ越しに深呼吸を試みる。


 何度も何度も繰り返す内に、心身の浮遊感は少しずつ落ち着いていく。

 意識が定まるのに伴って、膝の銃創が激しい自己主張を開始してくる。

 苦くてなまぐさい唾が止まらなくなり、ビダビダになったシャツの裾を吐き出す。

 そんな晃に、霜山は穏やかな表情を向けながら言い放つ。


「人と話をする時に、そのだらしない姿勢はどうかと思うよ……アキラ君」

「ぅぐ、ぅおっ――ほぁ」


 晃は慌てて上体を起こし、左膝の傷を抱えるような姿勢で地面に座り込んだ。

 左の膝と肩に負荷がかかったせいで、鋭く重い痛みが走って声が漏れる。

 膝の状態を確認してみると、思ったよりも派手な出血はない。

 血で湿った細身のジーンズが肌に張り付き、止血帯の代わりになっているようだ。


「さて、血の巡りも良くなったところで、もう一度訊こうか」

「うぅ……」

「他の二人は、どうしたの」

「ダイスケは、死んだ。リョウに、こっ……殺され、た。玲次は……玲次は、警察に通報するっていって、今は……別行動だ」


 咄嗟とっさに思いついたデタラメを混ぜつつ、晃は途切れ途切れに霜山から投げられた問いに答える。

 警察という単語に反応して、霜山の眉尻が不自然に動いた。

 法の外で動いているとしか思えない連中だが、さすがに国家権力を超越するような存在ではないらしい。


「……他の二人は」

「だから、ダイスケは死んで、玲次は別行動をしてる、って」


 霜山はさっきと動揺に、威圧感たっぷりに銃口を向けてくる。

 だが晃は、その声音の中にそこはかとない焦りの色を読み取った。

 こいつらは無敵の怪物でも、不死身の悪魔でもない。

 とことんブレーキが壊れているだけの、性根の腐った変態――快楽殺人者だ。

 そこに思い至った晃は、僅かではあるが心の余裕を取り戻す。


「ねぇ、もう……終わりに、しない」


 不意に聴こえる、消え入りそうな声。

 地面にひざまずかされ、うつむいたまま黙っていた優希が、顔を上げて霜山に語りかけていた。

 刺激するのはマズい気もするが、この膠着こうちゃくが続いても事態は悪化するばかりだろう。


 霜山からのリアクションは、なかった。

 晃に視線を固定したままで、優希を見ようともしない。

 何か言っておくべきか――しかし下手に話がこじれた場合、面倒になった霜山が自分ら三人を始末する結論を出す危険もある。

 正解を選びかねた晃は、とりあえず口を挟まずに優希にこの場を任せようと決めた。


「あなたも……捕まりたく、ないでしょ」


 優希の繰り出した論法は悪手に思えたが、代替案だいたいあんは思いつかない。

 連続する痛みと息苦しさが、思考能力を激減させているようだ。

 自分も間違いなく重傷を負っているのだが、晃としてはうつ伏せに倒れたままの佳織が気になる。

 呻き声も叫び声も鳴き声も聞こえず、全く身動みじろぎもしない。

 耳を切断されたショックで放心状態なのか、或いは気を失っているのか。


「どうなのかな……正直、ボクとしてはどうでもいいんだけどねぇ」

「……え」


 何を言ってるんだかわからない、といった感じで優希が絶句する。

 晃もまるで同感で、アホみたいに口を開けて霜山を見詰める。

 その口ぶりは、うそぶいているでも演技しているでもなく、ごく自然に考えていることを発言しただけに思えた。

 だからこそ、見えかけた底が再び見えなくなったようで、晃の背筋が急速に冷える。

 

「さて、と……レイジくーん、その辺にいるんだろ? 早く出てきなよ」


 少しだけ声を張った霜山が、突然そんな呼びかけを開始する。

 感情の入っていない棒読み――この流れは厭な予感しかしない。

 無造作に地面に転がされた佳織の耳に、自然と目が行ってしまう。

 霜山は左手で佳織の髪を掴んで引き起こすと、右手に持った銃をその後頭部にそっと突きつける。


「やっ、やめっ――」


 優希が止めようとするも、霜山に一瞥いちべつされただけで黙り込む。

 自分がどういう状態なのか理解していないようで、佳織は無反応だ。

 晃は自分が今できることを考えてみるが、跳んだり走ったりするのが無理なのは当然のこと、歩くのも難しいコンディションでは手も足も出ない。


「あれあれー? レイジくーん、お兄さんの彼女さん見捨てちゃうの? ケイタ君に続いて、カオリちゃんもキミが殺しちゃうの?」


 相変わらずの棒読みで、霜山が煽ってくる。

 何をしている――晃は一向に反応を見せない玲次にれる。

 すぐ近くに潜んでいて、反撃のタイミングをうかがっているのか。

 それとも、この場を離れて独自の計画でも進行させているのか。

 後者だった場合は佳織が殺されかねないし、晃と優希も無事では済まないだろう。


 不意に、ザザッ――と音が鳴る。

 霜山から見ると左後方、手入れされていない植え込みと立木が一体化した、そんな一角が発生源だ。

 滑らかな動作で右腕が動き、銃口がそちらに向けられる。


 乾いた破裂音と硬い何かが弾ける音が、ほぼ同時に晃の鼓膜に刺さる。

 外れた、玲次には当たってない――


 そう安心した直後、再びの発砲音が響く。

 少し左方向に離れた場所で、つたに取り巻かれた低木の枝がワサッと揺れる。

 霜山は、そこに向けても二発続けて撃ち込む。

 悲鳴も人が倒れる音もせず、柔らかい地面に弾がめり込んだのであろう、鈍い音だけが二つ聞こえた。


 更に数歩分ほど左にずれた場所で、また植え込みから不自然な音が発せられる。

 晃の位置から表情は窺えないが、かなり熱くなっている様子の霜山は、再び連続して銃爪ひきがねを引いた。

 だが、発射された銃弾は一発だけで、それも生き物に命中した気配はない。

 玲次が何をやろうとしていたのか、晃はその瞬間に悟った。


「ぅるぁあああああああああああああああああっ!」

 

 怒声に反応して、晃は右方向へと視線を向ける。

 植え込みから飛び出した玲次が、霜山に向かって疾走していた。

 左へ左へと移動しているように思えたのは、玲次によるミスリードだったのか。

 恐らくは小石を投げるなり何なりして、誰かが密かに移動している雰囲気を作った。

 そして釣られた霜山に銃を撃たせ、弾切れの状態へと追い込む――時間も余裕もない、今この場で選ぶ戦法としては悪くない。


 霜山がどうするつもりなのか、晃はその挙動を注視する。

 拳銃は恐らく弾切れだ。

 ナイフを使っても、体格からして素手の玲次の方が優位だろう。

 なのに霜山は動こうとせず、弾倉が空の銃で玲次に狙いをつけている。


 ハッタリのつもりか、それとも何か別の思惑があるのか。

 意図が読めない晃は、とりあえず何かあったらフォローに入ろうと、痛みを堪えながら霜山と二人の人質がいる方へとにじり寄る。

 その最中、霜山の手元を視認した晃は、自分の勘違いを知って叫ぶ。


「避けろっ! 玲――」


 言いかけたところで、玲次は派手に転倒して顔から地面に突っ込む。

 いや、違う。

 転んだのではなく、転ばされたのだ。

 霜山の手には、いつの間にか拳銃ではなくテーザーガンが握られていた。

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